第4話 境遇
『おい、そろそろ起きろよ』
「お、重い……」
瞼を開けてみれば、胸の上に乗っかった重りがジトッと此方を睨んでいた。
やけに丸くてデカイ、モサモサしているブサ猫様。
俺を助けてくれたこちらのブサカワな御猫様は、どうやらこの家の飼い猫だったらしく。
お爺ちゃんとリリシアさんを呼んで来てくれたのもコイツの様だ。
だからこそ感謝しきれない思いはあるし、唯一普通に会話が出来る相手なので、俺としても心の平穏を保つ鍵になりそうな存在ではあるのだが。
「今日は虫とか捕まえて来てないだろうな?」
『まさか虫如きにあんなに怖がるとはなぁ……安心しろ、土産は無しだ』
「蝉とか芋虫とか持って帰って来たらマジで引っ叩くからな」
『ったく、助けてくれた相手に対して言う事がそれかよ』
そんな会話を終えてみれば、猫は俺の上から退いてくれた。
いやぁ、普通に重たい。
俺がちびっ子になっている影響もありそうだが、一晩中乗られたら悪夢を見続けるか圧死しそうだ。
「おはよ、猫」
『おめぇも猫だろうが、獣人だけど。俺はビルだ、覚えろ』
「うい、ビル。覚えた」
『よろしい。飯に行こうぜ? もう二人共起きてんぞ』
何だか妙にフレンドリーな猫に誘われて、いそいそと寝室を後にしてみれば。
ドアを開けた瞬間から、とんでもなく良い匂いが漂って来た。
お、おぉ?
昨日の焼き鳥も旨かったので、朝食にも期待大。
夜はお爺ちゃんの方が作っていたが、リリシアさんは料理出来ない系女子なのだろうか?
だとしても可愛いから全然OKだが。
なんて、自分でも何様だと思う感想を残しながらキッチンを覗き込んでみれば。
「スー、――――」
笑顔のエルフお姉さんが、キッチンに立ちながら笑みを浮かべて振り返った。
天使かな? 俺も将来こんなお嫁さんが欲しい。
でも今の俺、女の子なんですよね。
だとしたら何? 旦那を探すの?
キッチンに立ってくれる理想形男子を探すの?
ちょっと嫌なんだけど、特に夜の営みとか考えると思わず涙が出るくらい嫌なんですけど。
『おい、なんで泣いてる』
「ごめんビル。こんな美しい光景を前に、俺の思考は歪で汚い想像を繰り広げた挙句大爆死した」
『全く分からんぞ』
などと猫と会話をしていれば、エルフお姉さんが慌てた様子で駆けよって来て俺の事を抱きしめた。
そして、再び分からない言葉で優しく語り掛けてくれる訳だが。
「服を着たままってのもなかなか……」
『はぁ?』
「あ、なんでもないっす。んで、エルフお姉さんはなんて?」
『一緒に居てやるから泣くなとよ』
ちょっとぉぉ!?
転移だか転生だか分からないが、二日目にしてハッピーエンド到来か!?
もしかしたら女の子同士が良いとか、そう言う人だったのだろうか?
だとしたらバッチコイである。
俺は一生この人の胸の中に居るとこの場で誓いを立てよう。
なんて、思い切りテンションを爆上がりさせてみれば。
『まぁ、二人共かなり強いからな。そんな
「あぁ~番、つがいっすかぁ。そうだよねぇ、歳の差ありそうなのに妙に仲良さそうだったもんねぇ」
俺のハッピーエンド、早くも撤回。
まぁそれは良い、こんな事だろうと予想はしていたのだから。
というか、あのお爺ちゃん。
白髪のオールバックで、顔にも結構皴がある。
でもなんというか、雰囲気が若いのだ。
頭皮が後退している様子も無いし、肉体は非常にムッキムキ。
腰が曲がっているという事も無かったので、見た目と雰囲気で年齢があまり読めないのだが……。
「なぁビル、あのお爺ちゃんの方は何歳くらいなの?」
未だエルフさんからは抱きしめられながら、猫と会話を続けていれば。
『知らん。しかし俺と同じく、人族じゃもうジジィだろうな。本人に聞いてみるこった、ホラ帰って来たぞ』
そう言ってブサ猫が視線を向ける先で、ガチャッと音を立てて扉が開いた。
そこには、何やら肉の塊をデカイ葉っぱに包んだモノを抱えたムキムキお爺ちゃんが。
「――!? ――――!」
急に叫び声を上げて駆け寄って来たので、普通にビビった。
もしかして自分の奥さんを取られたとでも思ったのだろうか?
