第55話 秋の初風、石のおと (7)

 あまり気は進まなかったが、陸号ろくごうと小学校からの許可が下りたので、志津丸しづまるは登校する事にした。


 自宅に籠もっていると、伽陀丸かだまるの事を考え過ぎて頭がパンクしそうだ。転校前の最後のけじめを自分なりにつけたいというのもあった。

 それにもうひとつ。学校には気懸かりな案件を残している。


 志津丸が教室内で男子児童数名を相手に暴れ回ったのは、クラスメイトを庇ったのが切っ掛けだった。ある女子の給食のパンを、わざと机から落とした悪餓鬼がいたのだ。


 ――女子児童の名は、佐藤真由さとうまゆ


 志津丸と同じく、六年生の四月から転入して来た少女で、大人し過ぎる性格のためか二学期になってもクラスに馴染めていない。志津丸は逆に、つっけんどん過ぎる態度のせいで馴染めていない訳だが。


 志津丸が遠巻きにされるのはともかく、やり返せない性分の佐藤が、他の児童からのからかいのターゲットにされつつあるのは気になる。


 ……別に人間の、赤の他人の今後などどうでも良いではないかと、伽陀丸ならきっと呆れただろう。六年生なのだから、このまま通学したとしてもクラスメイト達とはあと半年の付き合いだ。天狗の一生はこの先長い。

 だがそれでも、志津丸がこの世に顕現してからの時間は、たった十二年でしかない。そのうちの半年とは、それなりに長く重要なもののように思えた。

 佐藤真由という人間の少女にとっては、きっともっと重要だ。


「えー……そういう訳で、大垂水おおたるみくんは今日で転校する事になりました」


 志津丸を教壇に上げた担任教師は、少しばかり彼から距離を取って、そんな風に教室内に告げた。

 天狗には苗字をつける習慣がないので、人間社会で名乗る時は大体、生まれ出た峠や小川、大木の名を氏とする。


「お父さんのお仕事の都合ですので……さ、寂しくなりますが……」


 担任教師の言葉は続く。

 彼女の話が真実でない事は、いくら小学生でも、クラスの全員が見抜いているだろう。教室内で突風を吹き荒れさせて子供達をひっくり返し、その三日後に転校が決まったというのだから。

 まだ若い担任教師は、志津丸の方が哀れに思うくらい彼に怯えている。

 今やこの学校の誰もが、彼は児童に化けて潜り込んだ怪異である、という事実を把握していた。


 最後に志津丸の登校が許可されたのは、学校側なりの恩情か、邪険に追い払ったりしてこれ以上のトラブルになるのを恐れたのか。


 陸号によれば、過去には幽霊になった児童の卒業までの登校が認められたケースなどもあるそうだ。勿論それは、怪異として無害な場合に限られるだろう。志津丸の件では駄目だったという訳だ。


 今回連鎖的に、陸号まで怪異である事が周囲にばれてしまったのは、正直申し訳ないと志津丸は思っている。音戸邸襲撃の件でも、目の前でしくしく泣かれた。

 彼に対しては、心の底から謝罪すべきだと頭では分かっているのだが、どう言葉にしたものか整理がつかない。


「……ですので、皆さん、『帰りの会』でお別れの挨拶をしましょうね」


 教師の説明が終わり、志津丸は教壇の端からクラスメイト達を見回した。


 教室の中央近くに座る、佐藤真由と視線が合う。

 長めの前髪に隠れた常に下がり気味の眉尻が、今日は心なしか更に垂れていた。いつの間にかじっと彼女を見つめていた自分に気づき、志津丸は慌てて視線を逸らす。


 と、窓際の席で俯き気味になっている児童が視界に入った。

 佐藤をいじめがちな男子児童だ。三日前、彼が佐藤にいたずらを仕掛け、それで志津丸は天狗風を起こした。

 名前は――小塚こづかといったか。弱い者いじめを好むが志津丸には怯える卑怯者、とだけ認識していたので、よく覚えていない。

 彼は強張こわばった表情で、一心に自分の机を見つめていた。どういう感情の表れなのか、少しばかり志津丸は考えたが、やはり興味は持続しなかった。



   ◇



 「あの、大垂水くん……」


 慣れない苗字で呼ばれ、志津丸は振り返った。

 すぐ後ろに佐藤が立っている。


 今は二時間目の授業後である。一時間目の頃から、佐藤は何やらもじもじしていたので、多分声をかける機を窺っていたか、決断に時間がかかっていたのだろう。


「なに」


 ぶっきらぼうに志津丸は返答した。


「えっと……ごめんね」

「――なんで佐藤が謝んの?」

「わっ……わたしのせいで転校するんでしょ?」

「いやちげーし。関係ねえし」


 つい怒ったような訂正の仕方になってしまい、佐藤がびくりと震えたものだから、志津丸は狼狽した。ずっと自分に対して苛立ってはいるが、佐藤に対する害意はない。もっと優しく応対するべきだった。


