第1639話・とある兄弟の午後

Side:久遠一馬


 上皇陛下の御還御ごかんぎょの日程がほぼ決まった。津島天王祭が終わったらということだ。少しでも多く花火をお見せしたい。山科さんたちがそう判断したようだ。


 島への帰省は信秀さんや義統さんと相談しながら誘う人、メンバーを選んでいる。この辺りはやはり家中の序列が高い人や名門が優先される。あと、オレの裁量で決められる人もいるので、そこに誰を加えようかと相談しているところだ。


 清洲ではレールの敷設も終わり、鉄道馬車の試運転が始まった。レール同士の連結に少し手間取ったらしく熱田祭りには間に合わなかったものの、数日中には試運転を終える予定だ。


 試運転には多くの見物人が出ていて祭りのようだと報告もある。開通式は後日だが、これで諸国に鉄道馬車の噂が広まるだろう。


 まあ、鉄道馬車自体はそこまで他国に大きな影響を与えるものではない。物珍しさはあるものの、あれだけで大幅な輸送能力が上がるわけでもなければ、既存の輸送方法を変えるほどの力もないしね。


 ただし……。


「あれを見て、また恐れる者が出ような。人は己の知らぬものを恐れるもの故」


 この日は吉法師君と傅役の政秀さんが来ている。


 政秀さん、最近はすっかり第一線を退き傅役に専念している。ただまあ、相応の付き合いもあるし情報も入るようだ。鉄道馬車に関しても噂だけでは実情がきちんと伝わらないだけに、恐れる者が増えると少し懸念しているらしい。


 オレたちの懸念もそこなんだよねぇ。


「馬車がすでにありますからね。そこまで大きな騒動にはならないと思っていますよ」


 政秀さん自身はすでに息子さんに家督を譲っていて半隠居状態だ。もっともどこか悪いこともなくまだまだ元気だけどね。


「一馬殿、あまり無理をされぬようにの」


 うちの子たちと遊ぶ吉法師君たちを微笑ましげに見ている政秀さんは、ふとこちらを見ると真剣な面持ちでそんなことを口にした。


「平手殿……?」


「皆が一馬殿を頼り過ぎておる。尾張ならばよいが、院や帝まで……。もし望まぬのならば、本領に戻り、しばらくあちらで暮らすこともよいと思いまするぞ」


 一緒にいるセレスが驚いた顔をしたのが分かる。この人もやはり凄い。今でも世の中の流れと織田の現状を理解しているんだろう。


 オレたちが尾張に来て、最初に味方になってくれたのはこの人だ。オレが立身出世を望んでない本心をよく理解して、たまにこうして立場を越えて心配してくれる。


「ありがとうございます。無理はしておりませんよ。それに、私はひとりではないので……」


「そうであったな。セレス殿らがおり、八郎殿らがおるか」


 権力者の苦労を知っている。オレもそんな立場になったのも事実だ。ひとつ違うのは、歴史上でオレほど恵まれた権力者はいないだろうということだ。


 セレスたちとお清ちゃんと千代女さん。彼女たちとの絆こそが、オレにとって最大のチートなのかもしれない。ふとそう思った。


「お昼の支度が出来た。今日は海鮮塩ラーメン」


 おっ、もうそんな時間かぁ。ケティが呼びに来てくれた。


「おひる!」


「ごはん!」


 子供たちが待ってましたと言わんばかりに手を洗いに行く。そんな光景がなんかいい。


「ほほぉ。これは美味そうじゃの」


「蝦夷の船が来たから、いい品が手に入った」


 おっ、海老やイカと一緒にホタテが入っているね。珍しいな。ホタテ貝はこの辺りじゃ採れないからなぁ。


「おいし!」


 吉法師君もぱくりとホタテを食べて笑みを見せてくれた。


「うむ……、これはホタテ貝か。こうして食うと美味いの。良い出汁も出ておるわ」


 政秀さん、相変わらずラーメンが好物らしいね。自分の屋敷でも作らせて食べるようだし、八屋にもよく食べに行くと聞いている。


 ズルズルと出汁が絡んだ麺を啜ると口の中いっぱいに海鮮の味が広がる。塩ラーメンはシンプルだけに難しいんだよねぇ。ケティの自信作らしい。


 まだラーメンが早い子は同じ出汁を使った離乳食になるようだ。みんな美味しそうに食べているのを見るだけで幸せだなぁ。


 政秀さんは麺を替え玉までして完食した。さすがだね。




Side:織田信康


 家中の皆が忙しそうに働く音を聞きつつ、わしと兄上は紅茶を飲む。少しずつ仕事を若い者に任せておるのだ。


 わしや兄上だけではない。守護様や内匠頭殿も同じだがな。この中では内匠頭殿がひとり若いが、もとより久遠家は仕事を出来る者に任せていくことが多い。家職のように己の家で専従させず皆に任せていくというのは、久遠家がやらねば誰も成せなんだことであろう。


「北が動いたか。南部もほぼ降ったようだ」


 昨日、北からの船が到着した。まだ雪が残るという頃に南部と戦をして大勝し、大半の者を降らせたとか。兄上は地図を見つつ少し思案しておられる。


「久遠に挑むとは。致し方ないのかもしれませぬが、同情しますな」


「一国の守護ほどの勢力では勝てまい。人の治め方が違う。一馬はあまり知られたくないようだがな。その気になれば一馬だけで統一が出来る」


 未だにおかしなものだと思う。内匠頭殿を誰もが認めつつあるというのに、当人らは人の上に立つことを心底望んでおらぬ。


 まあ、わしも心情は理解する。天下など決して良いものとは思えなんだからな。院や帝や上様、いずれのお方も思うままに生きられぬのだ。


「関東は少し手こずりましょうな」


 東、いや久遠家の地図では北か。奥羽に確固たる地を築いた。このまま織田は東国から統べるというのが、我らの策。最大の懸念は関東だ。ここまでは大きな戦も少なく済んだが、関東は難しかろう。


「頼朝公由来の地か。手こずるだけならばむしろ好都合だ。このまま関東が荒れて臣従されては困る。公儀の形を整え甲斐・信濃・駿河を十全に治めるのに今しばらく時がいる。季代子にもあまり広げ過ぎるなと命じる。少し勢いを止めねばならぬからな。いかに久遠といえど、あの地は難儀しよう」


 思わず笑うてしまいそうになる。頼朝公が日ノ本を治めた関東の地ですら、兄上にとっては好都合か。よう知らぬ者が恐れるのも無理はないな。


 内匠頭殿らが上に立たずとも良いのだ。兄上は久遠の力を借りつつ、同じことを出来つつあるのだからな。


 兄上は、内匠頭殿を天下人にしたくないのであろう。内匠頭殿らを我が子と等しく想い案じるが故に。わしにはそれがよう分かる。


「いかがした?」


「いえ、兄上は相も変わらず内匠頭殿らを我が子のように思うておるのだなと」


 いかん。笑みをこぼしたのを見られてしまったな。まあ、噓偽りをいう間柄ではないのだ。良いがな。


「ふふふ、末は天下か滅亡か。いずれでも構わぬ。わしはあやつらと共に生きると決めたのだ」


 天が内匠頭殿を遣わしたのならば、兄上もまた天が遣わしたのかもしれぬ。父上が知れば大笑いするかもしれぬがな。


 いや、今頃、我らを見守り大笑いしておろう。何故か、そう思えてならなんだ。




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