第30話 猫と死霊の剣舞 (3)

 遺跡のある敷地内に入ると、いよいよ街灯もなくなる。車を停めた根岸達は、懐中電灯を手に細道を進んだ。


 織豊政権期から江戸時代初期にかけての鍛冶場と武家屋敷の跡地と見られるこの遺跡は、調査が終わったら埋め戻されて、道路か住宅地になる予定だそうだ。一応、遺跡説明の看板と碑文を立てる計画もあるらしい。


 遺跡が見つかったとなると、公園などに整備されたりするイメージが強いが、実際には調査と記録を終えたら、後は普通に開発される場合も多い。保存整備までされるのは、余程歴史的に重要な発見があった遺跡のみである。


「文献の記録からしても、この辺りに山本氏の拠点があった事は確実視されてる。だから今出没してる幽霊が、かなり山本康重『本人』に近い可能性はあるのよね」


 隣に立つ滝沢が、ブルーシートの被せられた調査中遺構にライトを当てる。


「ええ。今回彼が出現した理由も、本当だとしたら納得出来るものですし」


 と、根岸は周辺の立ち木を見回して頷いた。

 ここに来る道中は、まるでこちらを誘導するかのような怪異の匂いを辿れていたのだが、いざ遺構の目の前まで来ると、どういう訳か怪異の匂いがあちこちに散っている。どこに現れるのか、予測が難しくなってしまった。


「日没後から午前二時くらいまでの間、敷地内にランダムに出現って話でしたよね?」

「うん……でも今はいないみたいね。怪異は気まぐれだからなあ」


 こういう場合、出てきてくれるまで待つしかない。

 季節は二月の末。昼間は過ごしやすくなってきたが夜はまだ冷え込む。

 カメラとボイスレコーダーを設置して車で待機という手もあった。しかし出来れば根岸としては、直接接触して話を聞きたい。


「滝沢先輩。僕ここでしばらく待ってみますから、先輩は一旦車に……」


 そう言いかけた時、根岸の鼻をくすぐるものがあった。

 線香を間近に突きつけられたような匂いだ。背後から立ち昇っている。

 隣に立つ滝沢が、根岸の背後、肩口あたりを見て短く息を呑んだ。

 根岸はさっと後ろを振り返る。そのほとんど目と鼻の先に、能楽の面が浮かび上がっていた。


「わッ!」


 幽霊が幽霊に怯えるというのも情けないが、誰だってこれには驚く。根岸は数歩よろめくように後退あとずさり、発掘作業途中のトレンチふちでぎりぎり留まった。


 暗闇の中、虚空にぽつんと浮いているのは、小飛出ことびでと呼ばれる種類の能面だ。

 動物や人ならざる者を演じる際に被る面で、これを使用する演目の有名どころと言えば、『小鍛冶』だろう。平安期の刀匠、三条宗近さんじょうむねちかが、狐の精の力を借りて名刀小狐丸を鍛え上げるという粗筋である。


 なるほど、鍛冶にゆかりのある面だな、と多少落ち着きを取り戻して根岸は考えた。


「やっ……康重さん……康重どの? ですか?」


 能面に向かって、根岸は問いかける。


「なに、『どの』って。普通でいいよ」


 滝沢が小声で囁いた。

 トクブン勤めとは言っても、新卒二年目のヒラである根岸は、江戸時代より昔に遡る出自の怪異と直接対話した経験が乏しい。どうしても緊張する。


「若造、おぬし、怪異か」


 唐突に能面が喋った。

 根岸と滝沢は、同時にぎょっとして身を竦める。能面の声が一人分ではなかったからだ。

 複数人の男達が一斉に声を揃えたような響きだった。


「はっ……ええ、僕も怪異です。幽霊」


 咄嗟に、ごく正直な回答を根岸は投げる。

 能面が空中に静止したまま、僅かに揺らめいた。そして宙に浮いている面の下から、するするとスクリーンが降りるかのごとく、身体が現れる。


 柿渋色の素襖すおう姿。江戸時代初頭のものにしては古めかしい服装に見えた。全身が現れてもなお、面と声のせいでどういった人物なのか分かりにくいが、大きく筋張った手は熟練の職人を思わせる。


