第30話

黒いコートはアタッシュケースに入れて持ち帰ることとなった。

服一着に大げさだなと一瞬思ったが、いやいや、600万円のコートならこれはやりすぎではない。

むしろ帰るまで落とさないように僕が注意を払ってあげておかないと。


連君みたいなイケメン完璧超人はおっちょこちょいと相場は決まっているから。

天然ボケもこのタイプだ。将来はげるのもこのタイプ。知らんけど。


だからしっかり者の僕が見ててあげないと。


「そういえば、連君は600万もの大金をどうしたんですか?」

やはり金持ちの家の出身なのだろうか。ボンボンってやつかもしれない。

「これは冒険者チームとの契約金の一部だ。他に使う当てもなかったので、良い使い道になったと思う。店を紹介して貰って助かった。ありがとうな、彩」


僕は一瞬、自分の耳を疑った。

契約金の一部と聞こえたのだ。

そんな訳はない。600万円がそもそもあり得ないし、それが一部だと!?


僕と彩さんは30万円だったよ?

それでも僕は天に登りそうなほど喜んだというのに。

確かめなくては!


「連君は、契約金どのくらいだったんですか?」

こういった、デリカシーの足りない質問をするのは得意だ。

無害そうな僕がこういう鋭い質問をすると、なぜか昔から許される。


今回は、そういった感じではなく、本当に気にしてないような素振りで連君が即答してくれた。

「1000万だ」

「1000万!?」

違う通貨ですか?と本気で質問したかった。

なんか単位が違うんでしょ!

そう思いたかったのは、やはり自分の契約金とあまりに乖離した金額だったからだ。


「連のところは最大手だからね。厳しい仕事内容も求められるし、妥当じゃない?」

「さあな、あんまり興味もないし、妥当な金額かどうかは知らん」

やはり同じ世界の人とは思えない。

同じ冒険者といっても、上から下までは随分と開きがあるし、岩崎さんのような完全なサポートタイプもいるし、中にはソロでダンジョンに赴く人もいるという。

ソロでダンジョンなど想像しがたいことだけど、世の中にはすごい人がたくさんいるってことだ。


目の前の連君も、僕からしたら高みにいる人になるんだろうな。

負けたくない。冒険者として、彩さんを狙う男としても!連君が彩さんのことを好きかどうかは知らないが、きっと好きに決まっている。態度には出してこないが、こういうタイプはむっつりスケベと相場は決まっている。


僕はこの人に、もう負けたくないと思っている。

前までは、同じ学校にいるだけのすごい人程度の認識だった。向こうからしたら、僕なんてサボテンの大量の針の一本くらいの認識だったのだろう。


そうはさせない。いつか、その背中を捉える。

僕には力をつける力があり、そのやり方も分かっている。歩みを止めることなく、僕は連君に迫りたいと思っていた。


それはダンジョンの面白さを知ったからであり、冒険者としのやりがいを感じたことも相まって、僕の気持ちを焚きつけた。

決して、契約金が違いすぎるから頑張ろうと奮起したわけではない。


「じゃあ二人とも、買い物は終わりだね。それじゃあ私の買い物に付き合ってもらうよ」

「はい!」

「おいおい、また前みたいになるんじゃないだろうな?」

「は、なに?あんたの買い物手伝ったよね?パフェも食べさせたと思うけど?もしかして、散々手伝わせておいて、レディーの用事は付き合わないつもり?あんて最低ね。呆れた」

彩さんの怒涛の攻め寄り方に、少し驚いてしまった。

どうしてそこまで言うのかと思う気持ちもあったけど、やはり悪いのは連君だろう。


彩さんとショッピングできる!こんなご褒美を嫌がるとは、なんたる無礼者。

もうそんなこと言うんだったらね、僕と彩さんで行ってもいいから!君は来なくていいから!


そんなことを言えるわけもなく、僕と連君は強引に彩さんに連れられて行った。

「覚悟しろよ。ストレスで倒れないような」

「まさか」

喜びで倒れることはあっても、僕が彩さんにストレスを感じるなんてありえない。


「ねえ、シロウ、これはどっちが似合うと思う?」

「両方似合います!」

「やっぱり!でも、買うのはやめておこうっと。……うーん、こっちは?」

「最高です!」

「やっぱりね。でも、やめておこうっと」

……先は長いからね。いきなり決めることはない。


最初のお店を隅々まで見て回った彩さんは、結局試着だけして何も買わなかった。

「次行くよ、次!」

「はーい!」

全然楽しいじゃないか、彩さんとのショッピング。

何に不安を感じていたんだ?連君は。


「ちょっと待って。やっぱりさっきのお店に戻ろう」

「あれ?隅々まで見て、買わないって決めたんじゃ」

「いや、もう一度見てみる」

「あっ、はい」

一度回ったコースを再度隅々まで見て周り、彩さんは服を数着手に持った。


「これ全部買います」

え!?

驚いた。なんだ、この気まぐれさは。

さっき買わないと決めたのに!


