*リアム*
第100話 かけがえのない人
「あんたは、酷い男だ。何度殺してやろうと思ったことか」
「リアム。一時の感情に振り回されては駄目よ」
ミーシャが宥めようとしてくれているのはわかったが、沸き立つ怒りは抑えられそうにない。
「振り回されたくはないが、この胸の痛みは、師匠を失ったときからずっと続いている。一時の迷いなどの感情ではない」
ミーシャは目を見張ると、口を噤んだ。
「国を治める王なら、冷酷になれ。国に害をなすものは、すべて排除しろ」
オリバーはゆっくり起き上がると咳き込んだ。その胸ぐらをリアムは掴んだ。
「冷酷になって、あんたを排除しろというのか」
「……そうだ。俺の目的は、潰えた。生き残ったところでおまえの害にしかならない」
リアムはオリバーを睨んだ。自分と同じ色の、碧い瞳は昔と変わらない。切なく胸を締め付けるものを感じ、投げるように叔父から手を離した。
右手に氷の剣を作り、オリバーに向ける。
「ミーシャ。邪魔するなよ」
よろめく叔父の肩を蹴り、再び彼を仰向けに倒す。
「無抵抗だな。さっきみたいに、氷のナイフでやり返せよ」
「無理を、言うな」
オリバーの息は上がっている。だがこの男は油断ならない。リアムは逆手に剣を構えると、そのままそばにしゃがみ、オリバーの顔を覗き込んだ。
「あんたのおかげで、大事な人を失う辛さはもう十分理解した。だから、そんなに死にたいなら殺してやる」
死を、あんたが望むなら。
リアムの言葉にオリバーは薄く笑い、目を細めた。
「それでいい。それでこそ、氷の皇帝だ」
「その前に答えろ」
リアムは叔父の左肩をきつく掴んだ。
「……俺は、あんたにとって何の感情も抱かない、甥だったのか?」
オリバーはリアムの質問が以外だったらしく目を見開いた。かまわず前から抱いていた疑問をぶつけた。
「六歳の俺のことは、フルラ国にもぐりこむためだけの、ただの道具だった? 親や国に、ただ利用されるだけの、可哀相な子供だったか?」
『僕、父上よりも、オリバーに褒められたい』
本心だった。俺はあんたを慕っていた。
「魔女が俺をいじめるようだったら、やっつけてやると言ってくれた」
寂しくて、不安に思う俺の頭をやさしく撫でてくれた。あんたの広い胸に抱きしめられるのが、好きだった。安心できた。
包み込むように握ってくれた手は大きくて、オリバーが父親だったら良かったのにと、……何度も思った。
「俺にかけてくれた言葉は、向けてくれた眼差しは、温かい手は、全部嘘だったのか?」
叔父の肩を掴む手が震え、それを誤魔化すために力を入れる。
「なあ、オリバー・クロフォード。答えろ! あんたは、俺のことを……ッ!」
少しは、好きでいてくれた?
はらりと白い雪がオリバーの頬に落ちる。
……裏切られたのが哀しかった。憎らしかった。大切な人を奪われたのが悔しくて、何度も殺意が頭をもたげた。だけど同時に、どこかで信じたいと、何か理由があるんだと思う感情があった。
俺にとってこの人は、ミーシャの言うとおりオリバーは、俺の……かけがえのない、大切な人。
どうしようもない人なのに、それは変わらなくて。リアムは感情が溢れそうで、ぐっと口を引き結んだ。その時だった。
「リアム、危ない!」
ミーシャの叫び声と一緒に、氷を割る激しい音が右側から聞こえた。
流氷の結界の氷が隆起し突然割れたかと思うと、額に蒼い魔鉱石を持つ、氷の狼が現れリアムに向かった飛びかかってきた。大きな口を開け、鋭い牙が眼前にせまる。
リアムは咄嗟に狼の口に剣を突き刺した。しかし、狼の勢いは止まらない。前足の尖った爪がリアムの顔目がけて襲いかかる。避ける暇がない。あと数センチで目に食い込むという刹那、リアムの視界は塞がれた。
氷柱みたいに尖った爪から逃れるために、身体が後ろへと傾き押し付けられる。氷の一族なのに、リアムの目を塞ぐ大きな手は温かった。
倒れながら耳に届いたものは、自分を心配する声だった。
雪の中へ、仰向けに身体が沈んでいく。
ぼろぼろで、よれよれだったのに、どこにそんな力を残していたいのか。
視界が開けると、自分を庇うように覆い被さったオリバーの背に、氷の狼が襲いかかっているのが見えた。
「炎の鳥!」
氷の狼の横腹に炎の鳥が体当たりする。狼は吹き飛び、溶けて消えた。
自分の上に、力無くのしかかるオリバーを、リアムはぎゅっと抱きしめた。彼の背に回した手に、ぬるりとした温かいものが触れた。
「オリバー、どうして……!」
「……せめて、オリバー叔父さんと呼べ……」
オリバーは、リアムを抱きしめ返した。昔のように頭をひと撫ですると、かすれる声で言った。
「おまえを、愛しているから、だ」
人質として、フルラへ向かう馬車の中で、『オリバーがついてきてくれるから、留学するって決めた』と伝えると、オリバーは照れくさそうに、でも、嬉しそうに破顔した。
「ふ、……ざけるな!」
土壇場で、庇うなんてずるい。
リアムはオリバーを自分の上から引き剥がすと、うつ伏せに寝かせ、背中の傷を止血しはじめた。
「オリバー、俺のために生きろ! 死んだら、一生許さない!」
「一生……それは、いいな」
月明かりのせいでわかる。オリバーの背中から流れ落ちた血で、白い雪が朱く染まっていく。
「リアム……」
「うるさい。しゃべるな、黙ってろ!」
「……泣くなよ。そしたら……褒めてやる」
オリバーはそのまま意識を失った。
白狼が、月に向かって遠吠えをする。結界に誰かが侵入した合図だ。
「カルディア兵か? 今、それどころじゃない……!」
「リアム、変わって。止血は私がする」
ミーシャは手の上に炎の鳥を呼んだ。
「出血が酷い。このままではショック死する。ひとまず焼灼止血法を試してみる」
「頼む。ただ、オリバーは炎への耐性がない」
「わかってるわ。任せて」
ミーシャはオリバーの背中の傷の上に、炎の鳥を置いた。
「陛下――! やっと、見つけた……」
「……ジーンと、イライジャ?」
暗い雪原を馬で駆けてくるのは信をおける
二人だった。オリバーはミーシャに任せ、馬で駆け寄ってきた臣下を迎える。二人は馬から降りると、リアムの前で膝をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます