第55話 国へ帰りたい?
ミーシャは自分の髪を握ると、リアムから遠ざけた。
「私の髪は、陛下の治療の役に立ちません! 触っちゃだめ!」
「……頼ったり、お願いはしないのに、命令はするのか……」
リアムは少しあきれ顔で言った。
しまった。つい、リアム皇子に怒るときのように強く叱ってしまった。動揺してしまうとつい、相手が皇帝陛下だというのを忘れてしまう。
ミーシャは「申し訳ございません……」と、か細い声で謝った。
迎賓館を出ると空は真っ暗だった。吸い込まれてしまいそうな闇夜から白い雪がひらひらと、静かに舞い降りてくる。
見ていると、自然と頬が緩む。ミーシャはきれいだと思い、手のひらを上にして儚く溶ける雪を受け止めようとした。
正面には来賓用の馬車が整然と並んでいる。しかしリアムは、そっちに向かわず、氷の宮殿の中心部にある庭を突き抜けるとミーシャに説明した。
「城塞でもある氷の宮殿は大きくて広い。上空から見ると六花……雪の結晶の形になっていて、それぞれの建物は独立している。すべて回廊で繋がっていて、建物内を通った方が暖かいが遠回りなんだ」
「陛下は雪、平気ですものね。庭を横切った方が早いんですね」
「ああ平気だ。だから、ミーシャはこれを着て」
リアムは自分が着ていたクロークをミーシャの肩にかけると再び抱き上げた。
「陛下。あの……」
「ひらひらのドレスに、そんな頼りない履き物で雪の中は歩けないだろう」
その通りで、言い返せない。ここを突っ切って行くと言い出したのは彼だ。ミーシャは黙って身体を彼に預けた。
さくさくとリアムが雪を踏みしめる音だけが耳に聞こえる。侍女のライリーもジーンたちもいない。静かな夜の雪の庭に二人きりだ。
「雪、きれいですね」
「雪は今日が初めて?」
「ええ、生まれて初めてです」
正確に言えば、ミーシャとして生まれてからは、だ。目が慣れてくると、ふと気づいたことがあった。
「陛下。あの、あそこ。どうして庭の中央部分は、光っているんですか?」
おそらく雪の結晶でいうところの中心部分だ。リアムは足を止めると口を開いた。
「あそこは氷の泉。泉だけど一年中、凍っている」
「青白く発光しているということは……」
「流氷の結界の一部だ。氷の宮殿は高い丘の上に建っている。クロフォード王家に伝わる古い本によると、この地下はすべて凍っているらしい」
「凍った大地、と言うことですか?」
「おそらく。短い夏でもここだけは雪が残る。そして泉は、この広いグレシャー帝国の川と繋がり作用している」
「帝国ってとても広いですよね? 繋がっているなんてあり得るんですか? 本当に?」
「ずっと、あの泉の存在が気になっていたから、調べたんだ。そしたら建物の地下に大きな空間があった。しかし、宮殿の地下は全部氷で埋め尽くされていて、最深部まではとても行けそうにない」
「陛下の力でも?」
「俺は氷を生成するのが得意で、解氷、溶かすのは苦手なんだ。できるけど時間がかかる」
そうだったと、ミーシャは思い出した。
クロフォード家の氷を操る力は創造に長けている。オリバーも同様で、幼いリアムが力を暴発させてあらゆる物を凍り漬けしていくのを、抑えるのに苦労していた。
「陛下は、地下にある氷を使って、結界を国中に発動させることができると思いついたんですね?」
リアムは頷いた。
「グレシャー帝国の人は、そのことを知っているんですか?」
「漠然と、かな。宮殿から俺が魔力を使って結界を張っている。くらいだろう」
「氷の宮殿と、凍ったままの泉。地下で繋がっている、氷の空間……」
気になる。もし、今もクレアほどの魔力があり、炎の鳥を自在に操ることができれば、その氷すらも溶かすことができたかもしれない。
「今、氷を溶かしてみたいと考えただろ?」
「なぜわかったんですか?」
「顔に書いてある」
ミーシャは慌てて顔を隠した。
「手を離すな。危ない」
「陛下が勝手に私の考えを読むからです」
ミーシャはリアムの頬にそっと触れた。陶器のように滑らかな肌はやはり冷たい。
「陛下が、氷の宮殿を離れるとき結界の維持はどのように? 魔力は、常に発動しているんですよね? 寝ているときも?」
「一変に質問しすぎ」
「だって……陛下を早く治療して差し上げたいですから」
「つまり、俺を早く治して、国に帰りたいってこと?」
雪混じりの冷たい風が頬を撫でる。乱れた髪をミーシャは抑えながら、じっと自分を見つめるリアムに向かって頷いた。
「もちろんです」
リアムはゆっくりと瞼を閉じたあと、目を細めた。
「わかった。君の願いを一刻も早く叶えられるように、協力する」
リアムは視線を前に向けた。雪風など気にする様子もなく、泰然とした態度で雪の庭を進んだ。
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