第15話 崩壊し始める、麗国ホテル


「専務、この評価はどういうことか説明をしてもらえるかね?」


 麗国ホテルでは月に一回、全ての部門長が集まり全体会議が催される。

そして同ホテルの現社長 麗国 礼司より真っ先に挙げられたのは、旅行サイトでの評価の件だった。



"高いワインを押し売りされた。もう二度と利用しない!"


"サービスの質が落ちた"


"女性のソムリエ?の香水の匂いがきつくて料理が楽しめなかった"


"値段が高い"


"内装が古臭くて、案外ボロくてがっかり"


 これまで麗国ホテルはこの地方はもとより、県内外の人からも尊敬され、評価も基本的には良いことしかつかなかった。

だから、ここ1ヶ月で酷評が増えたことは麗国ホテル創業以来の一大事となっていた。


「この女性ソムリエとは、礼子専務のことで間違いないな?」


 そして言葉の矛先は、唯一個人的な批評を受けた、礼子へ向かってゆく。


「ひ、人手不足なんだから仕方ないじゃない! 人事、なんでさっさと人を補充しないよの! だからこの私がホールへ出る羽目になったのよ!?」


 礼子はあろうことか、怒りの矛先を総務部へ向けた。

気弱な土橋総務部長は、ペコペコ頭を下げることしかできてない。

更に礼子は、鋭い視線をソムリエである黒松と、トゥール・ドォールの責任者へ向ける。


「だいだい、私はあのワインを拡販しろとは命じたけど、押し売りをしろだなんて指示はしてないわ! それがネオオーニタでのやりかっただったわけ!?」


「……申し訳ございません」


「支配人もちゃんと指導なさい! 私はね、香水をつけてお客様に不快な想いをさせないよう配慮しただけよ! そういうのがまずいと指摘するのが責任者の役目じゃないの!?」


「……すみません、礼子さん……」


「私は素人なのよ!? デキャンタージュのアドバイスをしてくれたっていいじゃない!!」


 礼子のいつものヒステリーが始まった。

こうなってしまっては誰もが口を閉じて、嵐が過ぎ去るのを待つしかできない。


 やがて一通り文句を言い終えた礼子へ冷静さが舞い戻る。


「まぁ、良いわ。済んでしまったことをいつまでも悔やんでも仕方ないわよね。今回は許してあげるわ」


 いつの間にか、自分のミスを他人のせいにしている礼子だった。

一部の幹部人が密かにため息を吐いたのは言うまでもない。


「まずは評価に関して一つずつ潰して行った方が良さそうね! そうね……価格設定に関してはは放っておけばいいわ! 代わりに……そうね! 確かにこのホテルは古いところがあちこちにあるから、この際リニューアルしましょう! 私の知り合いにとても有名なデザイナーがいるのよ! その方にお願いして……」


「礼子、良い加減にしないか!」


 突然、社長が鋭い声を上げ、礼子の暴走を諌めた。


「何よお父さん! 今は私が発言している最中ーー」


「よりにもよって、どうしてあのワインを全て開けてしまったんだ! あれは"大河内先生"からお預かりしていた大事なものだったんだぞ!」


「へっ……お、大河内先生の!?」


 "大河内先生"と聞いて、さすがの礼子も驚いていた。


 大河内先生とは、この地方でもかなり有名な代議士の先生だ。

近く与党総裁選への出馬も噂されている大物で、古くから麗国ホテルを愛用し、パーティーなどの会場に必ず使ってくれている超上得意である。


「あのワインは先生が、我がホテルを信頼してお預かりしているものだったんだぞ!? 緑川君から聞いていなかったのか!?」


「ど、どういうことよ!? 黒松、説明さない!!」


 事実を知り、黒松は顔を真っ青に染めていた。


 確かに彼は、前任の緑川から引き継ぎ書を受け取っていた。

しかし彼を"叩き上げの田舎ソムリエ"と侮っていた黒松は、引き継ぎ書をろくに読まず、捨ててしまっていたのである。


「も、申し訳ございません……確認不足でした……」


「なにが確認不足よ! バカじゃないの!? どうするつもりよ!」


「申し訳ありません……」


「ああもうっ! あんたみたいなカッコばっかりの奴雇うべきじゃなかったわ!」


「もう黙りなさい、礼子! これ以上私へ恥をかかせるんじゃない! 先生はその広いお心で、今回の件は笑って許してくださったんだぞ!」


 社長の発言に、礼子はほっと胸を撫で下ろした。

 そしてようやく、会議室に垂れ込める、冷ややかな空気に息を呑む。


 社長である父親をはじめ、幹部陣は声には出さないものの、礼子へ明らかに批難の視線を浴びせている。


「礼子、お前へこのホテルを譲る話は、少し考えたほうがよさそうだな」


「……ッ!」


「待ちなさい、礼子っ!」


「今どき全体会議なんて非効率よ! こんな暇があったら仕事をするわっ!」


 礼子はそう啖呵を切って、会議室を飛び出してゆく。

彼女の子供じみた対応をみて、経営陣がこのホテルの行く末へ不安を感じたのは言うまでもない。


●●●


 大荒れとなった全体会議から数週間後……

 礼子は土橋部長に用があり総務部を訪れる。

しかし彼の席は珍しく空席となっていた。


「あら? 土橋部長は?」


「有給です」


「有給? ふーん……」


 土橋部長は勤続年数も長く、有給も法令が施行されるまでは、極力取らない男だった。

仕事一筋で、会社の命令には絶対服従。

麗国家への忠誠心も高く、信頼していた人物の1人であった。


 しかしそんな彼から退職願が提出されたのは、数日後のことだった。


「ちょっと、これはどういうことよ土橋さん!?」


「申し訳ございません、礼子さん。麗国での35年間、とても良い経験となりました。本当にありがとうございました……」


 この土橋総務部長の退職は、会社全体へ衝撃を走らせた。


"あの麗国家の犬とも言われた土橋さんが……"


"バカ娘が次期社長じゃ……"


"泥舟からはさっさと降りた方が良いかな"


 翌週には副支配人が、更に翌月には料飲サービス部門の責任者が……ベテランを中心に、立て続けに退職が進んでいった。


 幹部の一斉退職は、次第に会社の機能を麻痺させて行く。

更に負担の増加した中堅・若手の社員からも不満が続出し、退職が加速してゆく。


 遂にはホテル内に擁する三つのレストランのうち、その一つを閉鎖。

他の部門に関しても、深刻な人材不足のため、時短営業を余儀なくされてゆく。


 加えてそうした動きがホテルのサービスの質を落とし、更なる酷評を呼ぶ結果となってしまっていた。


「なんでみんな……どうしてよ……!」


 未だに社員の大量退職の原因が"自分にあると認識できていない"愚かな礼子は、ただ頭を抱え続ける日々。


「れ、礼子さん頑張りましょう。自分も頑張り……」


「うるさいわね! あんたなんてもう良いわよ! 私へ言葉をかけてる暇があるなら高いワインを客に売って、会社を儲けさせなさいよ!」


「……」


 もはや礼子と黒松の関係も、ほとんど破滅をしていた。


 この先、どうするべきか?

 次期社長として、皆を奮い立たせるにはどうしたら良いか?


 そんなふうに日々、頭を抱える礼子だった。


 そうして悩み続け、カフェで頭を抱えていたある日のこと……


「こんにちは! あの有名な麗国 礼子さんで間違いありませんよね?」


 礼子がパソコンから視線を上げると、身なりが立派でスマートな男が目の前にいた。


「誰よ、あなた?」


「失礼いたしました。実は私、田上やる気!コンサルティングの代表の"田上 宗一郎"と申します」


 田上という男は、とても柔らかい口調で名刺を差し出してくる。

 その柔和な態度に、なぜか一瞬で心ほぐれた礼子だった。

正直、彼女の好みのナイスミドルな顔立ちだったこともある。


「相席よろしいでしょうか?」


「え、ええ、どうぞ……で、なにか御用でしょうか……?」


「実は先日、麗国ホテルを利用しまして。お力になれるのではないとか思いまして」


「力に?」


 田上は穏やかな口調ながら、会社が抱える問題点をずばり言い当てて続けた。

 単純な礼子は関心してしまった。

何よりも、好みの男性が優しい声をかけてくれている。

それだけで、礼子の心は解れる、遂に本音を漏らしてします。


「みんなひどいのよ……どうしてみんなこんなに一斉に辞めちゃうのよ……」


「辛いですよね。でも、彼らには彼らの人生がありますから」


「でも……このままじゃ私の会社が……」


 一瞬、田上がニヤリと笑みを浮かべる。

しかし礼子はその笑みに気づいてはいなかった。


「でしたら、お任せください! 田上やる気!コンサルティングが見事、麗国ホテルを復活させてみましょう!」

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