6-2 黎明薄暮(1)
「
紅をひき、朱い晴れ着に身を包み。
大層綺麗に着飾っているキヨは。その格好に似つかわしくない、今にも泣き出さんばかりの表情で利良にくってかかる。
「いやぁ、まさか。怪我なんぞすっち思わんもんじゃっで……」
一方、布団の上で上体を起こした利良は。キヨの怒りをするりとかわしながら、困ったように頭を掻いて応えた。
「本当、大事な所を怪我したち!! 肝が冷え(※ 生きた心地がしない)っ申したが!!」
「あー……大した事も
「そげな体でッ! 祝言に出っもろても、困りもす!」
目の前で行われる、郷言葉の応酬。自分の祝言が間近に迫っているにも拘らず、晋祐は妙な緊張に苛まれていた。
(このまま、キヨさんの機嫌が悪かったらどうしようか? キヨさんの好きな
そんな焼石に水のような対処では、根本的な不機嫌を取り除くことは困難極まりないし。そんな事は晋祐自身、重々承知している。
しかし、現状を打破できるほどの打開策を、なかなか見つけられないでいた。
早く何とかしたい、気持ちは焦るもの。そうかと言って。郷言葉で喚く新婦・キヨと。のらりくらりと口撃をかわす新婦兄・利良との間で勃発した言い争いに、割って入る勇気があるわけでもなく。新郎であるにも拘らず、晋祐は目だけをキョロキョロ動かして、事が収まるのをただただ見守っていた。
「キヨ」
そう言うと利良は、手を伸ばしキヨの頬にそっと触れた。
「祝言じゃっで、あんまり泣っきゃんな」
「
「
「あ!!」
利良の言葉で我に返ったキヨは、ハッとして晋祐の顔を見る。目尻が涙でほんのり赤く染まる、キヨの困った顔。晋祐は、思わず口角を上げて笑顔を作った。
「仕方ないだろう。大事な兄上が怪我をしたとなれば。祝言どころじゃないよな」
「
膝の上で拳をぎゅっと握り締める小さなキヨの手を、晋祐はそっと包み込むように握りしめる。
利良はその様子を見て、非常に満足気な顔をした。
「
「
また、キヨは泣きそうな顔をする。利良はキヨの肩を軽く叩き、穏やかに響く聲で言った。
「さぁ、早よ行っきゃんせ! 後で祝言の様子を聞かせっくれれば良かで!」
「……っ」
再び袖で顔を隠したキヨの頬を優しく撫で、利良は晋祐の方に体を向ける。
キヨは未だ泣いているが、先ほどのような緊張感は晋祐の心中にはもうない。利良を真っ直ぐ見つめて、晋祐は頷いた。
「晋祐殿」
「あぁ!」
「キヨを、頼んみゃげもす」
晋祐は未だ顔が上げられずにいるキヨの肩を優しく抱き、ゆっくりと部屋を後にする。二人の姿が襖の向こうに消える僅かな間。利良は瞬きもせず、その後ろ姿を記憶に焼き付けるように見送った。
「……キヨ、すんもはんなぁ」
利良の目から、一条、涙が溢れ落ちる。
兄として妹の、そして親友の祝言には、何としてでも出たかった。そんな些細な事すら叶わない自らの体たらくに、ふつふつと怒りや不甲斐なさが湧き上がる。
利良はハァと深く息を吐くと、庭の向こうに見える桜島を見上げた。
新屋敷にある有馬邸。
廊下の向こう側では、二人の幸せと
利良は、桜島の遥か遠くの。生死をかけ戦ったその事を。一つ一つ、克明に反芻していた。
慶長四年(一八六八年)。
鳥羽・伏見で幕府軍を潰走させた新政府軍の情報は、電光石火の速さで大阪城にいた徳川慶喜の耳に入る。
幕府軍として戦っていた会津藩と桑名藩は、一連の慶喜の行動に意気消沈。鳥羽・伏見の戦は、新政府軍に軍配が上がる。
直後、朝廷は徳川慶喜率いる幕府軍を「朝敵」とし、京都守護職等の官職を剥奪。さらには徳川慶喜追討令を発した。鳥羽・伏見の戦が始まってから追討令が発せられたこの間、僅か二週間弱。
あまりの急展開。慶喜は徹底恭順か、抗戦し形勢を逆転するかの二択に決断を迫られていた。
事が動いたのは、同年三月。
恭順に意志が傾いた慶喜の意を受け、幕府軍側の勝海舟等と新政府軍の西郷隆盛等が、江戸城開城に向け会談を行う。
江戸城無血開城である。
無事、政権も朝廷に移行。年号も『明治』になった。これで、戦も終わる--!!
