第90話 灯火の尖塔へ (11)

 二十体近い餓鬼とヒダル神の辺路番ヘチバン、そして『灰の角』を加え、期せずして大軍勢となった根岸達だが、生憎とのんびり顔合わせをしている時間は長く取れなかった。


「タイの怪異、ピー・ガスーにピー・ガハン。あと天狗と、一部人狼が味方……今日はレア怪異によく出くわす日っスね!」


 槍を構え、飛び回るブギーマンを牽制けんせいする根岸のすぐ傍らでは、辺路番がなたをベルトの背から引き抜いて呟く。

 上から組みつこうとしてきたブギーマンを振り払うと、彼は重ねて問いかけた。


「アンタにくっついてるその呪物の槍は、大丈夫なヤツっスか?」

「こちらは――『血流し十文字』と呼んで下さい、ちょっと今は挨拶する暇なく、てっ!?」


 言い終える前に、血流し十文字が根岸の腕を強く引いた。

 半ば強制的に半身を捻らされた根岸は、募る疲労に息を吐いて前方へと目を凝らす。

 通り向こう、建物のベランダから街路樹へ飛び移る四足の影。


 ――人狼がこちらへ向かってくる。


「まずいっ……」


 皆への警告を根岸が叫ぼうとした時、翼の羽ばたく音、そして鎖のしなる音が飛来した。

 芳檜ほうかいだ。

 彼は分銅鎖を大きく回転させ、牙を剥き出した人狼の突進をはじき返す。天狗の里でも披露した盾の術である。


「芳檜さん!」

「おう、無事か! いつの間にこんな大所帯になってんだ?」


 威勢良く応じた芳檜だったが、振り向いた顔を見て根岸は続ける声を失った。

 人狼の爪によるものだろうか。額と顔に、かなりの深手を負っている。右目が開かないのか、周囲を警戒しつつも血にまみれた瞼を閉ざしたままだ。


「ほ、芳檜さん!」


 諭一ゆいちもこちらへ駆けつけた。『灰の角』の姿なものだから芳檜が「うお!?」と驚いたが、声ですぐに気づいたようだ。


「どうしよっ、手当てしないと……病院? 救急車?」

「なに、大した傷じゃない」


 芳檜の態度は明らかに強がりだ、と根岸は思う。すぐ撤退させるべき負傷だろう。

 しかし敵の戦力をぎきれず、エルダーも姿を現さないこの状況、戦線離脱にさえ危険が伴う。


 悩む根岸の目の前に、突如として黒い穴が現れた。

 空中に出現した穴から這い出てきたのは、餓鬼が二体とブギーマンが一体。ブギーマンは何故か小洒落たヘッドフォンを頭に付けている。


「わッ」

「あっ、待ってネギシさん」


 咄嗟に槍を取った根岸を、諭一が制止した。


「そのブギーマンはもう暴走してないんだ。ぼくの子守歌聞いたから」

「……子守歌?」

「名前は分かんないけど涙目になりっぱなしだから、ティアリーアイズって呼んでる。よろしく」

「ケイティ・ペリー好きっスか? ちな、このヘッドフォンはジブンのっス、壊したら祟るス」


 諭一と辺路番、かわるがわるの説明はどうも要領を得ないものだったが、彼らが安全だと言うなら信じようと、根岸は一旦割り切る。


「いーっ」

「あぶー」


 そのティアリーアイズと一緒に出てきた餓鬼たちは、腕をばたつかせて辺路番に何事か訴えている。

 彼らと対話可能らしい辺路番は、「えっ」と驚いた様子を見せた。


「サンキューブラザーズ、ナイスっス! ――今の聞いた? 怪しい話になってきたっスよ!」


 辺路番は意気込んで周りを見回す。


「なんも分かんないよ辺路番」


 ストレートに諭一が苦言を呈した。


「あそっか。説明すると今、ティアリーアイズとブラザーズに空間穿孔の痕跡を探って貰ってたんス。そしたら上手いこと、『坑道』内にエルダーが潜んでるのを見つけたって」

「エルダーってのの暴走を止めれば、今暴れてるブギーマンも大人しくなるんだよね? すごいじゃん。早速――」

「でも妙なんスよユイチ。を見るに、その坑道を開けたのはどうもエルダーじゃなくて周りの従属するブギーマンみたいで。

 エルダーは、戦況こっちを伺ってるみたいなんスけど」


 その状況自体が不自然だと、辺路番は主張する。


「暴走状態のブギーマンが、『氏族クランが暴れるに任せて、坑道に隠れっぱなしで様子を伺う』なんてあり得るんスかね? こう言っちゃなんだけど平常時でも、あんま戦略的に動くなんて真似はしないタイプの怪異スよ」

