第92話 悪い魔女が来た。

 国が滅ぶ。その言葉が余りにも衝撃で、ミーシャの心臓が凍りついた。


「……止めないと。洪水なんて起してはならない!」

 こぼれ出たミーシャの声は震えていた。


「ええ。ですが、差し迫っている問題が山積しております」

 イライジャの言うとおりだ。

 カルディア兵の侵攻を止める。氷の狼の対処と凍った人の救助。そして、オリバー大公の目的阻止を、同時にしなければならない。


「氷の宮殿には一足先に陛下が向かってくださいました。きっと、オリバー大公の暴挙を抑えてくれるでしょう。ここの問題が済めば、私も向かいます」

 馬で向かったリアムはもう、宮殿に着いているかもしれない。炎の鳥は馬より速い。飛ばせばすぐだけど、急がないと。


「カルディア兵は、ビアンカ皇妃を信じて任せるしかありません」

 ノア皇子に、戻る約束をしたと話す彼女の瞳に曇りはなかった。きっと、グレシャー帝国を裏切り、カルディアに付くようなことはないだろう。監視役ではないが、宰相のジーンもそばについている。


 氷の狼と、洪水をなんとかしなければ。


「イライジャ様、お願いです。私の作戦に協力してください」

「ミーシャ様の仰せのままに」

 イライジャは胸に手を当てると頭を下げた。

 待機している騎士団と、アレクサ隊長含む、兵の指揮官をイライジャに集めてもらう。その間にミーシャは炎の鳥を呼ぶとその背に乗り、上空へと昇った。 

 雪雲に接する高度に着くと、あらためて氷と雪の国を見る。

 流氷の結界はここだけではなく、グレシャー帝国全土を流れている。今いる場所は氷の宮殿から遠く川幅も広い。


「川下は国境に近いから人の避難はある程度済んでいる。問題は、川上に住む人たちね」

 

 上流に進めばカルディア兵は来ないと思い、そのまま避難していない人がいる可能性が高い。ミーシャは、地形を頭にいれると、イライジャのもとへ急降下して戻った。


「氷の狼をやはり、駆除いたしますか?」

 イライジャはミーシャに駆け寄りながら聞いた。

「駆除はしません。氷の狼は私が引き付けます」

「引き付ける?」とイライジャは困惑の声を上げたが、ミーシャはそのまま説明を続けるため、騎士団と兵の隊長たちに目を向けた。


「この地を守る兵士の方は、引き続き凍ってしまった者の救助を。馬で駆けることができる騎士団の方々は、できるだけたくさんの人に川から離れ、少しでも高い場所へ避難するように声かけと誘導をお願いします」

 それを聞いた兵士はお互いの顔を見合わせ、どよめいた。


「グレシャー帝国は広い。この地域だけでも国民は何百万人といます。避難は簡単ではなく、難しいでしょう」

 戸惑いながらも声を上げた一人の騎士を、ミーシャは見た。


「では、あなたは何も知らずに、氷と水の中に沈みたいですか?」


 どうせ間に合わないと、諦めるのは早計だ。時間が許す限り、最善を尽くすべき。

「あなたたちの家族は、私より雪と氷の知識を持っている。洪水が起こると事前に知っていれば、避難できなくても何かしら対応できる。違いますか?」

 自分たちで切り抜けられるだろうと、期待と希望を氷の国の人たちに押しつけているかもしれない。それでも、無理だと諦めるよりはいい。


 ミーシャは、再び兵士を見回した。

「難しいからこそ一刻も早く避難をさせないと。……宮殿の崩壊はあってはならない。ですが、万が一を想定し、今すぐに行動に移すべきです」

 戦場を駆け、カルディア兵を迎え撃つはずの騎士団がいきなり現れ、避難を呼びかければ、人もきっと動いてくれるはず。

「……そうですね。ここで何もしないより、一人でも多く、避難させましょう」

 声を上げてくれた騎士にミーシャは頷きを返すと、「避難誘導のときには、こう言って下さい」と言葉を続けた。


。炎で氷を解かし、洪水を起そうとしているから。と」


 イライジャと騎士たちは、目を見開いた。


「魔女が来たと信憑性を持たせるために私は流氷の結界に近づき、氷の狼を引き付けながら、炎の鳥で国中を飛び回ります。なので上流の結界には近寄らないように」


「それでは、ミーシャ様の評判が悪くなるだけです!」

「私の評判が悪いのは今更です。それで人が助かるなら、私はなんと思われようと、かまいません!」


 この国ではオリバー大公は英雄だ。魔女クレアの企みにいち早く気づき、フルラを攻めて戦死したと思っている。その人が生きていて、今度は氷の宮殿を崩壊させようとしていると説明したところで、誰も信じない。


「悪い魔女が、役に立つときが来たわ」


 ミーシャは微笑むと、炎の鳥の背に乗った。


「時間がありません。さっそく行動に移して。私は国中を飛び回ったあと、氷の宮殿に向かいます。みなさんは『恐ろしい魔女だった』と、たくさんの人に誇張して伝えて下さいね!」


 この国で、リアムの妃として生きていくと決めた。

 寵姫であるミーシャの言動は、彼の評価に影響する。この行動は『悪い魔女』として彼の評判を堕とすだろう。ミーシャはますます、グレシャー帝国民に嫌われる。

 だけどリアムは人の目や、立場を気にするような小さな男ではない。


 ……ナターシャ様の言うとおり、足枷になってみよう。

 覚悟を決めれば簡単で、怖い物は何もなかった。

 誰に何を言われようと、彼と共に生きていくことに変わりはない。

 

 ミーシャは炎の鳥を操り、決意を胸に白い空に向かって飛び立った。

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