第1584話・晩冬のひととき

Side:久遠一馬


 尾張に到着した広橋さんは休む間もなく、蔵人の報告と今後についてなど話をしている。後任の蔵人は院が都に戻られてからとなるようだ。当面は山科さんと広橋さんが代わりを務めるとのこと。


 蔵人は必要なんだろうけど、こちらとの交渉役として適任かと言われると難しいのだろうね。蔵人は従六位以下から選ぶようだし。


 下手な人を寄越して、これ以上の騒動になるのは避けたいような印象が強い。山科さんが上手くやったことで、あと半年はこのままでいいのではというのが無難なんだろう。


 朝廷との交渉は義輝さんを通した幕臣ルートでも続いている。あちらは献上品に関する扱いが主になる。まあ、いろいろ大変だという報告がこちらにも入っている。


 尾張からすると畿内対策と義理で送っていた献上品を、当たり前のものとした段階で違和感がある。さらに第三者視点からすると、尾張だけ過剰に献上している状況は違和感もあるのだろう。ただ、朝廷とすると減らすことやなくすことは困ると。


 この件に始まったことじゃないけど、矛盾と違和感が多いんだよね。この時代の政治は。当分は大きな変化は無理だろう。


「広橋公は驚いていたね」


「知らないということが一番困ることなので……」


 お昼寝をする子供たちの寝顔を見ながら、エルと雑談交じりに相談する。広橋さん、今年から新しく保険と投資など始めると知ると顔を青くしていたんだ。


 織田家の体制は律令を基にしたものなので大まかには理解するものの、個別の法や政策をすべて把握するのは難しいだろう。織田家中でも全容と政策をすべて把握している人は多くない。


 朝廷としてはある程度把握しておきたいのだろうね。影響が大きくなる前に。


「図書寮が動いたのは朗報かな」


「ええ、あれが一番懸念なく動かしやすいですから」


 ああ、広橋さんからは図書寮と写本について続報があった。朝廷や公家のみならず寺社にも協力を求めて進めているそうだ。年内に纏まった数を、こちらに送ってこられるかもしれないとも言っていたね。


 近衛さんたちは危機感が強かったものの、京の都も現状だとそこまで悪くないんだよね。義輝さんの権威と力は安定していて、都を任された三好が内裏の修繕と仙洞御所の造営など大々的にやっているから。


 尾張からの献上品もあって朝廷としても一時期よりは安定している。史実と比べると段違いなんだけど。尾張がもっと変わったからだろうなぁ。


「……ちーち、まーま」


 小声で話していたんだけどな。ケティとの子である武典丸が起きてしまった。目が覚めた武典丸はしばしキョロキョロと見渡すと、オレとエルを見てハイハイでこちらへとやってくる。


「あら、立ちたいの?」


 エルの膝元に到着した武典丸は膝に掴まるようにして立ち上がろうとする。もうすぐ一歳だからなぁ。ちょっと前から大武丸たちを見て歩こうとするんだ。


「うー」


 ああ、でも上手く立てなくてエルの膝に倒れこんでしまったな。本人的には残念というか不満げだ。ただ、エルが抱き上げてやると機嫌が治る。


「よく頑張ったわね」


 おお、武典丸がにっこりと笑った。なるほど褒めてほしかったのかもしれない。


「さあ、もう少しお昼寝をしましょうね。みんなと遊ぶときに眠くなるわよ」


 エルたちも母親という立場が板に付いてきたな。オレも負けていられない。育児にも参加しているけどね。ウチは妻が多いし侍女さんたちもいるので負担は軽いはずだ。


 ちなみに現在妊娠中のお清ちゃんと千代女さんに、年末に妊娠したまま島から来たかおりさんの三名が那古野の屋敷にいる。彼女たちは産休に入っているので子どもと一緒にいる時間も多い。


 あと尾張滞在組以外だと、今後は島の外で妊娠が発覚することも増えるだろうね。かおりさんの件もあるので、早めに報告してくれるように頼んでおいた。


 全員尾張で出産は難しいかもしれないけど、父親として夫として出来ることはしてやりたい。




Side:かおり


 外はまだ冬ですね。そろそろ春の気配があってもいい頃なのですが。


 エルから尾張で出産するか、島に戻り出産するかと聞かれました。長期滞在組以外では私が初めてということで、今後のことも考慮してどちらでもいいということでした。


 私は少し妊娠を急ぎましたが、まだ子供は早いと考える子もいます。私たちの医療技術と身体年齢を考慮すると、三十代の出産も増えるでしょうね。


 結局、尾張で産むことにしました。司令がどちらかというとそれを望んでいたためです。


 私たちは司令の元の世界とも、この時代とも違う価値観の夫婦です。そういう意味では今も互いに話し合いをしつつ生きていますので。


「お方様、あまりご無理をされては……」


「ごめんなさいね。ちょっと気になったことを書き記していただけよ」


 侍女が常にいるというのは慣れませんね。妊娠中でない時はそうでもないのですが、万が一があってはならないということで妊娠中は常に侍女が付き従っています。


 私は安定期と言える状態なのですけど、働くと今後女性が産休を取りにくくなってはいけないということで働けないのです。ただ、なにもすることがない現状は手持ち無沙汰になりました。


 気になったことや献策などを少し日記代わりに書いているだけなのですけど。心配されてしまいましたね。


 以前、私が関わった醤油の増産について思うところがあり、献策をしようと思ったのですけど。


 塩と醤油は、そろそろ領外に漏れるのを覚悟で新領地に広めるべきでしょう。その地その地で気候風土からなる味が生まれます。すでに織田と尾張の優位は揺るがぬはず。


「かおり殿、一緒に菓子を頂きましょう!」


 少し考え事をしていると、もうそんな時間ですか。市姫様が私を呼びに来てくださいました。


「はい、すぐに参ります」


 エルたちの教えを受けていることもあり、市姫様はこの時代の子供としては抜きん出ていますね。先進的な知識と考え方、それをこの時代の価値観と流儀と共存させている。


 人の可能性は素晴らしいです。私も負けていられません。





 

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