薩摩より遥か遠い地で、新政府軍の小隊を率いていた利良は、安堵のため息をもらした。
早く帰藩して、晋祐とキヨの祝言に立ち合いたい。この戦の帰りには、二人に何か土産でも持っていってやりたいものだ、と。
西に沈む陽の光を目で追いながら、穏やかな日々を懐かしむ。
誰しもが。利良と同じことを思っていた矢先のこと。
鳥羽・伏見の戦いにより「朝敵」とされた会津藩と桑名藩が、他の東北諸藩と手を結び「
鎮火したかに思われた戦の炎が、再び勢いをまして燃え上がる--!!
兵庫沖で始まった戊辰戦争は、戦火を再び大きくする。そして、遥か北。東北へと延焼していった。
「磐城平城が、結構な数の鉄砲を持っちょい!」
利良が率いる小隊は、磐城平城から死角になる小さな丘の
徐々に北へと撤退する同盟軍は、迫る新政府軍に応戦。
その勢力を小さくしながらも、磐城平城に布陣し、決死の抵抗を見せている。
一方、海側から進行していた新政府軍側の薩摩藩は、一気に片をつけるべく。磐城平城へと攻め込んでいた。
制圧まであと一息。
そう思った矢先に、突如として磐城平城からの凄まじい銃声が鳴り響く。城壁から微かに見える銃口から一斉に吹き出す火花が、遠くからでも見てとれるほどに凄まじく。その勢いに新政府軍の進行が、はたと止まった。
どれだけの銃と弾丸が用意されているのか想像もつかない。台風がもたらす大粒の雨の如く。銃弾が一斉に薩摩の小隊に向かって火を噴いていた。
「
身を小さくし、丘の陰に隠れるばかりで、進むことも戻ることもままならぬ。利良は無数の発砲音を頭上で聞きながら、小さく呟いた。
いずれは弾薬も尽きるだろう。
しかし、火縄銃しか携行していないと聞いていた同盟軍の戦力は、桁違いに凄まじく強大だ。今の現状を脱するまで、小隊が耐え切れるかどうか。利良はミニエー銃に額をあて、深く息を吐きながら目を閉じた。
「川路小隊長! いつまでこげん(※ こんな事を)しぃちょっとな!」
幾分、銃声が弱まってきた薄暮時。
一人の隊員が、辛抱ならない様子で叫んだ。どれくらいここに
利良等が磐城平城を攻め始めた時、日はまだ高かったと記憶する。負け犬の如き状態に業を煮やした隊員が、そう捲し立てるのも無理はない。利良は肩を怒らせる隊員を
「あと、もう
「一時って……! まだ待ちもすか!?」
「
「散々待ち
隊員は叫んだ。そしてミニエー銃を握りしめて、丘の影から飛び出した。利良は咄嗟に隊員に手を伸ばす。
「ちょ……!
暗くなったとはいえ、薄暮時は人の影を明確に浮き上がらせた。利良の手をすり抜け、身を隠さずに磐城平城へと続く道を走っていく。
「お
「川路小隊長! 援護しもす!」
「あぁ! 頼んど!」
利良は他の隊員に向かって叫ぶと、ミニエー銃を片手に隊員を追いかけた。
瞬間、収まっていた銃声が再び大きく響きだす。見上げると、たくさんの火花が噴き出し磐城平城を赤く照らし出していた。
「上片平ーッ! 戻らんかーッ!」
利良が叫んだその時。前を走る隊員の体が、大きく弾かれ、地面に倒伏する。
「!?」
銃弾がすり抜ける音と熱が、驚き立ち止まった利良の脇をすり抜ける。利良は短く息を吸うと、容赦なく降り注ぐ弾丸をかいくぐり、隊員の元へ駆け寄った。
「上片平!!」
「隊……長……隊、長」
「今、手当をすっでな! もちっと(※ 少し)ん辛抱じゃっど!」
利良は二人分のミニエー銃を背負うと、隊員の体を抱き上げた。腕を体の下に入れた瞬間に、生暖かい感触が手に伝わる。利良は思わず息をのんだ。早く--早く、運ばねば!!
