第7話 彼こそ、主人公だった
結局のところ、学校には普通に間に合った。
その理由は、間違いなくあの櫻井愛菜の所為で全力で走らされたおかげだろう。
その走る原因を作ったのが俺自身だったから文句は言えないが、汗だくになったことに対する小言のひとつくらいは言いたい気分だった……言わないけど。
荒くなった息を整えるのも間に合わず、教室について自分の席に座る。
時間を見ればホームルームまで少し時間があった。まだ余裕があるとわかって、俺はカバンの中を漁って制汗シートを取り出すと、さっと数枚取り出して身体を吹くことにした。
汗臭いのは良くない。楓花に汗臭いと思われるのが嫌だったから、中学生の頃からこの手の物を使うようにしていた。
これをずっとやってきたから気づいたらもう俺の習慣になっていた。逆に汗をかいたら使わないと気持ち悪いと感じるようになってしまった。
制汗シートで身体を拭いていると、マナーモードにしているスマホが震えた。
スマホを見ると、楓花からメッセージが来ていた。
『また走って来たの? やっぱり二度寝したんでしょ?』
メッセージを見て、顔を上げる。そして視線だけ動かして周りを見ると、すぐに楓花と目が合った。
教室の中心で仲良さげに話しているグループの中にいる楓花が、横目で俺を睨んでいた。
彼女と目が合って、俺はスマホに視線を戻してメッセージを送った。
『二度寝じゃない。ちょっと考え事してたんだ』
『また嘘ついて、本当は寝てたんでしょ?』
『本当だって』
『じゃあ、なに考えてたか教えてよ?』
これは……結構怒ってるな。別に遅刻したわけでもないのに。
考え事、というよりどちらかと言うと放心してたというのが正しいが……二度寝してないのは本当だ。
その理由を正直に伝えるわけにもいかなくて、どう返事を返そうか悩んで指が止まる。その時、また俺のスマホが震えた。
『ほら、やっぱり嘘』
返事が遅れたらそう思われるのも仕方なかった。
チラリと楓花の方を見れば、先程と変わらず不満そうに口を尖らせている彼女の姿が見えた。
その姿に小さく溜息を吐きながら、俺は指を動かした。本当は使いたくない話題だが……彼女を納得させるのには、これが一番良い。
『月末、楓花の告白がどうやったら成功するか考えてたんだよ。一人になると考えること多くなって』
メッセージを送って、すぐに既読がつく。そっと楓花を見れば、彼女は思った通りの反応を見せていた。
眉を寄せて、なんとも言えない表情を浮かべていた。しかし近くにいたクラスメイトに話し掛けられて、すぐに平然を取り繕っていた。
『智明がそんな心配することじゃないよ。だって絶対成功するもん』
『だからと言って何もしないのは違うだろ? ちゃんと成功するようにアピールくらいしておけって』
『ちゃんとしてるから良いもーん!』
『心配してるんだよ。楓花は俺の家族なんだから、お前の恋がちゃんと実ってほしいって本気で思ってるんだからな?』
『ありがと。でもそれで学校遅刻するのはダメだからね?』
『気をつける。あとあまり俺に構ってないで一緒にいる友達と仲良くしておけ』
『わかってまーす! じゃあまたね!』
最後のメッセージを見た楓花がスマホを見なくなったのを確認したところで、俺は肩を落とした。
なんとか楓花を誤魔化せた。自分から出した話題の所為で吐き気がするが、それも彼女を誤魔化せた代価なら安いものだと思うことにした。
学校で話さないからってわざわざメッセージで言わなくても、俺の家に来た時にでも直接言えば良いのに。
もう今では慣れたが、やっぱり同じ空間にいるのに彼女と文面でしか話せないのは悲しくなる。これも自分で言い出したことだから文句は言えなかった。
楓花に好きな人からできた4月のあの日から、俺は彼女と学校ではあまり話さないようにしていた。なるべく彼女と親しい関係と“アイツ”に思われないように。
その方が楓花には都合が良い。考えたら誰でもわかる。好きな人に異性の親しい人間が自分にいると思われるのは、どう考えてもマズイ。