「あー……ほんとに、マジで、佐藤は関係ねえから。謝られる方がイヤ……イヤっつうか、困る」


 可能な限り丁寧な説明を試みる。

 佐藤が、多少表情を明るくしてみせた。


「うん、分かった……。じゃあ、ええと……と、遠くに引っ越したりとか、するの?」


 さあ、とそこは首を傾げざるを得ない志津丸である。

 陸号の正体も周囲に知られた訳だが、彼の経営するボードゲームカフェ『ロックペーパーシザーズ』には、元々怪異の客が多い。当初は人狼のコミュニティのために開いた店だ。

 今時、怪異が店をやっているくらいで周辺住民の排除運動が起きるとも思えないので、当面は転居の必要まではないだろうと、そこは陸号は楽観的に構えている。

 人間社会のそうした微妙な部分が志津丸には理解しきれないが、とりあえずそういうものらしい。


「引っ越しとかは、多分ねえって」

「そう……」


 佐藤が少し目を伏せてから、また志津丸の方を見つめた。


「ねえ、転校する前に……今日の放課後、会いに行ってもいい?」

「え、なに。どこに」


 動揺した志津丸は、思わず口早に問い返す。


「どこでもいいよ。……大垂水くんは、だめ?」

「別に。でもさ」


 上手く言葉を選べないまま、彼は一旦引き結んだ唇を開いた。


「お前こそいいのかよ。分かってんだろ。オレっ……人間じゃねえんだけど?」


 思いのほか大きな声が出てしまった。周囲の座席の子供達が数名、こちらに視線を向ける。


「分かってる。でも、このままお別れになるのは嫌なの」


 佐藤の声も、初めて聞くようなきっぱりとしたものだった。

 彼女を見つめ返しているうちに、何故だか顔面が高熱を発し始めた気がして、志津丸はがたりと椅子を蹴立てて立ち上がる。


「わーったよ。好きにすりゃいいだろ。じゃあ……なんか……放課後な」


 不愛想にそれだけ言い捨てると、急ぎ足で廊下に出て涼しい空気を吸い込んだ。

 このまま顔でも洗うかと、トイレの方へ歩いていると、後ろから新たな声がかかる。


「おい。おい大垂水!」


 今度は何だとうんざりしながら首を向ければ、呼び止めてきたのはクラスメイトの小塚である。志津丸が風で吹っ飛ばした、いじめっ子の男子だ。

 朝礼の時間には俯いていた癖に、今はやけに切羽詰まった顔色でこちらを見据えている。トイレにでも行きたいのだろうか。女子児童ではあるまいし、一人で行けば良いものを。


「アんだよ」

「ちょっと来い!」

「何の用だつって聞いてん――」

「いいから来いって!」


 小声だが強い口調で言うなり、小塚は強引に志津丸の腕を掴み、近くの空き教室へと引っ張り込んだ。



   ◇



 天狗達が伽陀丸を連れて帰り、騒動の一段落した音戸邸にて、ミケが庭掃除をしていると、陸号が訪ねてきた。

 今日は人間の姿で、もう一人、スラヴ系と思われる女性を伴っている。貫禄のある体型で、明るいグレーの瞳にグレーの混ざったブロンドのひっつめ髪。六十手前くらいの年齢に見えるが、匂いから察するに、彼女も怪異だ。


「改めてお詫びを……」


 と、人狼らしい義理堅さで陸号は菓子折りを差し出す。


「だから決闘申し込み自体は、別に気にしなくていいんだがな。――あっ、でもこれ『ざさ』の最中もなかだ。こりゃ嬉しいや、ありがたく頂く」


 雁枝は和菓子が好きだから喜ぶだろう。ミケは菓子の紙袋を受け取って、今一人の怪異の方へと顔を上げた。


「そちらさんは?」

「ペトラ・コンヴァリンカさん。僕と同じく人狼でして」

「初めまして」


 紹介された人狼のペトラは、日本暮らしが長いのか、自然に日本式の一礼をしてみせる。


「貴方が音戸邸のミケさんね。お噂はかねがね」

「どうも初めまして……。何だい、真面目な話みたいだな?」


 ペトラの眼差しからどことなく深刻な色を見て取ったミケは、植木に立て掛けていたほうきを持って、二人を手招いた。


「立ち話もなんだから上がんなよ。御主人を呼んでくる」



   ◇



 客間に通した陸号とペトラ、それに昼寝から起こした雁枝へ、貰ったばかりの最中もなかと煎茶を出した上で、ミケもテーブルに着いた。


 ペトラの話は単刀直入だった。呪物にして怪異である『ヴィイの魔眼』を伽陀丸に与え、『改革』をそそのかした者の正体は、ヴィイと同じく東欧出身の、とある凶悪な人狼ではないかというのだ。


霧中のイーゴリイーゴリ・ヴ・トゥマネ。そんな厄介者が、東京に来てるってんだね? 自分の食欲を満たすためなら何だってタイプだ」


 最近都内に潜伏したと思われる人狼について、一通りの説明が終わったところで、雁枝が話をまとめる。


「ええ。特に、怪異であれ人間であれ、子供の血肉が大好物。奴が誰かを利用するなら、まず若い子を狙うと思うね。もてあそんだ挙句、最後にとっておきのディナーにするのが好きだから」