「ッ!?」
隊員を抱き立ち上がった、その時。利良の内腿を矢のように鋭い熱が貫いた。何故か痛みは感じない。しかし、太腿から下の力が急激に抜ける。
(いかん。足が……動かん)
たった一歩を踏み出せずに。あろうことか銃弾の雨の中、利良は立ち竦んでしまった。
「川路小隊長ッ!!」
丘から一つの影が飛び出し、利良の肩に腕を回して引き寄せる。半ば引き摺られるようにして、利良はようやく丘の袂へ戻ることができた。
「上片平を……早よ、診てくいやい」
立っていることも容易ではない利良は、体を斜面に預けたまま言った。ぐったりしている隊員を他の隊員に預け、利良は背負っていたミニエー銃を杖代わりに体を引き起こす。
「隊長の方が先でごわんど!」
「いや、大丈夫っじゃが。心配すっこじゃなか」
「しかし……!!」
言葉を詰まらせた隊員が、眉間に皺を寄せ利良の下腹部に視線を落とした。
利良はハッとして隊員の視線を追いかける。
隊員を助ける時に熱さを感じた部分。黒い軍服の下履きから、じわじわと血が流れ出ているのが診て取れた。痛みをさほど感じない分、急所付近が一体どうなっているのか。これには流石の利良も、血の気が引いた。
「川路隊長、
「いや……
「大丈夫っじゃ、っち……大丈夫じゃ無かろごたっどん」
心配し眉間に皺をよせる隊員に、利良は苦笑いをした。無理もない。こんな醜態を晒して大丈夫などと、誰が信じるものか。
「
利良はミニエー銃を地面に突き、片膝を立てた。
「隊長……」
「上片平の手当が先じゃ。早よ戻いやんせ」
「隊長は? 川路小隊長は、どげんすっと」
「銃は体を動かさんでも、撃てっじゃろ」
そう言うや否や。利良は片目を瞑った。薄暗がりの先に狙いを定め、丘の陰からミニエー銃の引き金を引く。
--ダァァァン!
筒の先から火花が
「援護をすっで、上片平を連れっ行っきゃい」
「……隊長」
「財部、早よ行かんか」
視線は未だ薄暗がりの中。利良は隊員と目も合わさずに言うと、さらにもう一発発砲した。
「
「……了解! しもした!」
また一つ。利良は、引き金を引き銃声を響かせる。利良の目の端は、負傷した隊員と支える隊員の二つ影を捉えていた。
次第に、黒い影が遠ざかっていく。少し安堵た利良は、小さく息を吸うと、休むことなく磐城平城へ発砲し続けた。
利良が打ち続けた銃弾は、磐城平城に小さな風穴を開ける。これを利良は見逃さなかった。僅かに感覚の戻った下肢に力を入れて、携えた刀をすらりと抜く。
「チェストーッ!」
気合いの叫び声を放つと同時に、利良は真っ直ぐに磐城平城に飛び込んでいった。
利良に続き、新政府軍は猛攻をしかける。あれだけ鉄壁を誇っていた磐城平城が、徐々に綻びを見せ始め千々に崩れていった。
時を待たずして磐城平城を制圧した新政府軍は、その後も北へ進軍。同盟軍の鎮静化に成功したのだ。
この時、利良の急所付近を貫ぬいた銃弾は、陰嚢に命中。しかし精巣は無事であったことから、戦場にあっても、怖がらず(縮まず垂れ下がっていた)利良の豪胆さを示す逸話として残されている。
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