第1715話・第九回武芸大会・その八
Side:真田信綱
僅か数年前まで命を懸けて争うておった者らが並ぶ。信濃、甲斐、駿河、遠江。
時には味方に、時には敵となった者らだ。信濃に至っては国内で争い、武田が攻める隙となったな。
信濃者と甲斐者と駿河者は、今でも決して上手くいっておるわけではない。当家など、小笠原からすると武田に降った裏切り者とさえ思われていよう。表立って騒がれぬのは、信濃の代官が夜の方殿と明けの方殿故にであろうな。
わしが勝つと信濃者が勝ったとも言えるし、武田臣下が勝ったとも言える。難しき立場となったものだ。信濃では、甲斐にだけは、武田にだけは負けまいと皆が励んでおり、わしが勝つと喜ばぬ。一方の武田では、新参と言える信濃者である、わしが勝つと苦々しい顔を隠さぬ者すらおるのだ。
「真田殿、いかがされたのだ。試合前にいささか顔色がようないが……」
誰かと思えば、柳生殿か。久遠家家臣の身であるが、尾張において久遠家は別格であり、武芸大会の結果と戦場での武功で、今では重臣待遇だとさえ聞く男だ。
「いや、なんでもございませぬ」
「要らぬことは考えぬほうがいい。困ったことがあるならば、大会が終わったら話を聞こう。拙者に出来ることは多くないが、力になろうぞ」
気付かれたようだな。本選に出ておる信濃者と甲斐者が、それぞれにわしを疎んでおることに。
だが、柳生殿の言葉にかの者らの顔色が僅かに変わる。この御仁が力になると言う意味の大きさを知らぬ者はおらぬからな。内匠頭様の信も厚く、久遠家奥方衆の皆々様方もまた柳生殿を頼りにしておるとか。
「ありがとうございまする。たいしたことではございませぬので、ご案じ召さるな」
ありがたい言葉だが、我らの愚かな争いに巻き込んでは申し訳ない。信濃代官のお二方の耳に入ると、他の者も罰を受けかねぬ。さらに武田家と小笠原家と今川家は因縁を水に流すべく縁組を進めておるのだ。余計な波風は立てられぬ。
「そうか。苦しいのは今だけだ。数年もすれば世の中は変わる。必ずな」
柳生殿はこの場におる皆に言い聞かせるようにそう口にすると、自らの試合に出向かれた。さすがにまずいと思ったのか、信濃者も甲斐者も静かに己の試合に挑むことにしたようだ。
Side:久遠一馬
武芸大会三日目。大会は大詰めだ。各競技も残すところ決勝や準決勝のみであり、面白い試合や白熱した試合が数多くあった。
今年は槍の部門が見物だった。森可成さんは奥羽にいるので出場しておらず、勝家さんも役目から出場していない。今川、武田の家臣たちが何人か本選に出場していたけど、決勝に残ったうちのひとりは前田利家君だった。
優勝が決まると塚原さんが笑みを浮かべた。
「若さとは羨ましきものよ」
優勝は利家君だ。決して技術で優れていたわけではないだろう。終始防戦一方だった。ただ、それでもほんの一瞬の隙を突いて勝った。勢い、流れ、運。勝因を挙げるといろいろあるだろうね。
まあ、若い子たちが育っているのも事実だ。ジュリアたちが指導している子たちがどんどん成長していて現場でも活躍しているからね。
あと盛り上がったのは領民部門の団体競技だった。リレー、二人三脚、大玉転がし、荷物運びと、去年試した競技を今年は本格的にやっている。綱引きや玉入れで団体競技の経験を積んだからか、大きな混乱もなかった。
領民部門は数年前から女性の競技もいくらかやっているからね。団体競技は女性や子供に限定したものも開催していて、こちらも予選会を行なったほどの人気だ。
全体として領民部門はトラブルが少ない。信頼関係をきちんと築いているし、競技の前に説明して駄目なことは駄目と命じると、大きなトラブルはないんだ。
まあ、他国の人からすると、そんな領民の姿にも驚くらしいけどね。
「わしもあと少しで本選に出られたのだがなぁ」
「左様。来年こそ、鍛練して本選に出たいものだ」
貴賓席の雰囲気は相変わらずいい。北畠からは具教さんと晴具さんが揃って来ており、六角家からも宿老や重臣が数名来ている。
重臣や評定衆でも、勝ち残れないのを理解して出場した人が何人かいたようだ。悔しそうにしているものの、その表情は悪くない。自分の役目や身分では武芸に専念出来ないのを理解し、それでもなお挑戦したという自負があるんだろう。
あと三日目ともなると、各地からの報告も入る。美濃井ノ口で行なっている農産物の展示も順調らしい。領国の内外から商人が集まっており、品定めもしているとか。一部の農産物はそれほど知名度がなくても品質などでいいものもあるらしく、欲しいという声が早くもあるみたい。
まあ、農産物は領内優先だ。領内でほしいというなら値段や状況を見て売ることになる。領外は領内の販売分を考慮して余剰分を中心に考えるくらいか。悪銭鐚銭ばかりの領外に積極的に売るメリットがあまりない。
どのみち食料は自国優先で当然だからね。織田に限らず。
次に恒例となっている、熱田の和歌、津島の書画、蟹江の工芸品。どれも多くの人が集まって大賑わいだそうだ。間者も相応にいるらしいけどね。もう仕方ないレベルとなりつつある。諸国から人が集まるんだ。おかしなことをさせないように厳しく監視するしかない。
ああ、昨日あたりから少し評判なのは、六角家が提供してくれた品のことだ。
百済寺の百済寺樽というお酒を提供してくれた。各種目の賞品のひとつとして成績を残した者たちに振る舞っている。灰持酒の一種らしく甘口のお酒だけど、美味しいお酒だと有名らしいね。
近江自体が織田の経済圏になりつつあることもあり、近江の寺社の一部では、新しい状況での生き方の模索も始まっているみたいなんだ。
近江の改革も事実上尾張の流儀で行なっていて、寺社に手を出していないものの、彼らに率先して利益と機会が与えられるわけではない。
都や畿内に合わせて生きていた近江が東に合わせようとしている。これは悪いことじゃない。既得権を持つ者たちなだけに扱いは難しいけど、逆にこちらの品を売る好機でもある。
上手くやると願証寺のように穏やかに変わってくれるかもしれない。期待しよう。
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