それを考えれば、俺が楓花と親しいところを“アイツ”に見られるわけにはいかなかった。勿論、楓花には反対されたが理由を説明して無理矢理納得してもらった。
しかしそれでも親しい人間なら聞きたいことはある。俺達の場合なら家族のこと、今日はどちらの部屋に集まるか、友達と遊ぶから集まれないなど色々ある。
その結果、連絡をする手段として決まったのは……メッセージのやり取りだった。
最初は面倒だったが、慣れたら普通になる。寂しいと思うが、それも今だけだと思っていた。どうせ楓花に彼氏ができたら連絡なんて取らなくなる。そう自分に言い聞かせて。
また嫌なことを考えてる。深い溜息が出た。
「なんだ? 今日も走って来たのか?」
俺がやるせない気持ちと向き合っていると、隣の席から声を掛けられた。
その声が誰かわかっていたから、俺は顔を向けることなく口を開いていた。
「ああ、ちょっと色々とあって」
「また寝不足か?」
「そう言うんじゃない。学校に来る時、面倒なことがあっただけだ」
俺の隣に座る
高校に入学して、たまたま隣の席になったから話すようになって仲良くなった。俺にとって、この学校で数少ない友達の一人だ。
顔は良いが、目立つタイプの人間じゃない。インドア派で、ゲームやアニメなどのサブカルが好きな男だ。俺も彼の影響でその手の物を見るようになった。意外と面白いから食わず嫌いは良くないと少し前に思ったことが懐かしい。
そんな彼に、とりあえず俺は先程のことを話すことにした。櫻井愛菜が車に轢かれそうになった話を。
「――それで逃げて来たって?」
「そりゃそうだろ? もし誤解でもされて俺に変な噂でも流れて見ろ? 高校生活終わりだぞ?」
「むしろ逆じゃね? ギャルゲーとかだとそこから彼女と仲良くなって恋愛になるもんだろ?」
「ゲームのやり過ぎだ。現実と創作物を一緒にするな」
「あり得るかもよ?」
「仮にあり得たとしたら、それは相手がイケメンだった時の話だ」
そう言って、俺はふんと鼻を鳴らした。
そんなことが起きるわけないだろ。普通に考えて。
俺の話を聞いた啓太が「現実ってつれぇ……」と嘆く。そしておもむろに、彼はある方向へ顔を向けていた。
「確かに櫻井さんは可愛いからな。うちのクラスって可愛い女子多いし、特にあそこのグループ」
啓太が俺に顎でとあるグループを指す。正直見なくてもわかったが、変に思われるのも面倒だったから俺もそこに視線を向けた。
彼が指したのは、楓花のいるグループだった。クラスの中心と言える人間達が集まった、俗に言うスクールカースト上位のグループ。
その中に、いつの間にか櫻井愛菜がいたことに驚いたが、彼女の様子を見る限り俺には気づいてなさそうだった。
「櫻井愛菜と
きっとそうなんだろうな。俺には楓花以外は普通にしか見えないけど、顔が綺麗か可愛いかくらいの判別はできた。
ハーフの白い髪で、綺麗な容姿の櫻井愛菜。
髪を茶色に染めた、典型的なギャルの格好をした立花梨香。
そしてふんわりとしたボブヘアーの可愛い早瀬楓花。
この三人が、このクラスの女子の中で最も中心にいる人間達だった。
「まるでギャルゲーのヒロインみだいだよな。特にアイツがいるから、尚更そう見えるわ」
俺の隣で、妬ましい顔で一人の男子生徒を啓太が見つめる。
楓花達三人を見れば、嫌でも目に入る人間がいる。それが“アイツ”だった。
「くぅ……俺もアイツくらいイケメンだったら!」
「イケメンでも無理だろ。アイツは本当に主人公なんだろうさ」
俺と啓太が揃って、一人の男子生徒を見つめる。
ワックスで無造作ヘアーに整えた爽やかな髪型。黙っていれば凛々しい顔なのに、楽しいことがあると子供みたいに笑う。そんな姿に周りの女子達が見惚れる、そんな人間。
彼の良いところを、俺は知っている。楓花が楽しそうに話すから。
彼こそが、楓花の好きな人――
この世界に認められ、幸せになることを約束された主人公。
それが、彼だった。
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