第14話

 いやマジで何すんの。

 帰宅して、妹の頭を撫でて、自分の部屋を見回した。勉強机。演劇関係の本とDVD。iPad。携帯ゲーム機。ベッドと縫いぐるみ。小さな本棚に漫画が十数冊。

 ここに土屋が来て、一緒に遊ぶ? え、あいつゲームとかするのか? びっくりするほど似合わない。

 というか、あの女は普段、何をしているのだろう。休みの日とか。

 ……勉強? 特待生だし。

 美浜大附属はそれなりに偏差値の高い高校だから、そこの特待生ともなれば、相当な努力が必要なはず。

 もしくは、バイトとか。

 バイト。バイトね。土屋にまつわる噂を思い出す。そこから連想した職種は、限りなく非合法的だった。レンタル的な彼女的な、そういうのだ。

 見知らぬスーツ姿の男───いや、あいつの場合女か? ならスーツ姿の女と、どこかの高層ホテルでディナーを食べる土屋琥珀を想像して、世界観の違いに眩暈がした。まさか、ご飯食べて終わりではないだろう。終わるのだろうか。分からない。

 美浜大附はそれなりに偏差値の高い高校だし、附属校なので、よほどの問題児でなければ国立大学の推薦が貰える。

 だから、分かりやすい不良は少ない。

 明け透けな話が出ることもない。そもそも私がそんな話を交わせるのは、よもぎか、演劇部の面子くらいだ。

 一組だけ、部員同士で付き合っていたカップルを知っている。それは、はたからみても平和で平坦で、凪のように穏やかな交際だった。手を繋ぐことを一大イベントに数えるような、そういう恋愛だ。清く正しく美しく、そして彼方にあるものだった。

 現実よりはまだ、芝居の中の恋のほうが、私にとっては身近な気がした。けれど、どんなに運命的な恋愛劇も、主役とヒロインの口づけで幕を閉じる。

 カーテンコールの先にあるものを、私は知らない。

 だから、土屋琥珀の生きている世界が想像できない。

 分からないものは、やっぱり少し、怖かった。

 

  †


 土曜の十三時、チャイムが鳴った。きっかり約束どおりの時間だった。


「いい、友達だから」


 出ようとした母を制して、玄関口へ向かう。ごめん、母。嘘ついた。友だちじゃない。どちらかと言うとその対義語だ。

 扉を開けると、怨敵が微笑んでいた。


「こんにちは水谷。いい天気だね」


「そうね土屋。折角だから、ジョギングでもしてきたら? あんたの家まで」


「い、や」


 めちゃくちゃいい笑顔だった。

 休日だというのに、何故か土屋は高校の制服を着ていた。この前はやけに高そうな服を着ていたのに。恋人と玩具(?)との待遇差だろうか。いや誰が玩具だ。


「見てのとおり、制服だからね」

 