支払いを済ませた彩さんは、紙袋を手に持って上機嫌に僕たちのほうに歩み寄ってきた。

「契約金はまだあるからねー。さあ、次行くよ。連、これはあんたが持ちなさい」

死んだような表情で、連君が紙袋を手にした。

なんだか、既に未来に待ち受ける絶望が分かっているかのような表情だ。世界は崩壊に向かうのか?そんな未来を見てきたのか?連君!!


僕が褒めた服とは関係ない服を買った彩さんは、次の店も隅々まで見て、買う服をとても悩んだ。

「これもいいね。これもいい。こっちはちょっと流行りがすぎてるかな?ねえ、シロウ、こっちはどう?」

「最高です」

「だよねー。でもやっぱり色合いが好みじゃないからパスかなー」

なぜ聞いた!?なぜ聞いたんですか、今!!

この店でも時間を盛大に使って、彩さんは服を数着買った。


「はい、これも持ってね。連はまだ持てそうね。じゃあ次行くわよ」

「……まだまだ序の口だぞ」

終わりを告げる声で、連君が絶望を口にした。


僕は知らなかった。

陰キャの僕では知りようもなかったけど、女性のショッピングがこれほどまでに長いとは!

意見を求めるようなやり取りは、その実意見を求めているのではなく、ただ単に自分のセンスを肯定して欲しいだけのやり取りだということを!


一件一件がとても長いのに、更に終わりの見えないショッピングの絶望感たるや、水が見つからない砂漠を闊歩しているかのような気分にさせられる。


希望は、オアシスは見つからないのか!?

どうしてこんなに動き回っても、彩さんは疲れ一つ見せないのか。なぜ僕と連君の足取りは一秒ごとに重くなり、目が死んでいくのか。


僕はこの日、美しい女性の恐ろしさを知った。


「さあ次行くよ!まだまだ日が暮れ始めたばかりだから!」

「「まだ行くの!?」」

「当たり前でしょ!」


僕は初めて、連君との心の距離が縮まるのを感じた。

僕たちは極限を行く抜く戦友の如くお互いのことを理解し始めていた。


「なんとかしてあいつを止めないと」

「もう少し時間を。いいアイデアが出そうなんです」


その時だった。天からの恵みが降り注いだ。

彩さんのスマホに電話がかかってきたことで、一旦足を止めてくれた。


会話を聞くわけにはいかないので、少し離れる。

一時でも休めるのは、今の僕たちには大きな恵みだった。


「はーい。絶対に行くと思うから、言っておくね。ばいばーい」

彩さんが電話をきって、僕のもとに歩み寄ってきた。


「シロウ。栃木第五ダンジョンを覚えている?」

「もちろんです」

僕が最初に入ったダンジョンだ。忘れるわけがない。


「あのダンジョン、再調査の必要が出て、その依頼をレイザーさんが受けたらしい。異変を報告したのも私たちだし、優先的に受けさせてくれたみたい」

あの弓矢を扱う異質なゴブリンと、大量のゴブリンが出現したダンジョンだ。

未だにあの日のことは鮮明に思い出せる。あれで最低評価のE級はあり得ないと思っていたが、やはり再調査依頼が来たか。


「ダンジョンの評価値は最低でもC以上。場合によってはレイザーさんたちでも任務をこなしきれない可能性があるんだって。でもさ、楽しそうだよね」

彩さんが不敵な笑みを浮かべた。


いつものような上手な笑い方ではない。どこか怖さを感じさせる冷たい笑顔だ。この人は、冒険者だ。難易度が高いと知って尚笑う。根っからの冒険者、表情だけでそう思えた。


「もちろん。彩さんが行くところへならどこへでも」

僕も笑った。

難易度なんて気にしてはいない。少しは怖く思っているけど、隣にいる連君に追いつかないと。彩さんの隣の席をキープするためにも。


「連はさ、デビューでCダンジョンをほとんど一人の力で蹂躙したんだよね?」

「……ああ、その通りだ」

「魔力差があるけど、私、連に負けたとは思ってないよ。必ず追いつく。だから、今回のC級ダンジョンも踏破してみせる」

「ふん、いい心意気だ」

どうやら、彩さんも連君をライバル視していた。

僕のことを、あんな強い視線で見つめたことはない。

少し悔しかった。


「俺は逃げも隠れもしない。冒険者の頂に上り詰めるのは俺だと確信しているからな。それだけは言っておく」

「言うわね。いつか、必ず追い抜くから」

「……僕も!」

なんだか急に熱くなった空気に充てられて、僕も強い言葉を口走った。

恥ずかしさもなかったし、気後れもしなかった。言ってやったぞおおお!


「じゃあ今日はもう帰るね。明日からさっそくダンジョンに備えてギアをあげていく。二人とも、帰るよ」

天から舞い降りた幸運に感謝しながら、僕と連君は、果てのないショッピングの旅を終えられたことに安堵していた。


握手を交わしたのは、ほとんど無意識下の行動だった。




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