Ⅴ
儂の先輩から、若い頃教えられたことが二つあるんじゃ、
一つは、 〈犯罪者は、必ず現場に戻る〉 と言うことと、
もう一つは正反対の〈犯罪者は、二度と現場に近寄らない〉 ということじゃった。
儂の長い刑事生活で学んだことは、確率的に前者のパターンが多いということじゃった。つまり、まだ人間として の良心を僅かでも持っている犯人は、現場に戻る確率がたかい。逆に本当の悪人、人間の良心をまるで持たない犯人は、現場を避ける確率がたかいと言うことじゃな」私は、笑いながら尋ねた。
「では、私もその殺人犯の容疑者として、諏訪さんは近 寄ってきたのですか?」
「いや、すまんことじゃ。昔の癖が直らなくてな。人を見たら泥棒と思えってところかな。すまん、すまん! 勘弁してくだされ。私が近寄ってきたのは、貴方は子供たちを見ているようでいて、ある一点を見詰めていた。実は、 そこが彼女の撲殺死体が遺棄されていた場所なのだったので、つい、気になってな。すまん、すまん」 そういって、諏訪さんは私に頭を下げた。
しかし、私の頭の中で何かが蠢いた。
「諏訪さん、その事件のことを詳しく話してもらえませんか?」
「ほーっほほ、興味が湧きましたかな」諏訪さんは、座り直した。私は、諏訪さんとの話に夢中になり、ふと気が付くと、隣に座っていたはずの新吾がいない。慌てて立ち上がり周囲に目を凝らすと、子供たちのサッカーの玉拾いをしていた。結構楽しそうにしているので、そのまま見守ることにした。諏訪さんは、少し 躊躇っていたが、ゆっくりと話始めた。
「十年前の十月一日の早朝だった。川原で女性が倒れていると、早朝ジョギングをしていた男性から通報があったのじゃ。その女性は後頭部を何か固いもので殴られていて、多分川原にあった大きな石だろうが 、頭蓋骨骨折で亡くなっていた。M大学四年生の、いずみ きょうこ(二十二歳)という女性だった。学生証が見つかったので、身元はすぐに解った。現場検証が行われたが、死亡時刻は昨夜つまり九月三十日の午後十時か ら十二時の間と判明した。しかし、残念なことに、たまたまその夜に大雨が翌朝まで降り続いた為、めぼしい物証は見つからなかった。ただおかしな事に女性は、裸足で見つかり、白いハイヒールが揃えて死体の近くの川岸 にあったのじゃ。入水自殺でもしようとしたのかな? しかし、それでは何故殺されたのか、訳がわからない」
〈和泉恭子・・・? どこかで聞いたような名前だな・・・〉
私の脳に響いた。
「なぁ、設楽さん、おかしいと思わないですか! 自殺しようとしていた女性を助けたのなら解るが、撲殺している。不思議じゃ! 雨のために足跡なんかも流されてしまって、捜査はいずみさんの人間関係を探るしかなかった。男女の縺れか? 怨恨か? もう一つ司法解剖で判明したことがあり、彼女は妊娠していたのじゃよ、ますます、奇怪な事件であったんじゃ」 ーー・・・妊娠・・・ーー
私の脳で響いた。諏訪さんは話続けた。
「妊娠していた事実がわかり、捜査一課の刑事たち は男性に容疑を絞り、M大学の友達関係や自宅のある山梨県の甲府市で彼女の周辺を徹底的に調査したのだが、有力な手がかりもなく容疑者も浮かばなかった。このままでは迷宮入りじゃな」 と、諏訪さんは、先生に起こられたような生徒のような目で、 悪戯っぽくチラリと私を見た。
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