「……それについては僕も疑問でした。海外の怪異は専門外なんですが」


 根岸が軽く挙手をして発言した。


 ブギーマンと初めて邂逅した時――天狗の里のリフトに乗っていた時だ。根岸は志津丸に言った。

 ブギーマンと人類の間に交渉が成立したケースは知らない、と。


 言語能力を持たず、社会性もヒトや人狼のような形では有さない怪異。

 異種の怪異とすら交流は稀で、群れる場合はただ、同種の鳴き声や匂いを辿るのみ。

 そういう種族だと聞きかじっていた。


 根岸は海外怪異の事情にそれほど通じている訳ではない。『エルダー』と呼ばれる特殊な存在についても知らなかった。

 だから個体によっては、狙った場所にドクターヘリを運んで墜落させるなどという、悪意を持って被害拡大を狙うようなブギーマンもいるのかもしれないと思っていたのだが。


「ひょっとして――」

「なになに、ネギシさん」


 諭一が碧色みどりいろの眼で根岸の顔を覗き込んでくる。

 巨大な角がずいと近づいて危なっかしい。この姿でいる時は、やはり『灰の角』に肉体の主導権を預けて欲しいところだ。

 彼の鼻面を片手で制して、根岸はリンダラーの方を見た。


「エルダーのいる『坑道』に潜ってみましょう。リンダラーさんも一緒に来てくれますか」

「いいわよ。でも、そこの怪我してる天狗おじさんは?」

「おじ……」


 芳檜がいくらか不満げに呟きかけるも、丁度戻ってきたチャチャイの「リンダラー!」という元気の良い声に掻き消された。


「撤退なら餓鬼が手伝ってくれるみたいだよ。おれまだ飛べるし、怪我人連れてこっか?」

「んじゃ、残りのブラザーズには全力で天狗とピー・ガハンを逃がして貰うっスよ。その間にジブンらはこの穴から、エルダーの元へ」


 辺路番が場を取りまとめ、全員が同意する。


 遠くから陰陽庁おんようちょうの緊急車両のサイレンが聞こえてきた。

 人間の安全確保は彼らに任せられる、といくらか根岸は安堵する。しかし、根岸達が陰陽士おんみょうしに見つかると足止めを喰らって厄介だ。


 緊急車両の明かりが通りを照らす前に、彼らは空中に開いた坑道の入口へと潜り込んだ。



   ◇



 入口を閉ざせば完全なる暗闇――かと思いきや、意外にも坑道内は明るかった。


 ちょっと明るすぎるとも言える。辺路番の頭上にミラーボール風の球体が浮かんでいて、くるくると回転しながらカラフルにきらめく光を発していた。音もないのに賑やかな雰囲気だ。


「これね、ユイチの魂の一部を貰って作ったあかりっス」


 辺路番が光る球体を指差す。


「なるほど……つまり諭一くんの精神を反映した灯り」


 納得顔で深く頷く根岸に、諭一は「ネギシさん、どゆ意味?」と半眼になった。


「流石に目立つから、灯り小さくするっス。……エルダーはすぐそこだから気をつけて」


 声を落として辺路番は囁き、次いでダイヤルを絞るような手つきで指先を動かす。球体が光を弱め、目の慣れてきた根岸は周囲を見回した。


 天狗の里の神隠しリフト内は、雲の上にでも暗幕を張り巡らせたような、どこが床でどこが壁なのかも分からない空間だったが、ここはもっと『坑道』の呼び名のイメージに近い。足元にははっきりと踏みしめられる地面を感じる。


