架空の街とマシンガンの礼儀作法
『クラブ・ヘブン』は今宵も最高潮の盛り上がりを見せていた。
演者はステージの端から端へと駆け回り、激しい演奏に呼応するかのように観客は拳を掲げて体を揺らしている。誰かの発した音は別の誰かが発した音と重なり合い、ぶつかり合って、さらに巨大な「うねり」となっていく。
爆音、轟音、だがそれらは無秩序な騒音ではなかった。それこそがロックンロール(より狭義のジャンルでいうところの『パンクロック』)が持つ最大の強みであり、興味のない者からしてみれば悪辣な中傷の対象ともなり得る格好の標的でもあった。
僕は入口付近のバーカウンターのところで、さもクラブの経営者であるかの如く、フロア内を俯瞰で眺めていた。ステージからはそれなりに距離があったが、それでも迫力と音圧は一ボリュームも減衰されることなく僕の全身と精神を激しく揺さぶり、客が出入りするたびに開かれる防音扉の隙間からそのまま外へと飛び出していった。
『ヘブン』のフロアの構造はその他のライブハウス(僕はそれほど多くの「ハコ」に精通しているわけではないが)とは大きく異なっている。
メインステージが中央にあり後方を除く三方へと通路状にステージが延びている。演者は前方のみならず四方をぐるりと取り囲む客を同時に盛り上げなくてはならず、とても難しい。仮に自分があの場に立ったとして、果たしてそれが出来るだろうか。想像しただけで足が竦んでしまう。「バンドを組みたい」と、ふと僕はそう思った。
一度、メンバー募集の張り紙を練習スタジオに貼らせてもらったことがあったが、それに対する反応は何一つとして得られなかった。
いかにもやる気の無さそうな、手書きの文章がいけなかったのだろうか。あるいは「当方ボーカル」という、他人任せの文言が良くなかったのだろうか。どちらにせよ僕の孤独の主張は先駆者たちの強烈過激なパフォーマンスと同様に、瞬く間に忘却の彼方へと追いやられ、僕は相変わらず自由気儘なソロ活動を余儀なくされていた。
四つ折りにしたチラシを内ポケットから取り出してタイムテーブルを確認すると、今夜出演するバンドは七組。その中でも僕のお目当てはトリの二組。『架空の街』と『全く別の単語を読み違えたような』バンド名だった。そして彼らの演奏が始まる。
一組目はスリーピースのバンドだった。
純情をそのまま宝玉にして嵌め込んだかのような澄みきった双眸をしたボーカル。ベーシストはオールバックにキメていて、ドラマーはやんちゃな兄貴といった印象。
いかにも強面な三人組を個々に眺めると、他の誰とも相容れないようにも思える。だが彼らがそれぞれの楽器を抱えて、各々の役割を与えられてステージに立った時、それらは協調性を持った無敵の一個体となって聴衆を圧倒し魅了する。
衝動的で、だが正確なビートに乗せられる鋭いギターリフ。特徴的な声で紡がれる独特の歌詞。それを聴いている内に、ある物語の主人公像が自然と浮かんでくる。
主人公は、どこまでも純粋無垢(ピュア)な少年。街で生きるには純粋過ぎる彼は怒りや暴力に人一倍敏感であり、同時に不釣り合いな憐憫と哀愁を漂わせている。
その小柄な体躯に収まりきらない感情を爆発させるため酒を飲み、バイクで疾走し『リムジン』に火を点ける。だがそれらの非行も、彼の魂を解放するには敵わない。平和と『ピストル』を愛し、澄んだ瞳には死にたいくらい世界が美しく見えている。
あるいは少年はポケットに『バタフライ・ナイフ』を忍ばせているかもしれない。だが刃物が他人を傷つけることは決してない。その研ぎ澄まされた凶器(狂気)は、いつだって自分だけを深く抉り突き刺すのである。
そして、いよいよ大トリのバンド。
『モッズ・スーツ』を着た四人組。モヒカンドラマーの「ワン・ツー」のカウントで曲が始まる。
激しいドラムス。下腹部を刺激し、思わず踊り出したくなるようなベースライン。長身のギタリストが鳴らすギターは六弦ではなく、一丁のマシンガンであるかの如く響いている。そしてステージ中央でマイクに齧りつくようにシャウトするボーカル。
彼は『世界の終わり』を叫んで、ありもしない幻想を出現させて観客を虚構に誘いニタニタ嗤っている。『愛という憎悪』をヤニと共に吐き出し、『イナズマ』を呼び起こし、空を燃え上がらせ、破滅に向かって突き進んでいく。
焦燥を駆り立てる声調も、だがそこに悲愴感は全くない。火葬され尽くした魂魄を先入観から解放し、飽くなき衝動をどこまでも加速していく。
曲の合間、僕は何気なく聴衆に目を向けた。ライブに飽きたのではもちろんない。同じ空間を共有する彼らに同胞であるかのような妙な親近感を覚え、演者のみならず同調する彼らの姿さえもはっきりと網膜に焼き付けておこうと、そう思ったのだ。
客は圧倒的に男が多い。革ジャン、ブーツカットジーンズ、シルバアクセサリー、ピアス、タトゥー。それらのファッションで武装した群衆は、あたかも神がこの夜のためだけに生み出した特別な「アイコン」のようにも思えるが、無論そうではない。
