その頃、王都では……2
ヒンナルは残業していた。
これは恐るべき事である。これまでの彼の勤務態度は「面倒なことは誰かに投げる」、その一言に尽きるばかりだった。当然、残業も誰かに投げていた。
だがいま、王都冒険者ギルド西部ダンジョン攻略支部において、彼は残業していた。
理由は簡単だ、自分が責任者で、仕事が多いからだ。
(くそっ、何故俺がこんなことに……)
書類に目を通し、サインしながら心中で毒づく。残業とは言え、まだ就業時間を過ぎたばかり、支部内の人員は殆ど残っていた。それすらも忌まわしい。
仕事をする者を残して帰宅する優越感、それが彼のささやかな楽しみだったというのに。それを奪われたことに納得いかなかった。
この職場は何かが違う。自分のコネが上手く回っていない。ここ数日になって、ヒンナルはようやくそれを自覚していた。
一番の誤算は補充の冒険者が手配されなかったことだった。強力な冒険者をこちらに派遣して、一気にダンジョンを攻略させようと思ったのに、全く来ない。
(冒険者なんて、金でいくらでも動くだろうに。ふざけやがって。ふざけやがって!)
雑貨輸送の書類に乱暴にサインをしながら知人を思い出す。王国最高レベルの冒険者を要望したら「そういうのはさすがに無理だよ。君もいい加減わかれよ」と、雑な対応をされたのだ。
強い冒険者ほど動かしづらい。自分で依頼を決めるし。名声も金もヒンナル以上で、性格的にも難しいことが多い。溜息まじりにそんな説明を受けては、引き下がるしかなかった。
立場のある相手には強く出れない、ヒンナルはそんな男だった。
「所長、『光明一閃』が来ています。対応をお願いします」
「……わかった」
やってきた事務員の言葉に応じて立ち上がる。『光明一閃』は、順調に攻略している貴重なパーティーだ。無碍にはできない。例え、自分への当たりが強くても。
「だから! 依頼の報酬を上げれば良いでしょ! このままじゃ怪我人がでるわよ!」
「ですからそれは検討中でして……」
目の前に座る女剣士が机を叩かんばかりの勢いで叫ぶの見ながら、ヒンナルはどうにかそれをなだめる。
「いつまで検討中なのよ! 思ったよりダンジョンが広いから、もっと冒険者が必要なの。このままじゃもっと怪我人でるわよ。半端な対応してると魔物が溢れることだってあるかもしれないのに!」
今日は大分頭にきているらしい。ダンジョン内で何かあったのだろうか。
ちゃんと報告書を読んでいないヒンナルは、ここ数日ダンジョン内の怪我人が増加しつつあることに気づかなかった。魔物の遭遇が多いような気がするな、と思う程度である。
そんなヒンナルの特技は、のらりくらりと躱すこと。中身のない返答で、その場を凌ぐのである。
「本部の方までかけあいますので。お待ちください」
時間の確約をせず、にこやかに言う。それを見て、女剣士は大きく息を吐いた。
「本当に頼むわよ。こっちだって命を賭けてるんだから」
「それはもう、十分承知していますから」
平身低頭ではなく、あくまでにこやかに応じる。ヒンナルは頭を下げない。
「じゃあ、行くわ。言うべき事は言ったから」
そう言うと、女剣士は立ち去っていった。
「……やれやれだな」
冒険者は要求するばかりの厄介者だ。ダンジョンなんて無ければ即座になくなる職業の癖に。
自分の職業を棚にあげて、ヒンナルも部屋を出る。
依頼の報酬増額など、既に頭にはない。
打ち合わせ用の部屋から出ると、先ほどの女剣士が事務員の一人と話し込んでいるのが見えた。
女剣士は声が大きいので、言葉が耳に入る。何度か、「サズがいればこんなことには……」というのが聞こえた。
何とも言えない気分が、ヒンナルの中で渦巻いた。
サズというのは元々ここのダンジョン攻略を企画していた人間だ。当初は頭から消えていたが、この仕事を始めてから時々耳にしている。
どうも冒険者と職員の両方からかなり信頼されているらしい。
(全く、冒険者あがりなど使えるはずもないだろうに)
心の中で嘲笑いながら、ヒンナルは自分の席へと戻っていった。彼はこの段階でも、冒険者など所詮ならず者程度だとの認識だった。
(そうだ、冒険者は無理だが、職員なら増員できるだろう)
ふとした思いつきに脳内で自分に拍手する。残業しなければいけないなら、手を増やせば良い。職員なら、自分のコネで融通できる。
久しぶりに楽しい気分になりながら、ヒンナルは事務作業を再開した。
ダンジョン内に危険個体が現れ、重傷者が続出するのはそれから数日後のことである。
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