 ペトラの言は全く笑えないジョークのようにも聞こえたが、多分冗談でも何でもなく、イーゴリという人狼にはそうしてきた事実があるのだろう。


「でも、魔眼は天狗さん方が持って行っちゃいましたよね」


 陸号が不安げに発言した。


眼力がんりきの異能といえば、天狗の得意分野でもある。高尾の頭領の瑞鳶ずいえん様は、『千里眼』の持ち主でしょう? 眼力を風に乗せて、山風の吹き降ろす場所全てを見通せるとか」


 山風使い瑞鳶の千里眼。関東に住まう怪異なら知らない者はいないと言われる程の、天狗の中でも飛び抜けた異能である。


 尤も、『見通す』だけで会話まで出来る訳ではないため、千里眼を使いながらミケの携帯に電話をかけてきた事もある。

 それならばSkypeのビデオ通話でも使えば良いのでは、とミケは助言したのだが、二十一世紀以降に普及したアプリケーションは苦手らしい。偉大ではあるが、よく分からない人物だ。


「ああ。瑞鳶は千里眼の睨み合い勝負で、魔眼の霊威を消滅させるつもりのようだね。いくらか時間はかかるだろうが、あいつなら出来る」

「じゃあもう安心――」

「そうとも限らないよ。ヴィイの魔眼は、通常二つ一組で扱われる」


 陸号の安堵の吐息を、ペトラが遮った。


「なるほど。確かに魔眼は、ヴィイが取り憑いた人間や動物の遺体から取り出される呪物。動物の目ん玉は普通二つだ。あれと対になる魔眼が、まだどこかにあるって訳だね」


 雁枝が頷き、たちまち陸号が両の眉尻を下げる。


「そんな物騒なァ」

「あまり情けない声を出さないの、あんたも一端いっぱしの人狼でしょうが」

「はい」


 ペトラに説教されて肩を落とした陸号に、茶のお代わりを注いでやってから、ミケは「しかし」と切り出した。


「もう一つの魔眼の行方と、霧中のイーゴリイーゴリ・ヴ・トゥマネの居どころ。もしイーゴリが今回の件と関わりがなかったとしても、警戒しなくちゃならん情報ではあるが……そいつが動くとしたら、何が目的だろうな?」


 まだ憶測の段階のため慎重な言い方をしたが、魔眼の出所でどころがイーゴリである可能性は高いとミケは踏んでいる。


 ヴィイの魔眼はその性質上、自ら移動出来ない怪異であるし、そこらにホイホイと転がっているような代物でもない。通常の手段で輸入される事もあり得ない。

 明白な悪意を持った何者かが、裏ルートから持ち込んだのだ。

 そんな芸当が出来る者もまた、人間にも怪異にもそう多くはない。しかし、イーゴリならば可能とペトラは確信している。

 あとは彼女の証言にどの程度信を置くかだが、少なくとも相当な場数を踏んできた人狼である事は間違いなさそうだった。


「考えられるのは、縄張りの乗っ取りかねえ」


 大事に取っておいたらしい最中もなかの白餡の一欠片を口に運び終えると、雁枝が独り言めかして息を吐く。


「ペトラ、イーゴリに眷族けんぞくは? 悪名とはいえ、それだけ名高い怪異だ。人狼の本能を考えると――」

「残念ながら、多分いるだろうね。付き従おうって奴も」


 人狼は群れを作る怪異である。際立って強い個体が出現すれば、自ら従者となってお零れにあずかろうとする者も現れる。


「となると、眷族ともども腹いっぱいに出来る縄張りを確保しようとして……伽陀丸にウチを襲わせた?」


 推論を述べたものの、どうもしっくり来ない様子で雁枝は眉根を寄せる。


「何だか、出来過ぎな気がするんだよな御主人」


 ぽつりとミケが呟いた。


「出来過ぎ?」

「伽陀丸がヴィイの魔眼を手に入れる……同じタイミングで志津丸が転校になるような騒動を起こす……二人して、この屋敷に喧嘩を売りに来た」


 陸号から散々嘆かれたので、ミケは志津丸が小学校でトラブルを抱えていたと知っている。

 本来の彼は、気性は荒いが真っ直ぐな性格なので、修行をショートカットして終わらせようなどとはしなかっただろうに、とは陸号の証言だ。

 いくつかの偶然が重なった結果、二人の未熟な天狗はチャンスを得たと見て行動を起こした。結果、天狗達も音戸邸も動揺させるような事態となった……。


「仮に、だ。全て偶然じゃなかったとしたら? 志津丸も伽陀丸も、この屋敷自体も、本当の標的から目を逸らさせるための囮だったとしたら」

「えっ……本当の標的って、なんです?」

「たとえば――」


 陸号の質問にミケは、直感に従ってさらりと応じた。

 これは単なる勘だ。しかしミケとて、伊達に魔女の使い魔を七十年務めていない。

 イーゴリのような子供の血肉を好む怪異とは、過去に何度か対峙してきた。その手のどうしようもないろくでなしの手口は、よく把握している。


「――学校だとか」


 ある種の確信を籠めて、彼は言った。

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