彼らにも各々の生活があり、帰り着くべき場所があり、それを支える営みがある。昼間の彼らと夜の彼ら、果たしてそのどちらが真実の姿であるのか、当人たちですら定かではないだろう。あるいはそれらは単に「アングル」の違いなのかもしれない。
そして愛すべき同志たちの中に、曖昧な記憶の残滓を僕は見つけ出したのだった。
それはまるで「デジャヴ」のようだった。
スクエア、仮想現実、白日夢のような一人の少女。幾度となく反芻してきた光景は再び色彩を伴って僕の前に現れた。だが今日とあの夜との相違点はいくつかあった。
彼女が眺めていたのは画面越しの映像ではなく眼前で行われるライブであったし、彼女がその身に纏っていたのはキャミソールではなく、同色の白いドレスであった。
そして、やはりこの僕にしてみても相異なる部分はわずかに認められるのだった。
彼女と会うのはそれが二度目であったこと。一方的に見つめていただけとはいえ、同時刻に同じ街角に居たという事実に、少なからぬ共通項を見出すことができた。
再び彼女と会った時のために予行練習を欠かさなかったこと。準備万端であるとは到底いえなかったものの、奇蹟ともいえる可能性に対して身構えることができた。
だが結果として、いざ彼女の目前に立つと僕の予習も復習も何一つ役には立たず、ただひたすら虚飾と恥辱に塗れた道化を演じることになるのだった。
アンコールに沸き立つ観衆をかき分け、僕は彼女の横顔に思わず声を掛けていた。その時になって迷わず彼女の元へと辿り着けたのは、観客の中で唯一拳を突き上げず見惚れたように舞台上を見つめていたからだと気づいた。
見果てぬ未来に右手を伸ばすこともなく、身に余る自由に身を委ねることもせず、美貌の眉目を媚笑に糜爛させることなく、魅惑の鼻梁は全くもって微動だにしない。
「ロックが好きなの?」
初対面の女性に声を掛けるにしては及第点ともいえない台詞だった。だが幸いにもバンドは最後の曲を終えたところだった。大衆が幻想から現実へと帰着していく中、僕たち二人だけがその場に取り残される。
「別に。音楽なんて、所詮は虚構でしょ?」
彼女は素気なく答えた。無関係の他人に話し掛けられるのを迷惑がっているような素振りが窺われた。
「僕も音楽をやってるんだ。バンドじゃなくて、一人なんだけど」
あまりにも不格好な誘い文句だった。あくまでも与えられなかっただけの選択を、あたかも敢えて掴み取った栄光であるかのように主張する。
案の定、彼女の反応は味気なかった。「だから何なの?」と言いたげだった。
その時ちょっとしたハプニングが起きた。興奮冷めやらぬ客の一部が暴徒と化し、無人のステージに上がって傍若無人に騒ぎ始めたのだった。
関係者が慌てて止めに入る。便乗したその他の客が暴動を煽り、ステージ目掛けて手に持っていた酒瓶やグラスを次々と投げ入れる。予定調和の演目に新たなる燃料を投下するかのように。
俯いていた彼女は再び舞台上へと目を向ける。一か八か、僕は彼女の右手を引いて「行こう」と叫んだ。一も二もなく四の五の言わせず、散々な窮状を碌に逆転もせずしち面倒くさい後悔と引き換えに、名もない幸運を引き寄せるかのように。
僕たちはステージに上がり、置き去りにされたままのドラムセットを手で叩いて、鳴り止んだ演奏を思い返しながら怒るように踊り狂った。
強い酒の酔いが翌日に効いてくるように、後になってから顔を覆いたくなるような醜態の連続だった。かつて冷静であった頃の記憶すらも懐かしい。
やがて暴動の発端となった者たちを無事に抑え込んだ
その間、僕は頑なに彼女の手を片時たりとも離すことはなかった。
『クラブ・ヘブン』を抜け出して、幾つ目かの路地裏で僕たちは肩で息をしていた。
追跡者たちをどうにか撒けたらしい。これで再び非日常から日常へと回帰できる。残された問題は僕の左手が掴んだままのか細い右手と、その先にいる彼女だった。
僕は肩越しに後方を振り返り、そこで初めて彼女の顔をはっきりと確認した。
細かくウェーブした茶色の髪。澄んだ空色の瞳。陶器のように透き通った白い肌。
僕は咄嗟に手を離した。乱れた呼吸を継続する彼女に、身勝手な衝動を押し付けてしまった彼女に対して、一体どのようにして弁明すればいいのか分からなかった。
「ご、ごめ……」
僕は暫定的な謝罪を述べようとした。だがその必要はないと断定するかのように。
「こんなに楽しかったの、初めて!」
彼女は肩を上下させながら言った。僕は状況を掴めず頬を上気させたままだった。
正直、どんな罵詈雑言を浴びせられるものかとドギマギしていた。だが彼女の反応は世の男共が最大限のユーモアを凝らした先に、天文学的確率で齎されるものだった。
「私、『リリー』っていうの」
彼女は名を告げた。それが果たして真名なのか、偽名なのかは知らされなかった。僕も名前を口にした。それは紛れもない本名であり、選びようもない僕自身だった。
――また、いつかどこかで。
僕たちは約束とも呼べぬ約束を交わして、そのまま別れた。時間も場所も目的も、あらゆる情報が不明確な未来の計画。
だがそれは最も深い部分での魂の契約にも等しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます