第1504話・信濃の戦

Side:佐々孫介


 心情はよう分かる。勝手に離反して許すと面目が立たぬ。されど争うのは相手あってのものだ。事前にこちらに言うてくれれば、また違うたのだがな。


「よろしいのでございまするか?」


 深追いはするなと言うてある。幾人かの信濃者が左様な命に戸惑うておるわ。諏訪の時は断固として討ったからであろうな。


 無論、賊は捕らえるか討ち取るのが常なれど、此度の相手である村上は斯波家と血縁がある。勝ちすぎて退けなくなるのは望ましくないというのが清洲の大殿の命だ。


「こちらが本気だと知って引くならそれでよい。こちらはすでに小競り合いに応じるほど暇ではないと教えてやらねば哀れだ」


 僅かの者がこちらに従うと言うた村を襲ったが、警備兵と黒鍬隊で追い返した。鉄砲や焙烙玉を使い、力の差と戦の違いを教えてやったのだ。常ならばこれで大人しゅうなる。向こうも兵を挙げたという事実があり、こちらが退けた。それでよいはずだ。諏訪の時とは状況が違う。




「申し上げます。敵方はさらに兵を集めております」


 わしの配慮を理解せぬのか、それとも他に狙いがあるのか。敵方は各々で勝手をしておった国人らが集まり出したか。


「夜殿に知らせよ。敵方は動くとな」


 手に負えぬほどではない。されど村上が動く前にこちらが敵を制してしまわねばならぬ。さもなくば村上が退けなくなる。勝手をした国人らが愚かだったという落とし所にしたい。


 その村上方の者らが頼りにしておるのは砥石城か。堅固な城だと報告はある。されど……。


「武田と同じと思うておるとは憐れな」


 馴染みの武官がため息を漏らした。村上方の士気が高いのは五年ほど前か。武田が砥石城を攻めて敗れたからだ。その後、武田と今川が一進一退の争いを数年続けたことで己らが強いのだと豪語しておると聞く。


 無論、容易いというほどの城ではない。旧来の戦ならばここで悩むところであろう。ところが御家は、すでに時を掛けるより銭を掛けて戦を終わらせることをしておる。


 鉄砲・焙烙玉・木砲。これらを多用するのだ。敵の槍の届かぬところから叩く。敵方に弓が多数あればまた違うが、砥石城は多くて数百の兵しかおらぬと聞く。こちらの城攻めを阻止するべく出てきたら鉄砲で撃ち、籠るなら木砲で城門を吹き飛ばす。敵が哀れになるほどよ。


「しかし、夜殿のおるところで兵を挙げるとは、知らぬとは誠に恐ろしきことでございますなぁ」


「ああ、わしなら絶対やらぬ戦だ」


 美濃・三河・伊勢の者らでもやるまいな。三河本證寺との戦での差配は知らぬ者がおるまい。誰が一向衆を手玉に取った相手と戦をしたいものか。


 もっとも久遠家の軍略は端から見るより分かりやすい。勝つべくして勝つ。それだけだ。奇策やらを用いることはあまりない。常に戦に備え、人を惜しみ銭を惜しまず戦う。常道と言えような。だからこそ隙がない。


「深追いはするなよ」


「心得ておりまする」


 我らだけでも勝てるとは思うがな。とはいえ万全を期することが肝要。武功が欲しくないといえば嘘になるが、評価は十二分にしていただいておる。つまらぬ過ちなど犯したくもないわ。




Side:ウルザ


 三千の兵で松尾城を出陣した。織田として重要なのは領境の小競り合いも本気で潰すという覚悟と、織田が兵を出すという事実だけになる。


 諏訪家の時は、陣触れはしても参集した者たちに調練を施しただけで、あくまでも警備兵による領境警備だったので、織田として戦で兵を挙げるのは今回が初めてよ。


 各地の国人や土豪が集まるのは仕方ないけど、不要と言ったはずの雑兵まで集まってくる。飢えない程度の統治をしているというのに、戦になると飯が食えて奪えると思う人が集まってくる。