 ――るぅぅぅえぇぇぇぇ……。


 穴の中を不気味な鳴き声が通った。ブギーマン、それも恐らく単独のものではない。


 先頭に立つ餓鬼たちとティアリーアイズが、坑道の大きく曲がりくねった辺りで向こう側を覗き込み、辺路番の方を振り仰ぐ。辺路番が彼らに続いた。


「いるっスね。エルダーの他に三体」

「……先にエルダー以外のブギーマンを無力化しましょう」

「それだとエルダーが逃げるんでない? 何でか知らないけど、計算高い個体なんでしょ」


 根岸の提案に、諭一が懸念を口にする。

 尤もな意見ではあったが、迷いつつも根岸は首を横に振ってみせた。


「多分、あのエルダーは空間穿孔を使えません」

「エッ?」


 面食らう諭一の前で、根岸は寝かせていた血流し十文字の柄を持ち上げる。


「諭一くん。危険な仕事ですが『灰の角』に先鋒を頼めますか」

「アタッカー? オッケー。色々気になるけどやるだけやってみるよ」


 諭一には話していない情報がいくつかある。

 それを説明する猶予がないのは心苦しかったが、幸い今は根岸の判断に委ねてくれたようだ。


「『灰の角』の前に出ると攻撃に巻き込まれるかも。後ろからカバー頼む。……今ぼく無茶苦茶怖がってるからね? ほんと頼むよ?」


 そう言って、黒い毛皮に灰白色かいはくしょくの角の獣は一歩を踏み出した。

 みどりの両眼、それに全身を走る線刻状の刺青タトゥーが彩りを強める。


「グルォオオオオオッ」


 『灰の角』が吠えた。


 ほぼ同時に、暗闇の中から三体のブギーマンが姿を現す。こちらの匂いを気取られたのだろう。

 だが『灰の角』の異能の効力の方が早かった。


「ギャアッ!」


 『灰の角』の放った冷気を浴びて、ブギーマン達が怯む。

 そのうち真正面、最も至近距離にいた一体が宙で痙攣したかと思うと、あえなく地面へ落下した。

 冷却だけではこうはならない。ウェンディゴの、飢餓感を与える力の影響を受けたのだろうか。


 他の二体は、鈍ったもののまだ動ける。

 根岸は辺路番と視線を交わし、足並みを揃えて飛び出した。


 、という表現に留めた根岸の意を汲んでくれたのか、血流し十文字は真っ向からブギーマンを貫こうとはしなかった。

 槍穂の付け根、枝刃部分と口金をブギーマンの肩口に押し当て、力任せに地面に倒す。


「るうぅげええええっ」


 暴れる三本腕が根岸の腕と言わず胴と言わず、がむしゃらに引っ掻いてきた。が、ここで退く訳には行かない。


 少し離れた位置では辺路番が、うつ伏せに組み伏せたブギーマンを鉈の背で押さえ込んている。


「リンダラーさん、今です! エルダーを『ほどいて』下さい!」


 彼女の方を振り向いている余裕はなかったが、根岸は声の限りに叫んだ。


「そういう事ね……!」


 察した様子で、リンダラーは身体から飛び出す。首と臓腑だけの彼女は淡く赤い光を湛えて、暗闇の奥へと飛翔した。


「『灰の角』、一旦下がって!」


 リンダラーの発する光を彼が浴びるのは危険だ。

 『灰の角』は指示どおりに大きく数歩後退し、「ねえっ」と諭一の声で呼びかけた。


「何する気? エルダーどうなんの!?」

「敵の……人狼の群れの中には、高度な変身能力者シェイプシフターがいます」


 槍の柄でブギーマンを必死に押さえつけながらも、根岸は瑞鳶ずいえんから得た情報を受け売りで語る。


「他人に術を施す事も可能、怪異の嗅覚ですら正体を感知出来ない。みずから『化ける』となれば恐らく年単位で同族をも騙しきる――九年前には、人間の少女に数ヶ月間なりすましたとか」

「なっ……何、そいつ」

「恐らくは、彼が」


 根岸は顔を上げ、暗がりを見据えた。

 黒々とした坑道の果てに、尋常ならざる巨大な白い影が浮かび上がる。ブギーマンのエルダーだ。

 高度を上げたリンダラーは旋回してエルダーの死角へと飛び、そこでひときわ強い赤光を放った。


「るぎあああああああッ!」


 坑道内に絶叫が響き渡る。根岸達と取っ組み合っているブギーマン達が動揺したのか、一斉に硬直した。


 エルダーの、布を被ったその巨体が。陽光を浴びてかすみが散るかのようにそれは形を崩し、闇の中に沈んでいく。


「彼が――霧中のイーゴリイーゴリ・ヴ・トゥマネ!」


 半ば勘ではあったが、根岸の予想は当たっていたらしい。


 そして辺路番も、エルダーの正体を怪しんでいた。

 彼はブギーマンという種に強い思い入れがあるのか、鉈を構えてぎりっと犬歯を噛みしめる。


「あいつッ……許せねえっス! 匂いを乗っ取ったって事は、エルダーを食い殺しやがったんだ! 氏族クランを丸ごと狂わせるような真似を!」


 掻き消えるエルダー目がけて、辺路番が駆けた。鉈を振り被って飛びかかる。


「ぶったって勝浦かつうらマグロの餌にしてやるッ!」


 霧散しかけたエルダーの姿は形を変えて再び構築されつつある。それは最早ブギーマンとは全く異なっていた。

 頑強な四つの脚に白と金の混ざった絢爛けんらんな毛皮――そして大きく裂けた顎門あぎとから覗く牙。

 辺路番が鉈で狙ったのはその顎のすぐ下、喉元だ。


 だが、辺路番の攻撃は相手の喉に届く寸前で止められた。

 彼の右腕が握りしめた鉈ごと、に食いつかれている。

 ――それもまた、獣の牙だ。


 獣が四肢を踏みしめ、身を起こした。ゆうに十メートルは超える巨躯の狼である。その脇腹にあたる部分にも口が開き、飛び出した肋骨のように長い牙が並んでいる。


「がっ、ア……!」


 脇腹の牙に腕を捕らわれた辺路番はその場で苦痛に身じろぐも、鉈もろとも片腕がひしゃげるばかりで成す術がない。


「このオレを……餌だと? 面白ぇこと言いやがんな餓鬼もどきが」


 底冷えのする男の声と共に、狼のまなこが見開かれる。亀裂状の三対の眼は、嵐の海を思わせる濁った青色を湛えていた。


「出口を開けろ間抜けドゥラークども! 予定より早いがまあいい――腹が減ってたまらねえ、飯の時間だ!」


 坑道の遥か上空、人と怪異の生きる外界へ向けて高々と、霧中のイーゴリイーゴリ・ヴ・トゥマネは遠吠えを放った。

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