だとしたら不味い。
“向こう側”に居た時の男の俺でも絶対勝てそうにない見た目をしているというのに、今の俺は幼女なのだ。
何がどう転ぼうと、こんなムキムキに勝てる訳が無い。
なんて、焦りまくっていれば。
「――!」
エルフお姉さんが何かを叫んでから、より一層俺の事を抱きしめて来た。
何が起きた、修羅場? 修羅場なのか?
チビリそうになりながら怖い顔のお爺ちゃんから視線を逸らし、我らが通訳に視線を向けてみれば。
『お前がピーピー泣いてるから心配されたんだよ』
どうやら、修羅場ではなかったらしい。
ホッと息を吐き出してから改めて彼の方を向き直ってみると、相手は非常に気まずそうな顔でガリガリと頭を掻いていた。
いやぁ、やっぱ雰囲気は若いんだよな。
皺と白髪が年齢を物語っているが……なんと言えば良いのか。
海外のイケメン映画俳優が、実年齢より上の役を演じている時の特殊メイクみたいだ。
それくらいに若そうな雰囲気があり、見た目は年老いている。
だけど、普通に顔は良いと思う。
男の俺でも「うわ、この爺ちゃんめっちゃ格好良いじゃん」とか思ってしまう程。
そらこんな美人も嫁にしますわ。なんて、思わず納得してしまった。
ちくしょう羨ましい、俺は牛乳をいくら飲んでも身長さえ伸びなかったのに。
『おい、お前が余計な事をすると飯が遅くなる。大人しくしておけ』
「了解でっす、ヒモ先輩」
『俺の名前はヒモじゃねぇ、ビルだ』
「うっす」
『それにどうやら……今日は朝から旨いもんが食えるぞ? 良い肉の匂いがする』
そんな訳で、異世界生活二日目が始まったのであった。
――――
「グラベル、今後はあぁいった行動は気を付けてくれ。急に大声を上げる、怖い顔で近づく。大股で歩み寄る、全て禁止だ」
「すまない、何かあったのかと慌ててしまって……」
朝食前。
備蓄庫から帰って来た俺の視線に飛び込んで来たのは、涙を溢すスーと彼女を慰めるリリシアだった。
問題があったのかと思わず声を張り上げて駆け寄ってしまったのだが。
結果はリリシアから非常に厳しく怒られてしまう事態に。
なんでも調理場に立つ彼女を見た瞬間、無表情のまま涙を流し始めてしまったらしい。
抱きしめてみれば落ち着いたという話だから、リリシアの姿を見て母親を思い出したのだろう。
そんな彼女に対して、俺はスーには分からない言葉を張り上げながら近づいてしまった訳だ。
リリシアから叱咤される程動揺してしまった自分にも驚きだが。
しかしそれ以上に、ガタガタと震えながら大きな耳を畳む彼女を見た時。
ズキリと心が痛んだ。
スーに余計な警戒心を抱かせてしまったのではないかと、非常に心配になってしまったが。
「しかし、嫌われなくて良かったじゃないかグラベル」
「本当にな……ビルに感謝だ」
非常に気まずい空間を作ってしまった俺に対して、飼い猫のビルが間延びした声を上げながらすり寄って来てくれたのだ。
まるで敵じゃないとアピールしているかの様に、スーに見せつける様にしてゴロゴロと喉を鳴らしながら。
それを見た影響なのか、スーの表情も柔らかくなり食事を始める時には昨日同様に笑みを見せてくれる様になった。
嬉しそうに朝食を口に運び、彼女の膝に飛び乗ったビルにちょっかいを出され。
何かを喋りながらビルにも食事を分け与えていた。
猫人族だからなのか、ビルとは既に仲良しの御様子。
それをリリシアと微笑ましく見つめ、食事を終えたのがつい先ほど。
彼女に新しい服を与え、着替えて来る様に身振り手振りで伝えた後、こうしてお説教が始まった訳だ。
「しかし、どうする? 今日は私が家に残って彼女に言葉を教えるか? とはいえここには教材になりそうな本の類は何も無い……」
そう言って渋い顔を浮かべるリリシア。
彼女の言う通りなのだ。
この家には、本当に生活する為の最低限の物しか置いてない。
スーの事を考えると、街に出てもう少し色々と買い揃えたい所なのだが……。
「だが急に街に連れ出せば、スーも怯える可能性がある。しばらくは森で過ごさせて、本人が落ち着くか、何かに興味を持つまで待った方が良いんじゃないか? 家に居るか、外に出るか。それもあの子の反応を見て決めれば良い」
「そうだね、あの子も猫人族だ。家の中で留守番させるよりも、外に出た方が気も晴れるって事もあり得ない話ではない。彼女自身に決めさせてみようか」
という事で、俺達の中で今日の予定は決まった。
スーが家の中を選ぶなら、リリシアが言葉の勉強を。
外を望むなら俺と一緒に行動し、彼女を遊ばせる。
今日ばかりは狩りも出来そうにないが、こればかりは仕方ない事だろう。
