第19話
「なーんちゃってね!」
高い声で沈黙を破る。
なにが「なーんちゃって」なのか自分でもよくわからない。千尋はもっとわからなかったようで、不思議そうにまつ毛をまたたかせた。
うっ気まずい、となりかけたがめげずに続ける。
「さっき、すげースカッとした。あはははっ、なんかあいつ、カエルが潰れた声みたいなの出してたよね」
ここぞと声を上げて笑う。
あのときはそんな余裕なかったけど、今そう言って思い出したら本当におかしくなってきた。手足をバタバタさせてたのもポイント高い。踏んだらクリボーみたいに100ポイントぐらいもらえそう。
千尋はやっぱり若干不思議そうな顔で聞いてきた。
「……あんなこと言われて、怒らないんですか?」
「ん~まあ内心ね、はらわた煮えくり返ってたけども。それよりこれどうしよっかな~って感じ?」
「力をためてたんですね。それなら私、余計なことしましたね」
「いや違うわ。ボコボコにするとかじゃなくて、どう切り抜けるかってこと」
と強がってみる。
わたしも踏みつけてやりたいとは思ったけども、行動に移す勇気はない。
本当はテンパって頭真っ白で、清奈に電話で助けを求めようとしたとか、ダサすぎて言えない。怒るよりも怖かったとかも言えない。話をはぐらかす。
「ていうかさ、千尋が急に現れたからびっくりしたよ」
「私は、帰りに図書室で本を返してから、下駄箱で、たまたま見かけて……」
「たまたま? それでつけてきたの?」
「それは……怪しい挙動をしてたので」
「ふぅん、あいつ裏でヤバイ取引してるんじゃないかみたいな?」
「そうです」
「そうですじゃねっつの」
千尋の頭頂部をべし、とやる。
反論はないようだけども、冗談で流していいのか。ここは追撃していく。
「ということは、千尋ちゃんはわたしのことが気になってつけてきちゃった感じ?」
「裏庭に桜を見に行ったんです」
「さっきと五秒で言うこと変わるじゃん。嘘下手くそか」
真顔で堂々と言うからたちが悪い。
でも実際どうなんだろうな。わたしのことが気になってつけてきた、というのもないような気がする。そんなこと、するかね?
なら仮に立場が逆だったとしたら。
千尋がそわそわしながら、周りを気にしつつ一人で裏庭に向かうのを見つけたら……。
「意外に押しに弱いんですね」
千尋の声にわたしの思考は遮られた。ほんのわずか揶揄するような含みがある。
いつから見られてたのか知らないけど、冷静になると結構恥ずい。でも間違いではないので、逆らわないことにする、
「あー弱い弱い。わたし千尋みたいに強くないから」
「あっさり断るんだと思ってました」
もうこれきり二度と会わない、とかだったらいいけども、そうあっさりすっぱりはいかない。
突発告られ凸を食らったのは実は初めての経験じゃないけど、さすがに土下座されたことはない。
それを穏便に、事を荒立てず済ませるのって、実はかなりの高等テクなんじゃなかろうか。
「あのさ、男子ってさ。見た目ひょろっひょろな弱そうな感じのやつでも、たとえばなんかこう、取っ組み合いとかしたらさ。やっぱ負けるじゃん?」
「その話とはっきり断らないことと、なにか関係が?」
「んー、伝わんないかな今の感じで」
遠回しな表現は通じないようだ。
わたしが思案顔をすると、千尋は急に腕を折り曲げてみせた。
「私はそのへんの男子には負けないです。強いですから」
「イキっていくね~ずいぶん」
「素手だと及ばないにしても、得物があればまず負けません」
「エモノってなによ怖いわ」
直球でも通じなそう。
しかし得物というと、なんとなく木刀とかを構えてそうな姿が目に浮かんだ。はちまきをしめて。そしてサブ武器に彫刻刀。いや怖いわ。
「あんまり無茶しちゃダメだよ? もう危なっかしいんだから見てて」
「大丈夫です。彼がなにか言ってきたら、全部私がなんとかしますので」
「いやだからそれだよそれ」
言ってるそばからこれだ。
向こうがどう出るかわからないけど、全部引き受ける気でいるらしい。
「けどすごいよね、千尋って。なんか困ったことがあっても、自分ひとりでなんとかしようとするし」
「それ、皮肉ですか?」
「い、いやいや言ってないよ別にその、落書きのこととか」
「言ってるじゃないですか」
あの件に触れると毎度反応が刺々しい。
千尋の中で相当な汚点になっているのかもしれない。弱点か。
けど改めて思い返すと彫刻刀で削って落書きを消すって、すごい力技。わたしにはその発想はないな。千尋らしいとは思うけども。
「だからたまにはさ、ちょっとは人に頼っても、いいんだよ~って」
「別にそんな、頼る人とかいませんし」
「いるじゃないですか、ほら」
にこっとして自分の顔を指さす。なんとも言えない微妙な表情が返ってきた。これにはちょいへこむ。
まぁでも、確かに頼りないか。さっきだって、ビビって動けなくなっちゃってるぐらいだから。
これでもバスケやってたときは頼りにされてたんだけど。エースだの点取り屋だの。
でもそういうのなくなると、わたしってなんもないんだなって。つくづくそう思う。
「とにかく山下がなんか言ってきたら、すぐわたしに言って」
この件はあくまでわたしの問題であって、千尋は関係ない。
いやまあ関係なくはないけど、とにかくわたしがなんとかする。情けない続きばかりなのは嫌だ。
「ふっ……そうはいきません。借りは、必ず返しますので」
珍しく笑ったと思ったら何言ってるのこの人状態。笑顔って言ってもなんか不敵な笑い。そして変にうれしそう。
ここぞで噛み合わない。やっぱりこの人、ちょっと頭がアレなのかも。美人なのに。
「じゃあ、そろそろ」
謎に満足そうな顔のまま、千尋は立ち上がった。
夕陽が長い影を作る。時間的には、この前買い物をしたときよりも早い。
「あ、お帰りですか? えーもうちょっとしゃべりたいなー」
自転車に近寄る背中に言う。変な間があった。
千尋はゆっくり振り向いたが、露骨に視線をそらされた。恥ずかしがってるのかな。
「……ちょっと、今日は用事があって」
「用事とは?」
「用事です」
これは教えてくれないやつ。
なんだかんだで、多少は距離縮まったように思ったんだけど。
「まさか男か」
「違いますけど」
いつも通りの返し。かと思いきや、少しだけ目が泳いだのを見逃さない。
ちょっと動揺しているっぽい。これはあやしい。
実はこんな私にも理解ある優しい彼くんが。なんてことが。
ありえなくはない。それが千尋の謎の強さにもつながっている、とか。
などと疑念を抱いているうちに、千尋は自転車にまたがって、道路へハンドルを向けていた。ペダルに足をかけて、踏み出す寸前でわたしに向かって、
「それじゃ」
と小さく手を振った。
手を振った?
……え、なに今の。かわいい。
不意打ちについ見とれて、ぽかんとして、わたしはノーリアクションで自転車を見送ってしまった。
「う~ん……」
わたしは悩んだ。
それはよくないとは思っている。人としてどうなのか、という思いももちろんある。
だけど今日に限ってはお互い様だ。こっちだってやられたわけだし。
もしかすると彼女も、危険ごとに首をつっこんでいる可能性もある。あるやもしれない。ていうかマジで男か。男なのか。
わたしは立ち上がって、自転車にまたがった。
……よし、つけよう。
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