第1637話・院の見据える先には……
Side:久遠一馬
決定と実行が早いのは、この時代の利点だね。土務総奉行である氏家さんと相談して、すぐにレールの敷設作業に入った。
レールや枕木はすでに用意してあるので、人海戦術で運んで一気に敷設する。
「よし! やるぞ!!」
「おう!」
気になったので現場に足を運んでみたけど、領民の皆さんの士気が凄い。戦でも始めそうな雰囲気だね。
「あれって……」
見ていると、人足たちを複数の組に分けている。それぞれに組に区間を決めて作業をやらせるらしい。前はこんなことしてなかったのに。
「ああ、下の者から献策がありましてなぁ。その都度、幾つかの組分けをして働かせ、早さと出来により褒美を与えておりましてな。まあ、褒美と言うても酒を少し飲ませるくらいなのだが」
一緒に見ている氏家さんが説明してくれたけど、これって秀吉の三日普請みたいなことじゃないか?
元はオレが関わるらしい。現場に行く時はたまに差し入れを持っていくんだけど、差し入れがあるとやる気を出すのを見た現場の武士たちがあれこれと話をして試した結果、最近はこんな形にしているらしい。
今の尾張だと麦酒くらいなら安いからなぁ。
「凄いですねぇ」
効率化とか、工期短縮は織田家でも考えているんだよね。監督武士は早く正確にやると評価されるし。ただ、賦役にまで一部とはいえ成果報酬を組み込んでいたのは知らなかった。
土務総奉行の裁量の範囲だし、予算も賦役の予算内で収めているからだろう。
実のところ織田家だと首を挙げての武功がほとんどなくなったこともあり、能力や成果によって個人の禄が上がる仕組みは作ったんだよね。
しかし、予算の使い方もみんなで考えて試行錯誤しているのかぁ。なんかオレたちのこともあっさりと超えていきそうな勢いだね。
「予定しているところは数日中に終わるでしょうな」
レール敷設は五町、五百四十五メートルほどを予定しているけど。これならほんと数日で終わる。
明日から五月だから、熱田祭りが終わった頃にちょうど開通出来るな。開通の式典というか儀式とか要るだろうなぁ。鉄道馬車が前代未聞だから慣例としてはないけど。
式典は寺社奉行の管轄だ。あとで相談しておこう。
Side:織田信勝(勘十郎信行)
少し相談することがあり兄上のところを訪れると、書状の山を片付けておられた。
「勘十郎か、いかがした?」
「はっ、熱田祭りのことで少し……」
尾張上四郡の代官となりて、内匠頭殿だけではなく兄上がいかに優れておるかがよう分かった。なにを考えておるか分からぬと囁かれておった頃と、最早違うのだなと思う。
「人が集まり過ぎだからな。致し方あるまい。今年からは熱田と津島の双方で花火をやる。遠からず美濃や三河でもやるのだ。さすれば少しは楽になろう」
下四郡だけではない。上四郡もまた東西から多くの人が集まり熱田へ向かおうとする。警備兵や寺社はそれぞれに奉行がおるのでよいが、あちこちから上がる嘆願書やら報告書を読み差配するのは難しいとしか言いようがない。
兄上は左様な私よりも多くの差配をしておるというのに、平然と仕事をしておられる。
「猶子となりお会いした時、優しそうなお方としか見受けしなかったのですけどね」
「かずのことか? ならば相違あるまい」
「はい。されど、人は見かけによらぬものでございますね。一番忙しいはずなのに、気が付くと仕事を終わらせております」
私は覚えている。林美作守が生きておった頃を。兄上か、安祥の三河介の兄上か、私か。父上の家督を誰が継ぐのだと家臣らが勝手に言うていた頃だ。
変わってしまった。すべてが。いつの間にか、一族で争うこともなくひとつにまとまったかと思うておると、世継ぎを考える暇がないほど皆が忙しい。
「ああ、人を分かったつもりになることこそ愚かなことだ。オレもそなたも戒めねばな」
「はっ、肝に銘じておきまする」
兄上ともよく話すようになった。家督があろうがなかろうが、私と兄上は忙しくそれは今後も変わるまい。
母上は私と兄上が争うことがなくなったことを誰よりも喜んでおられる。
明日いかがなるか分からない。されど、これで良いのだと私は思う。
Side:山科言継
「あれを見られるのも後わずかか」
時計塔を見上げる院からは心中をすべて察するのは難しい。
「朕がおることでこの地が争いとならず安堵しておる」
御懸念はそれか。確かに院が争いをしたというのは古き世にはあった。さらに畿内の管領などもなにをするか分からぬところがある。
「黄門、亜相。朕は新しい院の形をつくりたい。尾張に来て多くを学び、蔵人の件でよう分かった。譲位した者が世の
人払いをした院は吾と広橋公のみを残すと、ようやく心中を明かしてくだされた。
「院……」
近頃少し思い詰めておる広橋公は、内に抱えるものをこらえるように言葉を飲み込んだ。
今の朝廷と院で出来ること、すべきことをお考えになられたのであろうな。内匠頭に幾度も拝謁を許し、かの者の見ておるもの考えておるものを学んだ故のお考えか。
「よきことかと思いまする」
いずれにせよ朝廷が政など出来る世ではない。ならば、今の世に合わせた院であるべきというのは理に適うものだ。
古き世を取り戻さんとするのが無理なのは分かる。ならば今の世、ひいては新しき世のためにということか。
「太平の世の芽は守らねばならぬ。それが朕の天命である」
ああ、違う。院は朝廷や皇統のためではない。そこまでしても、この国を内匠頭の見ておる新しき世をお守りになりたいのか。
誰もが己の家や一族のことしか考えぬ世だというのに……。
これで良いのかもしれぬ。ひとまず院の在り方を考える。主上も公卿も大きく異を唱えまい。さらにその御意思は尾張にも届こう。
ここまで苦労も多かったが、それ以上の実りがあった。
きっと、天が院に授けてくれた実りであろう。
良かった。まことに良かった。
◆◆
官位について
亜相=権大納言。広橋さん
黄門=権中納言。山科さん
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