「怪異が、なにゆえに」


 康重の声がざわついた。一人でざわつくというのも器用な話だ。


「かような出で立ちで……」


 能面が顎を下げるので、つられて根岸は自分の服装を見下ろす。

 作業着と軍手と作業用安全長靴、リュック、腰に懐中電灯。現場仕事の際の標準的な装備である。しかし確かに、四百年前の幽霊が会う『同族』としては奇異かもしれない。


「東京都特殊文化財センターの職員です。彼は根岸、私は滝沢と申します」


 滝沢が進み出て紹介してくれたので、根岸は彼女と揃って頭を下げる。


「ふむ」


 複数の声が短く応じ、能面もまた一礼した。


 事前の情報どおり、相手は凶暴な怪異ではなさそうだ。会話も出来る。

 かつて根岸がそうだったように、年月の経過や現実の風景を正確に認識出来ていない可能性はあるが、困惑はしていても混乱した様子は見られない。


「あ――改めてお尋ねしたいのですが。貴方はこの地に暮らした名匠、山本康重さんですか?」

「いかにも、は下原の鍛冶、山本康重やまもとやすしげである」


 我ら、と康重は称した。根岸は滝沢と視線を交錯させる。


「康重の名は襲名……」


 確証はなかったが、根岸は目の前の怪異の正体をおぼろに察した。身体は一人分なのに大勢の声を宿し、刀匠にとって象徴的な面を被りかおはない。

 刀匠康重、その名前と技術を受け継いだ、複数名の刀鍛冶の精神が混ざり合って顕現した怪異、それがこの小飛出面の男ではないだろうか。

 幽霊というより、鍛冶の妖精とでも呼んだ方が正確かもしれない。


「貴方は……ご自身の刀に、異変が起きた事を訴えていらっしゃると聞きました」


 根岸は康重に向き直り、そう続ける。


 彼がこの件に関心を抱いた理由は、資料に記載されていた幽霊の目撃情報にあった。

 夜な夜な現れては、「康重が刀は如何いかに」と延々呟いてやがて消える。あるいは、近隣の住民が近くを通りかかっても出現し、同じ文言を問いかけてくる。そういう話だった。


 康重が刀、と言うからには、所有物か自分で鍛えた作品の事だろう。現存しているなら骨董品だ。「刃物の文化財に異変」となると、根岸の追っている一連の事件と似通ってくる。それで、こうして直接聞き取り調査に乗り出したのだ。


「然り」


 と、康重は肯定で応じる。


「我らの鍛えたるやいば数多あまたあり。下原鍛冶したはらかじはあまねく市井の者らの役に立つ事こそほまれ。ゆえに、いずれは刃も欠け、鋳潰いつぶされる運命さだめである」


 山本氏が率いた下原鍛冶という職能集団は、実用性重視のスタイルで知られていた。そのため美術品として今に残る作品は少ない――これは滝沢が説明していたとおりだ。


やいばがその運命を全うして消えゆく、それこそが我らへの慰霊である。しかし……」


 能面が傾いた。康重はどこか遠くに視線を投げてみせる。

 次に発言するべき言葉を選びかねて話し合っているような、さわさわとした囁きを重ねた末に、康重は再び根岸に対して声を揃えた。


「いかなる怪事か。我らが刀のうち、形を保っていた七振りばかりが、この世から突然に

「消え失せた?」


 意味するところが分からず、根岸はおうむ返しに質問する。


「さよう。折れるでも、焼けるでも、鉄塊に還るでもなく、消えてしもうた」

「え、そんな――刀が七本? 元々どこにあったんです?」

「様々な場所に。我らが顕現する場は、本来、我が子たる刀の元であった」


 自らの手で鍛えた刃物であれば、康重は存在を感知出来るらしい。時に刀に取り憑いたり、刀の傍に出現したりして、自身の作品とその所有者の行く末を見守っていた。


 が、ある日突然、刀を見失った。

 七振りもの刀が一切痕跡を残さず、完全に世界から消滅した。そうとしか思えない事態だった。


 取り憑くべき自作品を見失った複数人の『康重』の霊は、山本氏ゆかりの地であるこの場に自然と集まり、一体の『康重』として改めて顕現した。

 しかし本人達にもこの現象は、全く理解出来ない。そこで自分の刀はどうなった、どこに行った、と手当たり次第に通行人へ問いかけていた。

 彼の証言をまとめると、そういう経緯らしい。


「それは……どういう事なんでしょう。先輩、どう思います?」


 話を振ると、半歩引いた位置で根岸と康重のやり取りに耳を傾けていた滝沢が、困り果てた顔で両腕を広げた。


「訳分かんないわ。骨董品が、それも刃物が複数紛失したなら、人間にとっても大ごとでしょ。警察に届けられるはずじゃないの?」


 確かに、警察沙汰となった上で報道されてもおかしくない事件だ。しかしここ最近そんなニュースは見かけた覚えがない。

 根岸は考え込んだ。


 ――紛失事件や盗難事件にはなっていない。しかし康重は刀の存在を感知出来なくなった。


「康重さんだけが……怪異だけが刀の存在を認識出来なくなってるとしたら」

「あ――」


 根岸の思いつくままの呟きに、滝沢もピンときた様子で顔を上げる。


「『お祓い』されちゃった?」


 物品を神聖なものとして祓い清め、怪異が寄りつけないように保護する。昔から様々な形で行われていた儀式であるし、現代はスペル・トークンによってより強力な方術が開発された。

 怪異側から見れば、取り憑いていたはずの相手が認識出来なくなり「突然消えた」ように見える方術もあったはずだ。


「なんと。まことか、そのような」


 憤りの篭もる声を、康重のうち数名が上げた。

 彼にしてみれば、自分の作品から追い払われた訳だから、気分の良い話ではないだろう。


「いや、でも……七本も?」


 しかも康重の口振りからして、ほぼ同時期にだ。

 ……怪異嫌いの刀剣コレクターが、康重銘の日本刀を一度に七本収集した? そしてお祓いを行った?


 根岸は再び頭を抱えざるを得ない。そんな事が起きるだろうか?

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