 くるりとその場で一回転する。芸術的な角度で、スカートがふわりと浮いた。垣間見えた真っ白い太腿に、濃紺の影が落ちる。鮮明なコントラストに、思わず目が泳いだ。


「───ふうん?」


「な、なによ」


「水谷ってば、今、えっちな目してた」


「馬っ鹿じゃないの」


 仕返しのように、土屋の視線が私の全身を上下した。カットソーにハーフパンツ。何の面白味もない室内着に、目をすがめる。何がそんなに気になるのだか。


「とりあえず、入れてよ。水谷」


「…………どーぞ」


 そつなく挨拶する土屋を見て、母は感激し、妹は目を丸くしていた。友人を家に連れてくるなんて、それこそ小学生の頃以来だ。

 外見だけは異様に清楚な土屋を見て、母は妹といそいそとケーキを買いに出掛けた。全くもって、余計なお世話だ。お茶漬けでも出してやればいいのに。


「ふうん、こんな感じなんだ」


 床に座った土屋が、ぐるりと室内を見渡した。


「なんか文句ある?」


「別に? いい部屋だと思うよ。綺麗で」


 普通だと思うけど。床には漫画本が落ちているし、本棚の下段は埃をかぶっている。

 土屋は、私のシングルベッドをちらと見て、「座っていい?」と寝言を抜かした。駄目に決まっている。拒否すると、彼女は嫌味ったらしく肩をすくめた。


「びびり過ぎだよ。何もしないって」


「信用できるわけないでしょ」


「えぇ?」


 くすりと微笑う。

 結局、土屋は床の上に腰を下ろした。自分だけ椅子というのも気が引けて、私もフローリングに座り込む。お尻がひやりと冷たい。沈黙が怖くて、私は尋ねた。


「で、何する? ていうか、土屋って普段なにしてるの?」


「普段って?」


「いやだから……普段。放課後とか、休みの日とか」


 聞いてから、しまったと思った。プライベートに触れるのは、悪手のような気がした。気まずい沈黙も苦手だけれど、この前のような展開は本当に勘弁して欲しかった。

 「興味あるの? やらしいね、水谷」とか言って迫られたらどうしよう。父は仕事で、母と妹は後一時間は帰ってこない。やばい。


「勉強」


「ごめん別に言い難かったら───勉強?」


「うん。勉強」


 勉強。学問。予想の範疇ではあったけれど、高校生の休日の過ごし方としてはかなりレアだ。


「……土屋、頭良いじゃん。特待生だし」


「特待生だからだよ。学費を免除してもらわないと、私、学校に通えないから」


「へえ」


 え。

 一拍遅れて、その言葉の意味に気づく。

 思わず、彼女の姿を見返した。休日なのに制服を着ているその意味を、つい深読みしてしまう。

 反応に惑う私に、土屋が軽薄に微笑んだ。


「同情してくれていいよ。慣れてるから」


 言葉に詰まる。心にもない優しい台詞なら、いくらでも思いついた。大変だね、とか。偉いね、とか。相手がこの女でなければ、私だってそういう通りいっぺんの言葉を掛けただろう。きっとそれが正解だ。

 でも、こいつは土屋琥珀だから。


「嫌だ」


 と私は言った。


「あんたは同情されて喜べるほど、性格良くないでしょ」


 土屋は目を見開いて、私の顔をまじまじと見つめた。

 パッと見ではとびきり清楚系な彼女は、その実、ひどく丁寧に持ち上げた睫毛をしている。


「それに、あんたの親が金持ちだろうが貧乏人だろうが、私があんたを大っ嫌いなのは変わらないから」


「───あのさ、水谷」


「なに、なんか文句ある?」


「ちょっとキスしてもいい?」


「嫌に決まってんだけど⁉︎」


 四つん這いでにじり寄ってくる土屋の肩を、げしげしと足の裏で蹴飛ばす。遠慮なく腿に力を込めたら、「痛い」と嬉しそうに抗議された。


「あはは、ごめんごめん。今の、嘘だから」


「は?」


「うち、それなりに裕福だし。学費くらいどうにでもなるよ。制服なのは、ただの趣味」


「はああ⁉︎」


 なんだそれ。再び足が出た。だから痛いってば、と土屋が笑う。


「言っとくけど、あんたが私に迫ってくるの、普通に浮気なんだからね」


「誘ったのは水谷のくせに」


 はあ⁉︎


「いやそれは違っ───くは、ないんだけど……」


「悪い子だね、水谷。親友の彼女を寝取るなんて、いけないんだ」


「ねっ、寝取っ、……馬鹿じゃないの⁉︎ 誰が! それじゃ、本当の本当に浮気じゃん!」


「へえ」


 土屋の目に、嗜虐の色が浮かぶ。思わずぴくりと肩に力が入った。


「水谷的には、キスまでならセーフ、なんだ。随分な貞操観念だね」


「だから……それは……」


 セーフなわけがない。

 しかも私は、親友とその恋人の関係が進むことを妨害しているわけで、おそらくただの浮気よりもタチが悪い。

 それくらいのことは理解している。けれど。

 いやでもさ。私の脳内弁護士が囁く。

 土屋はロクなやつじゃないよ。こいつによもぎが弄ばれるのを防ぐのは、あの子のためになるんじゃない?

 よもぎへの罪悪感と、これは倫理的に正しい行為だと言い訳したい気持ちと、その奥にある「誰にも草野よもぎを触らせたくない」という渇望が、私の心をぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。


「うそうそ。あれは仕方ないって、水谷」


 曲げた膝にもたれた土屋が、悪魔みたく微笑んだ。


「そうしないと、評判最悪の土屋さんが、大事な大事な親友の唇を奪っちゃうところだったんだから。仕方がない。何も悪くないよ。水谷は」


 マッチポンプを仕掛けながら甘やかな赦しを口にする彼女は、本物の悪魔のようだ。見た目の美しさがその解釈に拍車をかけている。きっと、人を誘惑する魔性というのは、皆んな彼女みたいな顔をしているに違いない。

 無意味だと知りながら、私は尋ねた。


「ねえ。よもぎと別れて、って言ったら、どうする?」


「普通に、やだ」


 晴れやかに笑う。


「ぶっちゃけ、草野さんってかなり私の好みなんだよね」


「……胸が、でしょ」


「顔も。大事だよ、顔も身体も。私たちの一部なんだから」


 くそ、もっともらしいことを言いやがって。


「ま。今のは、受け売りだけどね」


「なにそれ。映画か何か?」


「違うよ。私を救ってくれた人の言葉」


 なんだそれ。大袈裟なことを言う。

 土屋はそれ以上何も言わず、液晶パネル付きの携帯ゲーム機の側に近づいた。指先でコントローラの曲線をなぞり、首を傾げる。


「これ、どうやるの?」


「……え、あんたゲームとかすんの」


「やったことないから、やってみたい。教えてよ、水谷」

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