なんて、思っていたのだが。
「おや、丁度支度が終わったみたいだよ?」
リリシアが長い耳をピクピクと揺らしてみれば、家の奥からトットットという軽い足音が聞えて来る。
そして、扉を開けて彼女が姿を見せてみれば。
「似合っているじゃないか、スー。少し大きいが、ベルトで固定すれば着られない事は無さそうだ」
リリシアの服を着たスーが、ダボダボな恰好で此方に視線を向けていた。
まるで「おかしくないか?」と聞いて来ている様で、その場で背面なども見せて来る。
「大丈夫だよ、スー。似合ってるぞ? もう少し落ち着いたら、お前の服も街に買いに行こうな」
俺も声を上げてみれば、何やら首を傾げながらも納得したのか。
フンスッとばかりに拳を握ってみせるスー。
本当に、可愛らしいモノだ。
なんて、二人して微笑みながら眺めていれば。
「スー!? 何をしている!?」
先程注意されたばかりだと言うのに、また大きな声を上げてしまった。
何たって彼女は、あろうことか壁に掛けてあった弓に手を伸ばしたのだ。
その際ビクッと体を震わせ、また耳を畳んでしまったが。
「おい、グラベル」
「す、すまない……しかしだな。えっと、スー? それは武器なんだ、だから危ない。怪我をするかもしれないぞ?」
今度はなるべく柔らかい声を上げる様に意識しながら、ゆっくりと近付いてみれば。
彼女は身振り手振りで何かを表現し始めた。
何だろう? ワチャワチャと動いている為、良く分からないが。
えぇと、もしかして弓を引く動作を現しているのだろうか?
「まさかとは思うけど、これは狩りに行きたいって言ってるんじゃないか?」
リリシアにもそう見えたらしく、思わず唖然としてしまった。
彼女は、どう見ても十歳そこらの幼い子供。
だというのに、狩りを知っていると言う事なのか?
狩りを生業にしていた家庭で育ったのなら、別におかしい話ではない。
しかしながら彼女のこれまでの行動や仕草、そして身体を見る限りとてもではないがそうは見えない。
狩りをしっかりと教わった狩人には見えないのだ。
だからこそ未だ不安な瞳を彼女に向けていれば、更に彼女の動きは変っていく。
弓を引いて、倒れて、俺達を指差し、食べる仕草。
これは、もしかして。
「まさか、俺達の為に獲物を獲って来ると言っているのか?」
彼女の言葉は、俺達には分からない。
しかしながら、必死に訴えかけて来る彼女の瞳は真剣だった。
まるで縋る様な雰囲気に、神にでも祈るかのような仕草も見せる。
「もしかしたら、以前は無理やりにでもそういう仕事をさせられていたのかもしれないね。奴隷を囮に使って狩りをする。もしくは魔物を狩る時のデコイに使う、色々聞いた事はある」
リリシアがポツリと呟いた瞬間、思わずグッと奥歯を噛みしめた。
こんな小さな子が、自ら狩りに行くと言っているのだ。
とてもじゃないが“狩られる側”に回ってしまいそうな体型をしているというのに。
しかし、こうも必死に此方に訴えかけて来る。
多分、そういう生活を送っていた可能性も高いのだろう。
狩りを教わった事があるのかないのか、それすら分からないがスーは森の中へ行こうとしている。
それも、俺達の為に。
違うだろ、子供はもっと自分勝手で良いんだ。
美味しいモノが食べたいと我儘を言って良いんだ、森じゃ退屈だと暴れたって良いんだ。
だというのにスーは泣きわめく事も無く、喚き散らす事も無く俺達の役に立とうとしているのだ。
とても利口な子だ。
だが、それ以上にこの子の境遇を想像すると胸が苦しくなる。
「分かった、スー。今日は俺と一緒に狩りに行こう。大丈夫だ、絶対に守ってやるからな?」
そう言って頭を撫でてみれば、彼女は不思議そうに首を傾げた後ニカッと笑って見せた。
この子を守ろう、この命に代えても。
心に強い意思を固めてから、小さめな弓を選んで彼女に手渡した。
それでもスーからしたら大きいだろうが。
でもこの子は、その弓を抱いて笑みを浮かべるのだ。
「グラベル、今日は私も行く」
「そうだな、ソレが良い」
リリシアも立ち上がり、全員で準備を始めるのであった。
どうやらスーを心配しているのは俺達だけではなかったらしく。
「んなぁぁ~お」
ビルの奴も、今日に限っては付いて来る気満々の御様子でスーの周りをウロウロしている。
一家総出で狩りなんて、今までこんな事は無かったと言うのに。
思わずフッと笑みを浮かべながらも、いつも以上に気を引き締めて装備を整える俺達なのであった。
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