第56話 お話をはじめましょう
週も半ばとなれば、一旦は放置していた問題だっていい加減に解消したくなる。
体育の授業にかこつけて二人きりの状況を作った俺は、気持ちよさそうに頭に水を被る様子を背後から見守った。
もちろんひとしきり水を拭いた後に声を掛けるためにだ。
「清川さぁ……けっこう引きずる質なのな」
グラウンドの端に設置された水飲み場は、六月下旬のこの頃には半分簡易シャワーと化している。男子の気楽さはいいもんだ。蛇口の下に頭突っ込んで水を浴びたり、上着を脱いで水洗いしたり。なんもかんも太陽のがんばりすぎが悪い。
「何の話だよ」
そっぽ向く清川だが頭を拭くタオルの動きが一瞬止まったのを見逃す俺ではないのである。
「バレー部」
男子バレーボール部の話をしよう。
先週末に地区大会の一回戦で夏を終えた部の話を。
「木村には関係ないだろ」
本来バレー部ではない生徒を助っ人に呼んだ張本人と。
「まぁなぁ。そりゃ直接関係はないんだけどなぁ」
腕組みして難しい顔して首を捻る。俺は部外者で無関係だ。バレー部ではないし助っ人もしてない。応援にも行っていない。
他の友人から聞いた情報だけを知っている。一回戦敗退と助っ人の話ともう一つ。
「だったら」
「けど友達だろ俺たち。友達が辛気臭い顔してたらどうにも気が落ち着かないよな」
「恥ずかしいことを堂々と言うもんだ。……辛気臭かったのはわるかったよ。仕方ないだろ? 俺だっていつもいつもお気楽じゃないんだよ」
うんうん、と頷いて思い出すのは球技大会に奔走した日々だ。
清川があれこれ動いたことを知っている。そのすべてではないし何を思ってそうしたのかなんてことは輪をかけてわからないが。そこにあったものが愉楽な何かだけということはあるまい。
「別にいいのよ別に、それは。……バレー部の話は俺も少し聞いてる。耳に入ってる。大変そうだなって他人事だけど思ってる」
試合の成立しない部員数。この二か月少々でそうなってしまったということ。残った部員たちの真っ白なバレー歴と相応の実力。
「だから無理に明るく振舞えってのは、俺もそんな鬼じゃないから、ちょっとくらいしか思わん思わん」
バレー部と清川に事情はあれど一年三組の一員の俺としては清川行人にはいつものような元気さとリーダーシップを求めている。これは事実。けれどそれで清川個人を蔑ろにしていいわけもない。
「なぁ清川、学級委員やめれば?」
「……は? いやなに言ってんだよ出来るわけねぇだろそんなこと」
「なんでさ」
「なんでって……いや、駄目だろ。そんな……無責任なこと。それに御堂だって女子の学級委員やめたばっかで、俺までやめたら……」
「そうだな。たぶん多少、色々、それなりに混乱するかもしれないな。外聞も悪いな。学級委員が二人とも一学期中にやめるとか、たぶんだけど前例ないレベルなんじゃないか」
「そりゃそうだろ。やっぱなしだって、学級委員やめるとか」
「いいじゃん、一番最初の例になっちまおうぜ。それくらい許されると思うんだ、部長との掛け持ちなんてことは」
素人ばかりの男子バレー部にあって部長としての働きは清川にしか出来ない。今の男バレじゃ他の誰にも無理だろう。
うちのクラスはそうじゃない。清川にはクラスの代表であって欲しいが、清川でなければならないなんてことはない。
「もし、清川が本気でバレー部に力入れるってんなら、そのために学級委員を下りるってことなら、進藤が後釜はやってくれるってよ」
「進藤が?」
「そ。それにそういう事情なら俺だって手伝うくらいはするしな。進藤一人にいきなり清川と同じことやれってのも無茶振りだもんな」
くく、と小さく笑う。あれで進藤も、この話を持ち掛けた時には乗り気と及び腰とをブレンドした顔をしていたものだ。たかだか三か月とはいえ、清川たちが積み上げてきたものを考えれば後釜はそれはそれは気が重い。
「手伝う、ってなにすんだ?」
「とりあえず副委員ってのにはなる。最近はクラスあたりの人数が減ってきてるからあんま作らない役職らしいけど、前はそうやって負担減らしてたんだと、学級委員の。これ姫岡先生から聞いた話」
