第49話 凍えそうな距離

 猫のように少し釣り目で大きな瞳がじっとミーシャを見つめる。警戒しているのか、それとも魔女に触れるのが嫌なのか、いきなり打ち解けるのは無理だったかと諦めて、手を引こうとしたときだった。

 彼女はミーシャの手を両手でがしっと掴んできた。


「……すごい、覚悟でいらしていたんですね。令嬢は社交会には一切出ない、病弱で引きこもりのお嬢さまだと聞いていましたから正直、驚きましたわ」

「病気は、その……克服しましたの」

「克服! そうだったのですね。どのようにして?」

「………………自力で?」

 そもそも病気ではない。身体はいたって健康だ。リアムに会わないために作った言い訳を思い出し、ミーシャは目を逸らす。


「そうですか。ご自分で病に打ち勝ったんですね、陛下を守るために。私たちは同じ目的を持った同士。仲よくなれそう!」 

 血統付きの上品で警戒心の強い猫が、心を開いてくれたような感覚だった。ナターシャは目を煌めかせ、ミーシャの手をぶんぶんと振った。


「仲よく……。ええ、そうね。よろしくお願いします」

 ミーシャがたじたじになっていると、ナターシャの肩越しにリアムが戻ってくるのが見えた。助かったとほっと胸をなで下ろす。


「紹介をする前に打ち解けたようだな。何をそんなに盛り上がっている?」


『クレアは呪い』と『仮病について』とはとてもじゃないが言えない。違う話題を考えている間に、ナターシャは頬に淡い紅を浮かべ、ドレスを翻してリアムに近寄った。


「リアム様。先ほどぶりですね」


 ……ん? 先ほどぶりって……いつ?


「明日も我が家に来られます? 今度はもっと、ゆっくりなさってくださいね」

 目の前で、ナターシャはリアムの腕に自分の腕を絡めた。

 ミーシャを部屋に案内した後、彼は執務室で仕事をしていたものだとばかり思っていた。

 

 リアムは夕刻までの短い時間を割いて彼女、ナターシャに……わざわざ会いに行っていた?


「だーかーらー調子に乗るな、ナターシャ!」

 来賓の相手をしていたジーンは、慌てて駆け寄ると、妹をリアムからべりっと引っぺがした。


「ここは公の場。人の目があるのを忘れたのか!」

 ナターシャはジーンに怒られても平然としている。

「これくらいの触れ合い《スキンシップ》いつものことでしょう?」


 リアムとナターシャはいつもこの距離なんだと知り、ミーシャは二人の間に割って入れない。呆気にとられたまま静観する。


「私と陛下が仲が良いことは、皆々様はすでにご承知だと思いますわ」

「おまえ、ミーシャ様の前で誤解を招くようなことを言うな!」

「あら。陛下に群がる邪魔な虫たちを、これまですべて追い払えてきたのは、わたくしのおかげよ? 感謝して欲しいくらい」

 言いながら、ナターシャはリアムにそっと寄り添った。

「今邪魔をしているのはおまえだ!」


「……だから、いい歳して兄妹喧嘩をすぐに始めるな。うるさい」

 リアムは無表情のまま、ふうっとため息を吐いた。


「……仲がいいのね」

 思わず口から零れた。

 リアムとジーン、ナターシャの視線を感じ、ミーシャ急いで自分の口元を隠す。


「ミーシャには、この兄妹が仲よく見えるのか?」

 少しうんざりした様子で質問してくるリアムに、苦笑いを返した。

 

 仲が良く見えるのは、兄妹のことではない。

 リアムとナターシャだ。

 長い付き合い、気心が知れているということがしっかりと伝わってきた。

  

 自分の知らないリアムの顔を見ることができて嬉しくなるはずなのに、なぜか寂しい。

 

 ……おかしい。パーティーが始まってから、リアムが、遠い人のように思える。

 いや、あたりまえだ。相手は隣国の皇帝陛下。この距離が正しい。そのはずなのに……。


 ミーシャは鈍い痛みをともなう胸にそっと、手を添えた。


「……陛下。お話中に申し訳ございません。少々、風に当たって参ります」

「風?……わかった。俺も行こう」

 リアムはミーシャをエスコートしようとしたが、

「リアム様。少しは気を遣って。令嬢はこれからお花を摘みに行くのよ」

 ナターシャの言葉に、リアムは口を噤んだ。


「……そうか。すまないナターシャ、付き添いをお願いできる?」

「ええ。もちろん」

 一人でも大丈夫だが断るのもはばかれる。リアムにお辞儀をして、彼女とその場から離れた。


 ……苦しいのはきっと、着慣れないドレスのせいね。食事もままならないほどの締め付け具合だもの。

 顔を上げて、ミーシャは改めてフロアを眺めた。


 パーティーは立食形式だった。いたる所に美味しそうな料理が並ぶ。広い会場を埋め尽くすほどの来賓客は千人以上だという。それぞれが自由に酒を飲み、食事をして会話を楽しんでいる。

 ずっと生の演奏が流れ、パートナーとダンスをしている。


 あたたかく和やか雰囲気は祖国、フルラを思わせた。

 形式張った格式高いものではなく、自由で優雅な歓迎会にしたのはリアムの案だと、ここへ来る前にジーンから聞かされた。

 

 極寒の地を、何百年も何世代も繋いで豊かにしたクロフォード王家。

 歴代の王に守られ、豊かになったグレシャー帝国で幸せに暮らす人々。

 想像以上にすばらしく自由で華やかな会場。そこにいるよそ者で悪魔女の自分は、やっぱり、異物。異質な存在に思えた。


 ……弁えなければ。 

 自分は陛下を治療したらこの地を去る者。

 クレアの呪縛を解いて、身を引く。

 打ち解けるのはいい。だけど溶け込むことは決してない。……してはならない。


 自分の肩を両手で抱く。

 暖かいはずの会場でひとり、ミーシャだけが凍えるように寒かった。

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