第26話 怪談の学校 (7)

 リンダラーとチャチャイは、二人で一旦タイに帰ると言う。

 何しろリンダラーは、身体を半分故郷に置いてきてしまっている。本体である首が無事なうちは、死体のように腐敗したりはしないそうだが、とはいえ妥当な判断だろう。


「一旦、というのは? また日本に入国する予定?」


 管理棟内で大方の話を聞き終えた鶴屋は、困った様子でこめかみを掻いた。

 現在管理棟の応接間では、リンダラーとチャチャイ、そして数年ぶりに廃校の外へと出向いたハナコが、陰陽士達と向かい合っている。


 リンダラーとチャチャイは目立って仕方ないため、資料館のミュージアムショップで売られている、戌亥小学校ロゴ入りのお土産Tシャツを渡されていた。

 チャチャイのはねは、浅型のざると同サイズくらいまで畳めるもので、大きめのシャツを着れば一応隠せる。

 リンダラーもオーバーサイズのシャツで、とりあえず剥き出しの内臓は覆われた。


「やだ〜チャチャイとペアルックじゃ〜ん」

「ほんとだね〜リンダラー」


 と、二人はお揃いのシャツを気に入ってイチャイチャしている。管理棟職員と陰陽士は、一様に頭を抱えた。


「あのっ、こっちの質問に答えて貰っても?」

「そいつらはまた戌亥小に来るぞ。ハナコがこれから『契約の呪い』をかける」


 言葉を重ねる鶴屋に向かって発言したのは、ソファの上で胡坐あぐらをかいてふんぞり返っているハナコ当人である。


「怪異は噓つきで気まぐれ。だが『契約の呪い』からはのがれられない。メリーやヨシエを傷つけた詫びは、ハナコがきっちり支払わせるからな」

「詫びというが、何をさせる気だ?」


 ミケが根岸の膝の上から問いかけた。応接間のソファの数が限られるため、例によって彼は省スペースモードだと言って猫の姿に戻っている。


「お前だって『もがりの魔女』と契約を交わした身だろ、使い魔猫。似たような仕事だ。奴らは他所よその土地の者、使い魔になれとまでは言わねえが」

「俺の仕事ってぇと、バブル期に土地の転売したり?」

「そこまでしろとも言わんわ! だから、学校の掃除だとか……ドッジボールに付き合うだとか……」

「おい、使い魔を何だと思ってるんだよ」


 家令兼使い魔を名乗るミケは、音戸邸の家事全般もこなしているが、主人の所有する土地や財産の管理も執り仕切っている。寧ろそちらの方が大仕事だ。

 ハナコの就労に対するイメージにいささかプライドを傷つけられたらしく、ミケは不機嫌に両耳と目を伏せて丸まってしまった。


「タイからまた日本に舞い戻ってくるというのも、ちょっと過酷なような」


 ミケの丸くなった背中を撫でてなだめながら、根岸はリンダラーとチャチャイに助け船を出す。


 学校内で何が起きたのかまでは見届けていないが、怪異の精神の乱れが自力でどうにもならない事は、身をもって知っている根岸である。

 幽霊となった根岸が狂暴化するような力を持たず、また最初に出逢えたのがミケだったのは、全くの幸運に過ぎない。


 が、当人達はけろりとしたものだった。


「あたしは別に構わないわよ。チャチャイと一緒だったら世界のどこにいたって、ねぇ?」

「勿論おれも同じさリンダラー!」


 リンダラーは小腸だか胃袋だかでチャチャイをつつき、チャチャイはそんなリンダラーを愛おしげに抱きしめる。

 他人が口出ししたり気遣ったりする必要はなさそうだと、流石に根岸も思い直した。


「……次に入国する時は、出来れば飛行機を使って欲しいものですけども。まっ、無理にとは言いません。結局そのルートでもパスポートが偽造になったりしますからね」


 鶴屋も、その隣でタブレットを叩いていた山東も、慣れた風に諦めの表情で話を締め括る。

 応接間内に一件落着の空気が流れかける中、ハナコがすっくと立ち上がった。


「決まりだな。じゃあ『契約』に入る」


 直後――引き止める猶予もなく。

 ハナコの足元からぞろりと、大量の黒い影が這い出した。

 影は滑るように素早く床を進み、リンダラーとチャチャイの身体にまとわりつく。

 子供の金切り声にも似た凄まじい音が部屋中に響き渡り、窓ガラスがびりびりと震えた。


「ちょ、っと、こんな所で!」


 泡を食った根岸は、不貞寝しているミケを咄嗟に小脇に抱え、ソファの背もたれを飛び越えてそれを盾代わりにすると、スペル・トークンを手に取る。


 しかし根岸が結界術を発動させるより一瞬早く、


「――“未掟時界アンコンヴィクテド”!」


 鶴屋の詠唱が完了した。

 目に映る限りの空間が塗り固められ、硬直する感覚。今にも砕けそうになっていた窓ガラスや震えていた家具が、ぴたりと静止する。

 流石は陰陽士、と根岸は舌を巻かざるを得ない。根岸の傍にいた滝沢も既にスペル・トークンを構えていたが、彼女よりも更に素早く正確だった。


 そういえば先程、廃校の異変に管理棟の面々が気づいた時、根岸はミケと諭一が心配ですぐさま校舎に向かったが、鶴屋は管理棟に残り、構築した結界内に周囲の一般市民を避難させる方を優先した。

