第25話 怪談の学校 (6)

 戌亥いぬい小学校の玄関前に立った根岸は、呆然とした。


 扉がない。

 

 悲惨にも、廊下の中にばらばらになった木片が散らばっている。窓は割れ廊下の床板は傷つき、大変な有り様となっていた。


 異音を聞きつけてやって来た管理棟職員と滝沢が、


「ぶ、文化財ぃいいーっ!?」


 と、独特の悲鳴を上げる。

 築一三〇年の文化財の保護も大事だが、根岸としては中にいるはずのミケ達が心配だった。


「ミケさん! 諭一くん!」


 急いで上がり込み、破片を避けつつ奥へと呼びかける。

 すると、廊下の向こうからミケと諭一がひょっこり姿を見せた。諭一の方はミケの肩にもたれかかり、ふらついていたが、ミケはごく普通に片手を振ってみせる。


「おーう、根岸さん」

「何があったんです? 大丈夫ですか? 諭一くんと……その肩は?」


 根岸は駆け寄って、ミケの左肩を指差した。特に怪我をしている様子はないのに、そこにだけべったりと赤い血痕が広がっている。


「ああこいつは、こういう怪異。テケっていうんだ」


 そう応じてミケは、血痕を指先で摘まんで、ぺらりと綺麗に剥がしてみせた。たちの悪いジョークグッズのようだ。


「このテケと諭一が体調不良でな」

「た、体調? 一体何が?」

「ピー・ガスーに襲われた」


 タイ全土でも有数の高名な怪異、ピー・ガスー。

 女の生首が内臓をぶら下げて飛び回るという、インパクトのあり過ぎる外見ゆえに有名なところもあるが、多くの個体はその知名度に相応しい霊威を誇る。


 落ち着いている間は鶏肉を食べるくらいで満足しているのだが、凶暴化すると家畜や人間の生き血を啜るようになり、他の怪異の縄張りも荒らす。

 彼女らは霊威によって結合されたものを『ほどく』ことを得意としており、怪異が縄張りに張った結界を破るのは勿論、人形や人骨に取り憑いている怪異を動けなくさせたり、憑依先から分離させる事も可能だ。


 人間が彼女の力を浴びせられると、強制的に意識や身体を弛緩しかんさせられ、時には眠らされる。無抵抗になったところでゆっくり吸血されるという訳だ。


 今回小学校を襲撃したピー・ガスーは、特に強い部類だったらしい。

 ミケいわく、ピー・ガスーの攻撃から身を守るには、


「彼女の放つ光を見ないようにして、後は気合で耐えるしかない」


 との事だ。ミケくらい強い怪異ならばともかく、怪異憑きである点以外は普通の人間の諭一には厳しい。


「ううー、気分悪い……寝落ちそ……」


 諭一は弱々しく頭を振ってぼやいている。


「休める所まで連れてってやるから、ちょっと待て」


 ミケは諭一を宥め、彼を肩口にかつぐような体勢を取った。諭一と小柄なミケでは大分体格差があるのだが、特に重そうでもないのは流石といったところか。


「ピー・ガスーはどうなったんです? ――ミケさんが……退散させた?」


 多少表現に気を使いながら、根岸は問い質す。

 ミケは強いが決して好戦的な気性ではないし、たとえやむを得ない事態でも、同類である怪異を自分の手で消滅させるような真似は嫌っていると、幾度かの事件を経て根岸は察している。


「いや、ピンピンしてるよ。そこに」


 今回は気遣いの必要はなさそうだった。ミケが視線で奥を示したので、根岸と滝沢はそちらへと足を急がせる。


 突き当たりを曲がった先には階段があり、その手前にどういう訳か、自転車が一台横倒しになっていた。特徴的な赤い塗装。都内でよく見かけるシェアサイクル用の自転車である。

