72話 江ノ島観光
なんやかんやで夏の海を
午後の二時を過ぎたくらいに、ビーチからは引き上げることにした。
「ねえ夜空くん。私、
水着から私服へ着替え終わって合流した詠が、俺にそんなことを提案する。
そして、手持ちのかごバッグからガイドブックを取り出すと、パラパラとページをめくって、江島神社の特集ページを俺の方へ差し出してきた。
「みてみて。有名な縁結びの神社で、恋愛運アップのパワースポットなんだよっ!」
詠の目がキラキラしている。その様子がとっても可愛らしくて、思わずこっちも笑顔になってしまった。
「もちろん、詠が行きたいところなら、どこだってついていくさ」
「やったー! ありがとう夜空くん!」
両手を上げて、喜びを表現する詠。
「じゃあ詠。さっそく行こうか」
「うん!」
俺は詠に向かって手を差し出す。
彼女は嬉しそうに微笑んでから、俺の手を取ってくれた。
「えへへ」
そうして俺は、詠と一緒に手を繋ぎながら、江島神社へ向かうことになった。
ビーチから移動し、人波に沿って、江の島に続く大きな橋を二人で渡る。
「この橋を渡った先はね、神社に向かう参道になってるんだけど、お土産屋さんとか食べ物屋さんがずっと並んでるんだって」
「いいねぇ。楽しみだな。ちょっと小腹も空いてるし、なんか食べたいな」
詠と話しつつ、二人で
詠の言う通り、道の両サイドにはたくさんの店が
「すごい人だね!」
詠は辺りをキョロキョロと見回しながら楽しげな声を上げる。
「確かに。やっぱり夏休みだからかな」
ビーチの人混みも凄かったけど、こちらも負けていない。江の島の観光地としての人気ぶりが伺える賑わいだった。
「はぐれたら大変だ!」
「まあ、手を繋いでるし、大丈夫でしょ」
「うん。でもさ……」
詠はそこで言葉を切って、何かを言いたげな表情で俺の顔を見つめてくる。
「? どうしたの?」
「ね、夜空くん。こうすればさ……もっと安心だよ?」
詠はそう言うと、繋いだ手を一度離してから、俺の腕に自分の腕を絡めて、ピトッと身体を寄せてきた。
「え、えっ……!?」
突然の体の密着に大慌てになる俺。
「ふふーん、これで絶対はぐれないから安心だ」
「いや、あの、その」
腕に当たる柔らかい感触だとか、制汗剤の
色々と意識してしまい俺の頭はプチパニックだ。
「あの。俺、結構汗とかかいてるよ……!?」
「そんなの、ぜんぜん気にしない」
「あーうー」
「もしかして、夜空くんはこういうの、ヤダ?」
これは、俺の答えを分かったうえでイジワルで言ってるんだろう。
実際、嫌なことなんてあるわけなくて。むしろ最高すぎるシチュエーションだ。
「イヤじゃない。むしろ嬉しい」
「えへへ〜、よかった。私もすっごく嬉しい!」
満面の笑みを浮かべながら、抱きつく腕の力をギュッと強める詠。
ぽよんと、二の腕あたりにあたる暴力的に柔らかいおっぱいの感触に、俺はもうドキドキしっぱなしだった。
そのまま俺たちは、立ち並ぶお店を冷やかしながら、神社に向かって、
「ちょっと、そこの仲良さそうなカップルさん!」
ふと、とある和菓子屋の
「俺たちですか?」
「そうそう! そんな見せつけるみたいにピッタリとくっついちゃって〜。若いわねぇ、良いわねぇ」
そう言ってニコニコと愛想の良い笑顔を向けてくるおばちゃん。
「アンタたちみたいのにね、ピッタリのお菓子があるのよ。よかったら食べてきなよ」
おばちゃんがそう言って、店内の方を指差した。
そこには、くずし字でまんじゅうと書かれた
今まさに饅頭が蒸されているのだろう、蒸し器からは、白い湯気がほわんほわんと上がっているのが見える。
「饅頭だってさ――どうする?」
「私は別に構わないよ」
俺たちが立ち止まって相談していると、おばちゃんはまくし立てるように言葉を続けた。
「うちの饅頭はただの饅頭じゃないの。ほら、色が茶色と白で二つあるでしょ? これ、
「夫婦饅頭?」
「そうよー! うちのお饅頭をあんたたちみたいなカップルが二人で食べたら、愛情満載、夫婦円満間違い無しって言われているの。しかも、この
おばちゃんの説明を聞くと、ただの饅頭がやたらと霊験あらたかに感じてくるから不思議だ。
「詠、せっかくだから――」
「二個買います!」
俺が声をかける前に、詠はすごい勢いで即答していた。
「はい毎度ありー! いま蒸したてを持ってくるからちょっと待ってなさいな……」
おばちゃんは店内に入ると、包み紙に
「じゃあ、お兄さんの方はこれね。それで、そっちの可愛い子ちゃんには、特別にオマケして二個あげる」
「いいんですか?」
「アンタ、あたしの若い頃にそっくりだからねぇ、あっはっは。トンビに取られないように気をつけて、二人で仲良くおあがんなさいな」
おばちゃんはそう言って思い切りの良い笑い声をあげた。ていうか、詠は四、五十年後こうなるの?
「ありがとうございました!」
俺の疑問を他所に、詠は嬉しそうな顔でおばちゃんにお礼を言った。
そして、再び仲店通りを歩きながら、饅頭を頬張った。
熱々の饅頭をハフハフしながら食べる俺と詠。
「ん〜っ、おいひぃ!」
「うん、うまい」
表面の薄皮はしっとりとしていて、そこを破るとこし餡の上品な甘さが口いっぱいに広がる。
「私、こんなに美味しいお饅頭は初めて食べたかも」
「確かに、俺、あんまり和菓子って食べないだけど。これは美味しいと思う」
詠のこぼした感想に、俺も同意する。
「ふふ、きっと夜空くんと一緒だからだね」
「え……?」
「だって、好きな人といっしょだとね、どんなものでも美味しく感じるんだよ」
そう言って、俺の方に視線を向けて微笑む詠。
その表情はとても柔らかくて、優しい。
俺はその顔を見て、胸の奥がきゅうっと締め付けられてしまった。
「確かに、そうかもね……」
顔に熱さを感じながら、だけど、詠の意見に同意した俺。
そのとき。
「そこのカップルさーん」
また別の客引きが俺たちに声をかけた。
声の方に視線を向ける俺たち。
「江ノ島名物くさやの干物! デートの記念の度胸試し! 食べてかないかーい?」
俺と詠は思わず顔を見合わせてしまった。
「くさやだって」
「えっと、うん」
「……」
「……」
「どうする? 詠理論だと、きっとくさやも美味しくいただけると思うけど」
俺は少しだけイジワルな表情を浮かべて、詠に問いかけた。
今日一日、詠にはドキドキされっぱなしだから。ちょっとしたお返しだ。
「え、えーっと……」
途端に困り果てる詠。
さすがにくさやは少し抵抗があるらしい。
俺はそんな詠の表情を見て、思わず吹き出してしまった。
「はは、冗談だよ」
「もうー夜空くんのイジワル」
不満げに口をとんがらせる詠。
そんな様子も可愛くて、俺は詠の頭に手を乗せて、優しく撫でた。
******
注:くさやは美味しいです。
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