 怪異事件が発生したら近隣民間人の避難が第一。これは陰陽士の守るべき原則とされている。


 他方、結界に守られた室内の中央で、ハナコは契約の儀を続けていた。

 自身の血や肉体の一部を使い、契約相手の身体の内側に刻印を残す。怪異同士はそうやって、互いに自由気ままな種族を一定の呪縛下に置くのだ。


 ハナコの一部であるらしい子供の影は、夜の闇が凝縮されたかのような一塊ひとかたまりとなって、ハナコのみならずリンダラーとチャチャイをも覆い尽くす。

 そして彼女は朗々と、契約の文言もんごんを唱えた。


「我が血肉を、なんじの身のうちへ。

 血肉はびょうなり。

 びょうは呪いなり。

 なんじらは……えっと……また学校に来てドッジボールとか高鬼たかおにとかして一緒に遊ぶまでとがを負う……」


「どんだけドッジボールしたいんだろ」

「小学生って授業の間の十分休憩くらいでもドッジボールしたがりますからね、どうかすると」


 ソファの背もたれの陰で、滝沢と根岸はこっそり囁き合った。

 内緒話のつもりが耳に届いてしまったらしく、ハナコがじろりと睨んできたが、すぐに彼女は契約相手へと向き直る。


「これなる呪いに応じるかッ!」

「応じる!」

「応じる!」


 ハナコの叫びに対し、即座にリンダラーとチャチャイが呼応した。


「契約は、成された!」


 最後にハナコが宣言し、彼女と二体の怪異を覆っていた巨大な影は、ふうっと薄れて消えた。


 見守っていた人間達は誰からともなく、安堵の溜息を漏らす。


「何だ、ビビリだな結界まで張って。契約の最中に他の人間なんか傷つけるわけねえだろ」


 結界の解除された応接間を見渡し、ハナコが呆れ声を上げた。

 陰陽士用の、警棒に近い形状のスペル・トークンを畳んで腰のホルダーに収納した鶴屋が、勘弁してくれとばかりに両手を広げる。


「花瓶の一つくらいは割れたかもしれませんので。そういうのにも気をつけなきゃならないのが我々陰陽士なんですよ。頼みますよホント!」

「そうだぞハナコ」


 ミケは鶴屋に同調した上で、根岸に向かって「ニャア」と鳴く。


「根岸さん、下ろしてくれて構わんよ」

「あっ、すみません」


 緊急事態だったので、根岸はミケを脇に抱えっぱなしだった。仰向けに腰を抱えられた彼は、大分妙な姿勢になっている。

 ソファの上に下ろされると、ミケは前脚を伸ばした体勢でハナコへと向き合った。


「長年、あの縄張りの中で仲間を守ってきたお前さんは大したもんだ。しかし一つの所に篭もりきりになると、人間や他所者よそものと上手くやれなくなっちまう。世間とだんだんズレてくるからな。そこは考えた方がいいだろ」


 それから彼はちらりとドアの方を見遣って、


「悪い偶然が重なったとはいえ、今日諭一を連れて来たのはマズったな」


 と、反省の弁を述べる。


「う……分かってる。あの『灰の角』とかいう異国の怪異には悪い事をした」


 ハナコもそこは素直である。


 丁度その時、計ったようなタイミングで応接間のドアが叩かれ、職員用休憩室で休んでいたはずの諭一と志津丸が、ぬっと顔を見せた。


「なーんか、またすっごい音しなかった……?」

「おう、お前。メリケン帰りの。いい所に来た」

「めりけん?」


 きょとんとする諭一をハナコは手招き、改まった態度で頭を下げた。


「『灰の角』を疑った事は詫びよう。金輪際、ハナコの仲間がお前を傷つける事はない。何なら、テケがなついたようだから、お前が快癒するまで手伝いに行かせるが? 茶運びくらいは出来るぞ」

「テケって、あの血の手形くん? いやー……うちに訪ねて来られたら、多分両親もハウスキーパーさんも腰抜かすから……結構です……」


 戸惑いのままに応対するしかない諭一である。


「シヅマル~! おれまたすぐに日本に来る事が決まったから! 今呪われたからー」

「あぁ?」


 嬉々として『契約の呪い』の報告をするチャチャイに、志津丸は眉をひそめた。


「次日本に来たら、トリキとヨシノヤ連れてってよ」

「なんでだよ」

「……吉野家、タイにもありますよ」


 志津丸に続いて、根岸は思わず指摘した。

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