 半地下にくだる階段を二段ばかり降りたところで、疲れたきった風にしゃがみ込んでいるのは、驚いた事に天狗の志津丸だった。


「……志津丸さん?」

「あ? 何だ、根岸かよ」


 根岸の顔を振り仰いで、ぶっきらぼうに志津丸は言う。

 彼が腰を下ろした階段の向こう、倉庫と見られる扉の手前には、二体の怪異がいた。


 一体は、精緻に編み上げた竹細工を思わせる梔子色くちなしいろの四枚羽を背に生やした、若い男の怪異。

 七分丈のゆったりしたパンツを穿き、大判の布を腰に巻いているが、上半身は草を編んで作ったらしい装飾を身につけただけで、ほぼ裸である。

 その特徴的なはねは印象深いので、根岸にもすぐに正体が分かった。彼がピー・ガハンだ。


 もう一体は――こちらも正体は一目で分かる。内臓をぶら下げて浮遊する女の生首。ピー・ガハンの伴侶、ピー・ガスーだった。


「ああ、チャチャイ! きっとまた会えるって信じてたわ!」

「リンダラー、海を越えてまで来てくれたんだね……!」


 向かい合った二体の怪異は、感極まった表情でひっしと抱き合った。


「おーおー」


 と、志津丸が冷めた声で囃し立てる。


「何なの。ネトフリのアジアンラブコメドラマ?」


 滝沢が呆れた様子で腕を組んだ。Netflixもこんなドラマの企画を持ち込まれたら、レイティング設定に困るのではないかと根岸は余計な心配をする。

 その時――


「お前らなあ」


 苛立ちをはらんだ、底冷えのする呼びかけが聞こえてきて、倉庫から赤いスカートにおかっぱ頭の少女が現れた。

 彼女は人体模型の一部と思われる、首と内臓の模型をいくつか抱えている。更にその後ろから、やけにぎくしゃくとした動きで、波打つ長い髪の少女が姿を見せた。こちらは膝下丈のスカートにブラウスという可憐な装いなのだが、顔も身体も半ば骨が透けている。