数度の瞬きの時間が過ぎて清川は脱力した。それから一度、空を仰いでゆるりと笑顔を見せる。
「そういやそんなこと……。わかったよ。俺も……部長と学級委員を両立できるとは思えない」
「今回ばっかりは仕方ない。じゃ、進藤と先生には軽く伝えとくよ。今度、話し合ってくれ」
「あぁ、あいや、いいよ、俺から話す。今日中には」
「そか。なら任せた」
「ははっ。俺の台詞かもな。任せた」
「おーけー」
話し合いをサムズアップで終われることの喜びよ。
○
「というようなことがあってですな」
「安請け合いでは?」
電車に揺られる暇時間に提供した俺のお話は、どうやら隣人の心を打たなかったらしい。友のために立ち上がる感動秘話なんだけどなぁおかしいなぁ。
「もっと他に言うことない? 素晴らしいですね素敵な行動ですねみたいな感じのやつ」
「私は嘘が苦手なんです」
「なるほどなるほど」
俺たちがそうであるように車内には吊革利用者も多い。よって交わす声は抑え気味だ。必然、それで通じる距離感でもある。
要するに牽制だな。隣人の記憶にばっちり焼き付いたという顔がちらちらとこちらを窺ってくるから、逆に俺という存在をばっちり記憶してもらおうというわけ。ついでに俺という存在はあなたを認識してますよっておまけ付きで。
努めて怖い顔を作って、目を合わせる。下手な刺激になる可能性もあるにはあるが、決定的な瞬間を待つ気はなかった。明確な罪状を突き付けて白日の下に晒されるのが一人ではないから、これで凌げるならそれでいいとは隣人の要望でもある。
悪事をなくしたいのではない。ただ自身から遠ざけられればいい。
仮にその結果、遠ざけたものが別の誰かに降り落ちるのだとしても。てのはもしかしたらの可能性の一つでしかないし、もしかしたら改心して品行方正に生き改めることだってあるかもしれない。
「少しだけ……罪悪感もあります」
どう転ぶかなんてわからないから、俺に出来ることはあともう、この目の前の女の子の痛みをほんの少しだけ和らげることくらいだ。やり方はきっと、最初から間違えているけれど。
○
「コーヒーがお二つ。ティラミスもお二つですね。以上でよろしいでしょうか」
確認に肯定を貰ってテーブル席を後にする。カウンターの奥に佇む人にオーダーを運ぶ。
「コーヒー2、ティラミス2です」
「うん」
温和な無表情をそのままにマスターは早速、作業をはじめた。コーヒーを淹れるだけのことが俺にはどうにも理解できない。何度見ても簡単そうなこの手順を一体どうすれば模倣できるのか、俺にはどうにもわからない。
俺のバイト面接経験数は1で終わったので、こうしてこの個人経営の小さな喫茶店にあくせく働いている。嘘。全然全くあくせくではない。
一か月ほど週四で足を運んでいるのだが、たかがバイトの俺ですら不安を覚えるくらいに客足は少ないのだ。そもそも席数が少ないせいでもあるけれど。
「お、タイペー手ぇ空いたの? こっちきてこっち」
妙なあだ名を授けてくれた先輩にも訊いてみたことがあるのだが、やはりどう計算しても経営は赤字のはずだそうだ。だというのにバイトの給料はお安くはないしマスターの身なりも生活も、そりゃよくは知らないがわかる範囲ではむしろ余裕があるように見える。
結論として、この喫茶店は道楽の店なのだろうというのがバイト一同の総意である。
「洗い物手伝ってー」
「わかりましたー。て、これ秒で終わるじゃないですか」
「まぁね。ついでだし水回り軽く掃除しようかなって思ってね」
「あぁそういうことですか。なら……道具とってきますね」
「ん、よろー」
掃除道具を持ってきて、先輩と並んで掃除をはじめる。
「そんで? あれはあのあとどうなったのだい?」
「あれってなんですか?」
「もうとぼけちゃってー。あの子たちとのこと」
「あー……そうですねー」
雑談のネタは、どこぞのesportsチームのお話。
多面性青春騒動 さくさくサンバ @jump1ppatu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。多面性青春騒動の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます