第125話 猫の不養生 (1)

 栄玲えいれい大学は新学期を迎えていた。


 文学部文学科英米文学専攻、諭一ゆいち・アンダーソンは今年度で四年生となる。

 ただし彼は去年、半年ばかり東アメリカ合衆国に短期留学した。これは目的からの留学で、半ば長期旅行のようなものであり、大学の方は休学した形である。


 ついでに言うと、それ以前の彼はやや不真面目な学生だった。


 留学先のアメリカで、怪異ウェンディゴ――彼の曾祖父の魂と融合を果たした存在、『灰の角』に取り憑かれて以来、何かというと真面目に勉学に励むよう説教されるため、前よりも夜更かしからの寝坊やサボりは減ったが、とはいえ昨年度時点で既に、取得単位数は心もとない状態となっている。


 つまるところ、諭一はもう一年ばかり余計に、学生として大学に在籍する見込みだった。


「まあ、どうせ就活もはかどってなかったしさ……」


 愛車であるシボレー・カマロのハンドルを取りながら、諭一は自分の左腕に向けてぼやく。


 怪異が憑依する彼の左腕には、線刻状の刺青タトゥーが浮き出ている。米国北部かカナダの伝統的なデザインを思わせるその紋様が、今はもやもやと揺れ動いていた。

 『灰の角』が意見を述べようと思案中であるらしい。曾孫の行く末が心配なのだ。


「だいじょぶだって、ニート志望なんてつもりはないから。キビキビ働いてないとモテないしね」


IDIOTばかもの


 いきなり辛辣なメッセージが左腕に表示された。


 何しろ相手は、険しい山岳地帯で生きてきた民族の末裔である。しかも軽く一世紀は昔の生まれだ。「モテ」などを気にするような昨今の軟派な風潮に対しては手厳しい。


「何だよー」


 諭一は不服顔で言い返す。


「そうやって『灰の角』はすぐ怒るけどさ、ぼくだって稀少な民族の血を引いてるわけじゃん? じゃあここで血筋を途絶えさせるのもアレだろ。となるといつかは暖かい家庭を持ちたいと思うのは当然だし、それには素敵な女性をエスコート出来るようレベリングをさぁー……」


 つらつらと、どう聞いても言い訳でしかない論説を披露しているうちに車は大学に到着した。


 刺青タトゥーをスポーツ用のアームサポーターで覆い車から降りる。

 と同時に、諭一のポケットで振動が起きた。スマホに誰かからの連絡が入ったらしい。


「んっ? ネギシさんだ」


 画面の表示を見て、諭一は首を傾げた。


 根岸秋太郎ねぎししゅうたろうは、幽霊でありながらも生真面目な勤め人だ。

 おまけに、つい先日『もがり大殿おとど』なる特別な地位を継承し、更には立派な邸宅まで相続した。


 諭一は怪異の社会に詳しくないし、『殯』の異能についても完全に把握している訳ではないが、しばらくの間彼は多忙になりそうな様子だった。


 そんな根岸が朝一番に、何の連絡だろうか。不思議に思いつつLINEを開く。


『おはようございます。ミケさんが体調不良で、数日大学に行けないのですが、同じ授業とってたりしませんか?』


「えーっ」


 我知らず声を上げるほどに、諭一は仰天した。


 あのミケが体調不良。

 しかも根岸が連絡を取ってきたという事は、自力でスマホを操作出来ないくらいに具合が悪いと考えられる。


「怪異って……風邪とか引くの?」


 おろおろと『灰の角』にたずねると、


『わたしも気分がすぐれないと訴える事はあるだろう』


 との回答が寄越された。


 人々の飢えへの恐怖から顕現した人食いの精霊である彼は、理性を得た現在でもたまに少量の生ハムやレバーを食べたがる。

 あれは嗜好品でもあるが、彼自身の健康を維持するためのものでもあるらしい。


『怪異は精神と意思のありよう次第で生を永らえるし、弱りもする。時に狂暴にもなる。やまい、と呼べる状態にもなるかもしれない』

「精神……ああ、今のミケちんって落ち込んでるよね、そりゃあ」


 長年付き従ったあるじ雁枝かりえの最期を看取ったのは、僅か十日前の事だ。立ち直れと言う方が無茶である。


「葬儀の日は、ずっと冷静な感じだったけど。ぼくなんかミケちん進行上手くてすげーなーって感心しっぱなし」

『見送られる本人や年少の友人を前に、仕切り役が取り乱す訳にはいかない。そういうものだ』

「シンドいなぁそれ」

『お前もとしを重ねればいつかはそうした場に立つ』

「……モラトリアム万歳」


 こちらまで何となく気分が沈み、しゅんと肩を落とす諭一だったが、すぐさま彼は「よしっ」と気合を入れ直した。

 ここで自分まで落ち込んだところで、何も解決しない。多少痛い目を見ても常に調子づいていられる性分こそ取り柄、との自負が彼にはある。


「丁度今日はミケちんと被ってる授業あるから、しっかり聴いてノートもコピってあげよう。あと、ミケちんと同じ日本史専攻の誰か……あ、モリっちがいたか。専攻系の授業はモリっちに頼んでみよ」


 人間の学問への興味から大学を受験したミケは、学内では一応正体を伏せているので、あまり積極的に交友関係を広げていない様子だ。

 が、同じ日本史学専攻生とはグループ課題などで組むから、連絡先を交換する程度の付き合いがある。


 幸い、諭一とミケには共通の友人がいた。


 森心也もりしんや。日本史専攻で、ミケと同じく今年度で三年生だ。

 学内の軽音楽サークルに所属しており、諭一とはそこで知り合った。


 栄玲大学には熱心に活動している『軽音楽部』もあるが、『軽音楽サークル』の方が緩い雰囲気で、半ば飲み会サークルと化している。大きな大学ではよくある話だ。

 ソロの音楽YouTuberとしても活動している諭一にとっては、参加したりしなかったり、くらいのこちらの空気感の方がありがたい。


「……そういえばモリっち、新学期入ってからサークル棟でも見かけないけど。まだ休みボケかな?」


 呟きつつ学部棟へ向かい、その途中で一先ず根岸への返信をスマホに打ち込んでいると、急に背後から声がかかった。


「おーい。やめよう、歩きスマホ」


 振り向けばそこには、半ば刈り上げた髪を白黒に染め、口元と耳朶みみたぶにピアスを連ねた青年が立っている。オーバーサイズのシャツのデザインも何やら物々しく、この大学のキャンパス内では目立つ風貌だ。


「オカちゃんじゃん。おっはよー」


 スマホをポケットに仕舞い、軽い調子で諭一は挨拶した。


 彼、岡倉礼二おかくられいじもまた軽音サークルの四年生で、諭一が入学の頃から親しく付き合っている友人である。

 反骨精神溢れるファッションを好みながらも根岸並みに生真面目な性分で、スマホのマナーにも厳しいし成績も優秀だった。この装いは、憧れのロックバンドのドラマーをリスペクトしてのものらしい。


 まあ、空色と群青色の長髪というスタイルの諭一もあまり人の外見はとやかく言えない。


「いい所で会えた! オカちゃん、モリっちって最近どうしてる? なんかタイミング悪いのか、顔合わせられなくってさ」

「――ああ、モリ」


 森の名を口にしたその途端、岡倉は顔を曇らせた。

 外見に迫力があるせいで、不機嫌そうにするとどうにも恐ろしげな雰囲気になる。が、実際には怒っている以上に心を痛めている様子だ。それなりに長い付き合いなので、そこは察知出来た。


「えっ……ど、どした?」

「俺、あいつとは絶交したんだよ。ついこないだ」

「ぜっ――?」


 今日日きょうび、東京の私立大学生がそんな古めかしい単語を使うとは。諭一は目を白黒させて問い返す。


「絶交って、縁切ったりするアレ? なんで……先月まで練習だって一緒に……」

「先月まではな」


 ぼそりと応じてから、大きく息を吐いて岡倉は続けた。


「ユイチには……黙ってようかとも思ったんだけど。こんな話、イヤな気分にさせるだけだろうし……でもやっぱ、教えた方がいいか……」

「え、なに、ぼくが関わってんの?」


 いよいよ動転する諭一に、岡倉はひとつ頷いてみせる。


「モリの奴……。マスコミに写真売ったっつーんだよ、ユイチの。その、腕の刺青タトゥー隠してない時の」

「……は?」


「怪異襲撃事件でテレビがずっと盛り上がってただろ。天狗だとか化け猫だとか、怪異憑きの人間だとかって。

 そんで、怪異憑きの情報持ってたら高く買うってモリに連絡が来たらしい。ほら、ウチのOBでかなりアングラなゴシップ系のライターになった人いるじゃん。あの人から」

「いたなあそんな人。で、ぼくの腕の写真? いつ撮ったっけそんなの」

「ユイチんちに泊まりに行った時」


 音楽一家である諭一の自宅には、楽器の練習も出来る防音室がある。

 確かに少し前、岡倉と森を家に呼んで盛り上がり、その流れで泊めた日があった。

 ついでにサウナに行こうとも提案されたのだが、既にその時諭一の腕には『灰の角』がいた。つまり刺青タトゥーだ。


 それまで諭一は、左腕のサポーターについて「留学中に怪我をして傷痕が残ったので隠している」と説明していたのだが、この時に嘘を吐き通せなくなり、岡倉と森にだけは左腕を見せる事にした。


 流石に、目の前でウェンディゴに変身してみせたりはしていない。ただ、自分とゆかりのある怪異に憑かれており害はない、とだけ明かした。


 岡倉も森も、元々諭一が怪異に憑かれやすい『引き寄せ体質』である事は知っている。だから新たな怪異に憑かれた事実も、割り合いあっさりと聞き流された。

 『引き寄せ体質』自体は、今の時代そう珍しくもないのだ。


 その後――そう、確か諭一の父親のコレクションである民族楽器を見て、森が写真を撮りたいと言ったので好きに撮影させた。


「……多分、あん時の写真だ。撮った時から『売る』つもりだったのかどうかは分かんね……ていうか、そうじゃなかったと思いたいけど」


 岡倉はそう言って再び嘆息する。


 東京怪異激甚襲撃げきじんしゅうげきから間もない春休み中のある日、岡倉は別の友人から「これお前じゃね?」とのLINEと一枚の画像を受け取った。

 ゴシップニュースサイトの写真をトリミングしたらしいその画像は、モザイク処理が施されているものの明らかに見覚えのある場所――諭一の自宅が背景で、画面の左端にはこれまた、非常に見覚えのある白と黒に染め分けた後ろ髪が見切れていた。


 岡倉自身だ。


 慌てて画像の出所を聞き問題のニュースサイトに飛ぶとそこには、


『ヒーローかモンスターか! 疑惑の“怪異憑き”、衝撃写真を極秘入手!』


 との見出しが躍っていた。

 記事の目玉である画像に大写しになっているのは、顔部分こそ粗めのモザイクで覆われているものの、服装と袖口から覗くトライバルなデザインの刺青タトゥーのせいで、見る人が見れば諭一と分かる人物だ。


 諭一がこんな写真を自分で売り込む訳がないし、岡倉が撮影したものでもない。となると思い当たるのはあと一人である。


 岡倉はすぐさま森が一人暮らしをしているアパートへと、文字通り殴り込みをかけた。


「えっ!? モリっち殴ったの!?」

「あたりめーだろ! ぶん殴ったわ! なんか俺まで写真に写り込んでるし!」


 森は半ばこの事態を予期していたようで、岡倉の剣幕に怯えきっていた。


「本当に掲載されるとは思わなかった」

「怪異記事はプラットフォームの検閲が厳しいからこんな記事すぐ削除される」

「そこまでアクセス数は高くない」

「金のためじゃない。先輩に騙された。今も怖い思いをしてる。寧ろ助けて欲しい」


 ――といった弁解も並べ立てられたのだが、それで岡倉の怒りが収まるはずもなく、森は殴り飛ばされ、隣室の住人に通報されそうになったところで彼らは物別れとなった。


「つーわけだから、俺はもうあいつの事なんか知らん。サークルどころか大学にも来てないらしいけど、どうせ誰とも合わせる顔がないんだろ。だったら最初からガセネタなんか売るなっつうんだよ」


 腕を組み、明後日の方角へ鼻先を向けて岡倉は話を締め括った。


 怪異の噂話は人々の不安を煽り、かえって狂暴な怪異を顕現させかねない。

 だから、当局の許可を得ていない不確かな怪異関連のニュースを流すと削除されやすい傾向は、事実としてあった。

 くだんの記事も、その日のうちに閲覧出来なくなったと言う。それもあって、岡倉は今まで諭一に元友人のやらかしを告げられなかったのだろう。


 削除されたその記事について、ガセネタ、と岡倉は断じた。

 当然、彼は諭一が怪異憑きであるとは知っていても、あの夜に人狼たちと戦ったウェンディゴが目の前にいるなどとは思っていないからだ。


 ――あるいは、もしかしたら、くらいの想像はしているかもしれない。だがそれでも口を噤んでいてくれている。


 ニュースサイトのライターは、どこかのルートから諭一の身元を掴んだ上で森に画像を提供させ、記事を掲載したのだと考えられた。

 正直、気持ちの良い話ではない。


「そういやユイチ、結局モリに何の用だったんだ?」


 ふと、岡倉がたずねた。


「あー、三年生の友達が体調崩してさ。モリっちが専攻同じだから伝えとこうと思ったんだけど」

「あの謎に風格ある日本史の三年? 駒田間こまたまさんだっけ」

「そう、ミケちん」

「『ミケちん』なんて呼ぶのユイチだけだよ。俺でもで呼んじまうもん、何故か」


 ミケは他の学友の間で、そのような人物評になっているらしい。実年齢では彼らと六十歳近い差があるのだから、無理もない。


 無論、その『駒田間こまたま実啓みけ』の正体が、地上波のニュースでも大映しになった、炎をまとう巨大な猫の怪異である事実となると、いよいよ岡倉は知る由もないのだ。


 何とはなしに、諭一は後ろめたいものを覚えた。

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