 武士は仕方ないけど、領民の雑兵は村に戻すように命じた。数合わせの兵が要るような状況ではないのよね。


 私たちはそのまま砥石城近くの最前線に到着した。


「幾つかの村が襲われてございます」


 状況はあまり良くない。因縁ある相手や、こちらへの臣従を望む村を村上方の国人が襲っている。被害は大きくないものの、軽微とも言えないし、田畑では刈田かりたも行われており稲刈り直前の稲が盗まれたか。


 私たちが信濃に入った昨年末。鈴岡小笠原家と他家との領境から領民を少し引かせたのも仇となったのかもしれないわね。諏訪家の高遠攻めを黙認したこともありそうだけど。


「使者を出して、返答次第ですぐに討って出るわよ。相手が村上殿の名を出そうとも遠慮は要らないわ。こちらに刃を向けた者は等しく叩く」


 もう配慮をしている段階ではない。ここで尻込みすると、こちらが臆したと思って村上方は増長する。


 国境沿いの村や国人をこちらから制圧していく必要があるわね。


「敵方は砥石城に籠城すると思われまするが……」


 最低限の筋は通す。砥石城に対して一連の事態の説明を求めて謝罪と賠償を要求する。さもなくば攻めると最後通告も含めて。


 ただ、小笠原家の者も元武田先方衆も誰も大人しく謝罪をするとは思っていない。


「構わないわ。叩き潰す」


 反応は様々ね。顔を青くしている人もいれば、あの城をどうやって攻めるのかと考えている者もいる。


 まあ、砥石城はいい。まずは小競り合いでこちらに損害を与えた村から制圧していく必要がある。使者が戻り次第、一気に攻める。


 村上が後詰めを出す前に決着をつけてしまいましょう。




Side:久遠一馬


 東は相変わらずだが、伊勢では宇治と山田も相変わらずだった。無量寿院への密売で大損したばかりか、こちらの要請を聞き届けてくれなかったことで、尾張の品を近隣で一番高い値で売ることになったので騒いでいる。


 神宮や北畠、果ては大湊の会合衆やウチの家臣である湊屋さんにまで頼み込み、現状の打破をしようとあがいている。


 ただ、神宮の門前町という特権は依然として捨てたくないようで、神宮を遇するなら自分たちは神宮の下で商いを続けたいというのが現在の主張だ。謝罪と銭での詫びはしてもいいみたいだけど。


 北畠家に配慮をして商いを禁止していないからなぁ。神宮と北畠に従う限り絶縁はないと高を括っているんだろう。


「すでに町を出られる者は出ておりますからな」


 報告に来た湊屋さんも少し困った顔をしている。宇治と山田もこちらの要請に従った者などは織田領に移住している者がそれなりにいる。


 神宮の利権があるとか、あの町でなくば商いが出来ない大店は別だが、織田領との価格差で商いにならないと判断した人は町を離れた。


 当然、残る人は利権にしがみつくよね。伊勢神宮自体、やはり特別だし。


「この件、ウチにもってこられてもね」


「左様でございますな。されど、当家の品を筆頭にした尾張物の値が下がらぬと、これまで通り豪奢ごうしゃに生きていけぬことが彼の者らの悩みなれば」


 宇治と山田、押しかけるように嘆願したことで晴具さんもしばらく相手にしていないんだよなぁ。具教さんは領内の改革とかでそれどころじゃないし。


 それに気持ちは分かるんだけど、宇治山田は抜け荷の大元のひとつなんだよね。義統さんの命で禁止した堺の町にウチの品とか尾張の品を横流ししていたし、今川家と武田家にも硝石を含む禁止した品物を売っていた。


 こちらとしては許せる理由がまったくない。


 具教さんと相談するか。宇治山田の自治の解体と商人の処罰と賠償で北畠家の支配下に入れるように。


 暴発する力もないんで放置でもいいんだけど。門前町が廃れると伊勢神宮としても困るだろうし。




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