36.誤解だったらしい

「ええっ!?」


 中川さんは驚愕の声を上げた。その後で、「なんで知ってるの?」と続くかと思っていたのに、現実は違った。


「なんで? 私も彼氏とかいたことないよ!」

「え、じゃあ……」


 あの日、見かけたチャラいイケメンはなんだったんだ? 肩を抱かれて、とても仲が良さそうに見えたのに。


「茶髪の、イケメンと……」

「え? それっていつ? もしかして……」


 中川さんが身体を起こした。すみません、薄着のまま起き上がるの止めてもらっていいですか。いくら暗くても目が慣れてきてるんで、こう、胸の形が……。言ったら殴られそうだから言わないけど。俺は不自然にならないよう、細心の注意を払って目を逸らした。


「えーと……よく覚えてないけど、期末の前だった、と思う。キッショウ駅にいたよね?」


 もう何か月も前のことだったから記憶があいまいだ。でも、期末テストの前だったことは覚えている。あれがきっかけでテスト勉強が手につかなくなってしまったのだ。おかげで期末テストの結果はボロボロだった。普段から勉強してないせいだって? ほっとけ。


「……うん、いたわ」


 中川さんは少し間を開けて肯定した。

 やっぱり、って思った。


「でも、彼氏じゃないわ。あれは……ソロキャンプが好きって人たちの集まりで……」

「え?」

「あんな集まりだって知ってたら行かなかった……。きっと、まともな集まりもあったのかもしれないけど、私が参加したのは外れだったと思う」


 悔しそうな声。中川さんは俯いていた。


「一緒にキャンプしないかって、ソロキャンプなんて女の子一人じゃ危ないよって。でもそれじゃソロキャンプって言わないじゃない」

「……うん」

「ナンパ目的だって途中で気づいて、お店も急いで出てきたんだけど……あの男が追いかけてきて仲よくしようって。一緒にキャンプしようってしつこくて……」


 あの慣れ慣れしさは付き合っていたわけじゃなかったのか。それに気づいたらなんか腹が立ってきた。おのれ俺がこんなに我慢して中川さんに触れないようにしているというのにあの男は何様なのか!


「あんまりしつこくて、最寄りの駅まで着いてきちゃって、こわくて……ネットで知り合った人だから、あの後何度も連絡きて、夏休みもうすぐでしょって、遊ぼうって……冗談じゃないって思ったの」

「それで、二果山(にはてやま)に?」

「うん、二果山から縦走できるじゃない? だから途中の山で何日か籠ってどうしようか考えようと思って……」

「そう、だったんだ……」


 なんてこった。俺は失恋したわけではなかったらしい。

 つっても、中川さんにその気がなかったら結局失恋するけどな! 今はそれどころじゃないしな!


「そうしたら、山じゃない原っぱにいて……びっくりしたわ」

「まぁ……いきなり景色変わったらびっくりするよな」


 中川さんは笑った。


「でもね……私、助かったって思ったの」

「…………」

「もうアイツのことも、親のことも考えなくていいんだって……」

「……親?」

「うん」


 聞いていいのかわからないけど、これはきっと聞いてほしいのかもしれない。


「うちの親、別居するんだって」

「……そっか」


 重い。なんか重すぎて何も言えない。


「あ、でも、別に不仲とか、不倫とかってわけじゃなくて……仕事の関係で生活圏も考え方も違うから一時的に離れるって話みたいで、どっちについてくる? って軽く聞かれてさー……」


 中川さんはため息をついた。


「私は今の学校嫌いじゃないからこっちに残ってもいいかなって思ったんだけど、へんなヤツに目をつけられちゃたじゃない? だからどうしようかなって……こんなバカな話親には言えないし」

「え? でもソロキャンプで何日か二果山にいるつもりだったんだろ? それについては親御さん、何も言わなかったの?」


 中川さんは、今度は大仰にため息をついた。


「……自分のことを自分で責任取るなら何してもいいって……放任といえば聞こえはいいけどぶっちゃけ放置よね。だからいつも通りメモだけ残して出てきたわ。もしかしたら五日ぐらい帰らないかもって書いて」


 うちの親みたいにああでもないこうでもないと絡んでくる親もいれば、そうじゃない親もいるんだな。


「だからね、私は……元の世界に未練なんてないわ」


 そんなことはないと思うけど、ここで否定したら嫌われるパターンだ。母親がそういうのはかなり口を酸っぱくして言っていた。


「そっかー……。ま、俺もそんなに未練はないかな」


 親にここにいるって連絡はできたらいいとは思うけど、うちの親のことだから本当に異世界に行ったんじゃないかって思ってそうだし。ま、それ以前に生きるのがたいへんすぎてまだ実感が湧かないだけなんだけどな。


「……私たち、気が合うね」

「うん、そうだな」


 中川さんが笑う。

 そしてやっと寝ることにした。

 そっかー、中川さんには彼氏はいなかったのか。じゃあ俺二果山に登らなくてもよかったじゃん。でも登らなかったらきっと中川さんと離れ離れになって、下手したら一生会えないなんてこともありえたんだろう。だからこっちに来て、会えたのはよかったと思う。

 嘘から出た実ではないけど(意味が違う)、俺が誤解したことから偶然こんなことになってしまったわけだな。あのチャラ男はきっとストーカー予備軍だったに違いない。誤解して守れなかった分、こちらの世界ではできるだけ俺が守ろう。

 具体的にどうしたらいいかわからないけど、とりあえず明日の朝は筋トレをしようと思った。

 そういえば最近全然トレーニングしていなかった。まぁ、それ以上に動いている気はするが。

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