「ここまでやっといて、何を幸せに抱き合ってんだ。メリーやヨシエに、どう詫びの落とし前をつける」

『そうよそうよ』


 突然、滝沢の鞄の中からくぐもった文句が飛んできて、彼女は「ひゃっ!?」と仰天した。

 慌てて滝沢は鞄を探る。スマホを取り出して、ふうと息をついた。


「あー、人の電話をジャックする怪異ね。メリーさんか。ちょっと、勝手に使わないでよ」

『何よ。もうちょっと文句言わせてよ、あの内臓女に』

「あんたも内臓剥き出しは同じでしょ。私のスマホを巻き込まずにやって。これ仕事用の貸与品なんだから」


 ぴしゃりと滝沢は言ってのけた。

 トクブン勤めであるから、この程度の怪奇現象にはひるまない。


「詫び? え、ええーと……シヅマル、どしたらいい? 日本の怪異って何するの、こういう時」


 ピー・ガハンの青年は、少女の怪異達に囲まれて気圧されし、困惑の表情で志津丸に助けを求める。


「知るかよ。……働いて詫びればいいんじゃねえの。扉の修理とか」

「あっ、おれ『編み上げる』のは凄く得意だよ。すだれなら今すぐ作ってあげるよ」


 あっけらかんと提案するピー・ガハンだったが、その場の空気は険悪さを増すばかりである。

 頭痛をもよおした根岸は、眼鏡をずり上げて眉間を押さえた。



   ◇



 学校の怪異達には何とか一旦気を鎮めて貰い、根岸と滝沢はタイの夫婦つがい妖怪に簡単な聴取をおこなった。


 ピー・ガスーの名はリンダラー、ピー・ガハンの名はチャチャイ。

 共に、タイの長閑のどかな農村地帯で生まれ育った怪異である。


 チャチャイは大振りのざるに姿を変える事が出来る。

 農繁期には笊の姿で人の農家の納屋に紛れ込み、穴の空いた竹細工を修繕してやったり、その礼と称して米を勝手に頂戴したりして、のらくらと生きていた。

 農家側も心得たもので、古い道具が修繕されていると、チャチャイが来たと思って納屋に食事を用意してくれたりもする。

 農閑期になると、大体笊の姿のままずっと眠りこけていた。


 リンダラーの方は、普段は人間とほぼ変わらない姿を取れるため、人間と交わり、旅行会社に勤めたりもしていると言う。

 人の姿であり続けるとストレスが溜まるので、夜中に身体を置き去りにして、首と内臓だけで飛び回ったりはするが、おおむねチャチャイと一緒に平穏に暮らしていた。


 しかしある日、普通の笊に紛れて昼寝をしていたチャチャイは、うっかり笊の姿のまま船に乗せられて、日本に出荷されてしまった。


 辿り着いた先が、この戌亥小学校の資料館である。極めて呑気な性格のチャチャイも、これには困り果てた。


 夜の間に資料館を抜け出したチャチャイだったが、夫婦つがい妖怪の本能ゆえに、妻のリンダラーと引き離されると精神が乱れ始める。

 見知らぬ路地裏を迷い歩き、ついには飢餓感から生き血が欲しくて堪らなくなった彼が、人を襲いそうになったその時、たまたま通りかかった志津丸に取り押さえられた。


「そんでご馳走されたトリキが美味くてさあ」


 と、チャチャイは笑顔で語る。


「『焼き鳥』だっての。トリキは店の名前だ」

「また食いたいなー」

「次は金払え。あーオレのバイト代……バイクのパーツ買おうと思ってたのに……」


 ねだられた志津丸はむすっとして応じた。

 常に不機嫌に見える彼だが、不運な経緯で異国を彷徨さまよう羽目になった怪異を放ってはおけない性分でもあるらしい。


 数羽分の鶏肉を腹に納めて、どうにか一時的に正気を取り戻したチャチャイは、リンダラーのいる故郷に帰らなければならないと志津丸に訴えた。


「おれらピー・ガハンは、このはねで風を編み上げて空を飛ぶんだ」


 ピー・ガスーの力が『ほどく』事に特化しているのに対して、ピー・ガハンは『編む』のを得意とする。まさに割れ鍋に綴じ蓋といったところだ。


「……ひょっとして、志津丸さんがバイクで空を飛んだのって」


 志津丸が師匠の瑞鳶ずいえんにバイク禁止令を出されたのは、バイクを空に飛ばして人間を驚かせたせいだと、根岸は思い出した。

 指摘されて志津丸は、気恥ずかしそうに視線を逸らして後ろ髪を引っ掻き回す。


「チャチャイの力だけじゃ、海を越えて帰るのは難しいって言うからよ。オレの翼も貸せば何とかなるかと思って、試してみた」

「単に遊んでて羽目外したんじゃなかったんですね。そう説明すれば、瑞鳶ずいえんさんも考慮してくれたかも……」


 根岸が言い募ると、志津丸はいよいよしかめっ面になって睨み返した。


「一度ダチになった奴を売るみてぇな真似は出来ねーっつの。師匠はともかく、天狗の中には頭の固い余所者嫌いもいるんだよっ」


 予想外の男気ある反論に、根岸は軽く言葉を失った。

 そこに、諭一を休ませたらしいミケが戻ってきて首を突っ込む。


「何だ志津丸、俺にでも相談すりゃ良かったじゃないか。迷い怪異の面倒は見慣れてるし、悪いようにはせんよ」

「すぐミケを頼るのも……なんつーか……チャチャイにはオレが何とかしてやるって言っちまったし……」

「お前さんは全く頑固だな」

「うるせぇや」


 反抗期の若者さながらに、志津丸は外方そっぽを向いた。


「リンダラー……さんは、ひょっとしてその姿で、自力で飛んできたの?」


 滝沢が質問する。リンダラーは空中で生首を傾けた。


「うーん? 多分そうね。ここ数日の記憶がちょっと曖昧なんたけど。身体、うちに置いてきちゃったみたい」

「うわあ」


 伴侶を失ったリンダラーもまた、精神の暴走状態に入り、文字通り居ても立っても居られずに、身体から飛び出して太平洋を渡ってきてしまったようだ。凄まじい執念と言える。


 それはともかく、タイのどこかには、今もリンダラーの肉体――つまり、頭部と内臓のない女性の身体が横たわっているのだろうか。人間に発見されたら大騒ぎになりそうだ。


「タイの大使館に連絡した方がいいかもしれません」

「そ、そうだね」


 根岸と滝沢は囁き合った。


「しかし志津丸、何で自転車でここに突っ込んできたんだ?」


 と、次にもっともな疑問を口にしたのはミケである。


「いやぁー、バイクで太平洋越えが上手く行かなかったから、また暴走しちゃう前に元いた場所に戻ろうって話になってね」


 不貞腐れ気味の志津丸に代わって、チャチャイが説明を始めた。


 結局、笊としてタイに返品して貰うのが手っ取り早い。そういう結論に至った志津丸は、笊に化けたチャチャイを抱えて新宿に向かった。

 が、普段はバイクか翼で移動する事の多い志津丸である。ミケ達との集合時間には遅刻した上に、新宿駅の出口を間違えて、街なかで盛大に迷った。


 おまけに、チャチャイが「リンダラーが近くに来ている」と言い出した。怪異は同じ怪異に対して鼻が利くが、片割れの匂いとなれば特に敏感だ。

 リンダラーが暴走状態にあると察した志津丸は、最早猶予はないと目についたシェアサイクルを借りて、チャチャイと自分の力で風を操り、新宿の上空へと飛んだ。


「でも、日本の風は強くて編みづらいんだよ。調節きかなくて、建物壊しちゃった。ああいうのジューシーのカラッカゼって言うんだろ」

上州じょうしゅうのからっ風だ。都心のビル風とは関係ねえ、っていうか何でそんな妙な日本語知ってんだよ」

「タイにいた頃、日本語を教えてくれた友達の怪異が日本のグンマーの出身で」

「群馬な」


 あくまでのんびりした調子のチャチャイに、志津丸はやれやれと肩を落とす。


「大体の事情は分かった」


 ひとつ頷いて、滝沢が発言した。


「まあ、分かったところで重要文化財が破損したって事実はどうにもならないんだけどね……」


 滝沢と根岸が訪問中の事態である。

 彼らの仕業という訳ではないが、特殊文化財センター所長の上田は、恐らく頭を抱えることと思われた。

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