第1616話・それぞれの奮闘
Side:知子
三戸城の降伏は多くの者たちにとって意外なことだったようだ。まだ戦える。籠城して流れが変われば……。それも間違ってはいない。
ただ、政治的な判断が出来る者と出来ない者の違いは顕著ということだ。
春の作付けが終わったところから領民を動員して賦役をする。とりあえず報酬ではなく食事を出すという条件にしたけど、集まりはいい。
「いい、ちゃんとどこの領民か確認だけはして。臣従してないところは駄目よ」
「ははっ!」
八戸家は三戸城を頼ったものの、そこからまた逃げていて現時点では臣従していない。今動員出来るのは、こちらに臣従を約束した村だけだ。同じ八戸領でも国人や土豪、寺社ではまだ態度を決めかねているところもある。
優子が統治は苦手だというので私が代わった。優子には奥羽織田領の流通と、これから夏場にかけて西から来る船との商いなどを担当してもらう。
まあ、気持ちは分かる。神仏の名で脅迫紛いの態度に出る者もいるし、戦も辞さずと強気な者もいる。こちらが配慮をしないと納得しないんだもの。私は遠慮なく追い返しているけど。優子はそういう面では効率的な統治に拘り過ぎていたんだと思うわ。
ちょっとくらい非効率でもいい。最初に甘い顔をすると付け上がり、却って効率が悪くなるだけだ。
こちらで賦役を始めて数日、早くも非臣従地域の村から賦役に参加しようと来て騒動になった。働かせたいところだけど、順序は大切なのよね。
それと優子が早くも塩の販売を始めたことも騒動の原因だ。臣従する者だけに安い塩を売る。正直、そういう政策をする人が今までいなかったのよね。そもそも塩と一言で言うけど、この地では貴重なものだし。
領民の暮らしに資金を投入する領主なんて、この時代では寺社でもいないもの。自分たちが出来ないことをすると怒る者が結構いる。
湊と言っても砂浜があるだけなのよねぇ。この時代。ウチの船から荷下ろしする小舟も足りないし、蔵などもまったく足りない。
とりあえず船橋を用いた桟橋がいるわね。久遠船が接岸出来る湊は欲しい。
まあ、まずは土地の整備からだけど。道のりは長いわ。
Side:穴山信友
わしに従う土豪が治める幾つかの村が示し合わせて、久遠寺が運ぶ織田の荷を奪ったと知らせが届いた。よりによって久遠寺の僧を襲うとは。
「愚か者が!!」
理由は分かっておる。飢えておるのだ。春となり野山の草木が生えて、食える物が手に入り始めたことで安堵しておったが、我慢の限度だったのであろう。
「申し訳ございませぬ」
御屋形様と共に織田に降った者たちのところでは満足するとは言えぬものの、飢えぬだけの食べ物が配られたことも追い打ちとなった。領内ばかりか国人や土豪にも、織田と久遠寺には手を出すなと厳命しておったが、それでも隠れて奪おうとする者が後を絶たぬ。
久遠寺も左様なことは分かっておることだ。護衛を増やしておったが、無視出来ぬほどに大きな騒動となったか。
いかがする? 久遠寺に詫びを入れねばなるまいな。織田相手に大人しくしておるが、決して軽んじていいところではない。
「殿、小山田殿に助力を頼んでは……」
無理だな。小山田殿とは年始に尾張に送った使者が戻って以降、文のやり取りもない。あそこの当主は若い故、己の意思と関わりなく御屋形様を裏切ることになったのが不満だと聞いておる。
家中の者はまだこちらと示し合わせて動きたいようだが、小山田殿は己で決めると拒んでおるとか。
「兵を挙げるぞ。愚か者を討って久遠寺に首を届けねばならぬ」
「殿! 左様なことをすれば国人らは離れ、民は一揆を起こしてしまいまするぞ!」
ああ、わしの家中もこの程度のことしか分からんのか。
「織田が攻めてくるぞ。諏訪ですら許されぬところだったというのに。久遠寺が織田に後詰めを求めれば、我らは勝ち目のない戦をせねばならなくなる。よいのか?」
配慮して折れねばならぬのは弱き者なのだ。
ああ、だから御屋形様は我らを捨てたのだな。理解しておったが、改めて御屋形様のご決断の意味を思い知らされたわ。
織田相手に愚か者のために戦をするなど愚かなことでしかないのだからな。
「もうよい。わしに従わぬ者らとは縁を切る。さあ、兵を集めよ!」
先代様と御屋形様。二代に渡り守護を追い落とそうとした、わしの罪だということか。
此度はわしの番なのかもしれぬな。それもまた世の習いだ。
わしは最後まで諦めぬぞ。
Side:蒲生賢秀
「お世話になりまする」
「よう参られたの。あまり気を張らず、まずは尾張に慣れることから始めるとよい。新しき政はわしでも難しきこと。秘訣は決して焦らぬことだ。失態も次の糧とせよ。まあ、これも一馬らに教わったことじゃがの」
清洲城にて武衛様に拝謁する。すでに話は通っているとはいえ、他家に政など国の治め方を学ぶなど前代未聞のこと。相応に大変であることはご承知のようだ。
「ははっ」
「弾正も随分と苦労をしたからの」
最早、尾張が先達となり日ノ本の先を行くことに異を唱える余地などない。父上ら宿老も領地を手放すために話を始めておる。
誰のためでもない。六角家と我ら近江の民のためだ。北近江を追われた京極ですら、今では織田の重臣として功を挙げておるのだ。それが我らに、いつまでも時がないということを教えてくれた。
「困ったら一馬に相談すればよい。わしからも言うておこう」
「ありがとうございまする」
内匠頭殿か。幾度か会うたこともあるが、以前、観音寺城にて六角家に苦言を言うたのが忘れられぬ。
上様の信が最もあるのは、あの御仁だという噂だ。それだけではない。院や帝ですら内心では織田と久遠が都を治めることを望んでおるとか。
御屋形様も今でこそ先代様に負けず劣らずの名を上げておられるが、その陰に斯波家と織田の助けがあることはあまり知られておらぬ。
譲位や御幸もそうだが、商いや銭の流れ。左様なものも配慮をされておるのだ。
なんとしても織田の政を学び近江に持ち帰らねばならぬ。いつまでも配慮ばかり受けておるわけにはいかんからな。
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