第1422話・見えてくること、見えなくなること

Side:小笠原信定


「大殿がお怒りねぇ」


「あらあら……」


 尾張から届いた書状に夜の方殿と明けの方殿はやはりと言いたげな顔で済ませるが、わしと家臣らは恐ろしゅうて青ざめておる者も見受ける。


 諏訪方とは大殿が直々に会う故、清洲に来いということだ。まさかかようなことになるとは……。


「責めを負わねばならぬのでございましょうか?」


「そうね。諏訪分家と諏訪神社は大殿の御裁断次第ね。ああ、小笠原殿に非はないわ。そこは案じなくてもいいわよ」


 その言葉に皆が安堵の顔をした。兄上に留守居るすいまかされながら、信濃でかような失態を演じてしまい、腹を切らねばならぬかと覚悟を決めておった者もおるのだ。


「いかがなりましょう?」


「さあ? 大殿のご寛容に泥を塗った以上、諏訪の覚悟次第ね。臣従の条件は厳しくなると思うわ。あと御幸の出迎えには呼ぶのかしら? そこも含めて清洲で話すことだと思うわ。そもそも織田としたら諏訪家がいなくても困らないのよね。誰か庇いたい人がいるなら、取り成す文を清洲に出してもいいけど?」


 お二方と織田の者らは今のままでは取り成す気もないのか。信濃四将と言われた諏訪家でさえ、そこらの土豪と同じ扱いだな。


 周りを見渡したが、誰も名乗りを上げる者はおらぬ。庇うほどの友誼もない。諏訪神社を潰すというなら庇う者もおろうが、織田は寺社を厚遇せぬ代わりに、一揆を扇動でもせぬ限り放置して、潰すこともない。


 下手に動いて大殿の怒りが我らに降りかからんとも限らぬ。関わりたい者はおらぬであろうな。


「申し上げます。諏訪神社より使者が参りました」


「あら、ちょうどいいとこね。小笠原殿。そういうことだから、使者殿には清洲に行くように言ってちょうだい。私たちは会えないわ」


「はっ、畏まりましてございます」


 いささか冷たいように思うが、これもまた諏訪の所業故か。陣触れまでしたことで諏訪は連日慌てて使者を寄越しておるが、夜の方殿も明けの方殿も会うことはない。


 胸の内では怒っておるのやもしれぬ。




「なんと……」


「言うたとおりだ。速やかに清洲に行かれることを勧める」


 諏訪神社の使者はこの世の終わりかと言いたげな顔をした。


 領境はここ数日で多少なりとも落ち着いた。織田方の話では三河の一向衆を壊滅に追い込んだのは他でもない。夜の方殿と明けの方殿だというのだ。諏訪神社のほうでも噂程度かもしれぬがそれを知っておったようだ。


 そのお二方が陣触れをしたことで、同じことになるのではと相当焦ったようだからな。


 すぐに係争地から退いて、高遠領での騒ぎも止めたようで、村々と話してなんとか落ち着かせようとしておる。


 流民はあまり減っておらぬが、この程度ならばよくあるとのこと。まだ許せることなのだろう。


「夜の方様か明けの方様にお取次ぎのほどを、伏してお願いいたします」


「止めておけ。清洲の大殿の命は軽々けいけいくだるものではない。織田家中の何人なんぴとたりとも覆せぬ。それとも大殿ばかりか尾張の久遠殿まで怒らせたいのか?」


 藁にも縋る思いなのだろう。理解はするが、悪手だ。お二方が庇えば確かに大殿も多少譲歩いただけるかもしれぬ。されど織田と久遠の間にわだかまりでも残せば、諏訪神社などいかがなるか分からんのだぞ。


 久遠は織田家中で一の力を持つ。それ故にわし如きでは、そこにいかに触れて良いのかすら分からぬのだ。触れぬほうがいい。


 もし大殿が内心では久遠を疎んでおれば……。


「助けを請うなら、津島神社か熱田神社に致せ。あそこが織田家中で寺社奉行として仕えておる。多少なりとも助言はしてくれよう」


 慌てて戻る使者を見送り、ため息が漏れる。


「武田の悪癖を真似ねば良かったものを。敵のおらぬ領地を荒らして周りが喜ぶと思うたのか?」


「まったくだ。高遠が退いたのならば、素直に従えれば良かったのだ」


 家臣らが呆れた様子で諏訪のことを口にした。今思えば武田が高遠を引き取ったのは織田を怒らせぬためであろう。領境で武田に所縁ある因縁でこちらが損害を出せば、武田が窮地に陥る。


 武田晴信という男は愚かではないからな。


 しかし、惜しいことをしたものだ。素直に降ればそれなりの立場で召し抱えていただけたものを。高遠だけは許せぬと、高遠領を欲して騒動を起こすとは。


 ともかくわしは命じられたことをするのみ。兄上からも決して裏切りや良からぬことを企むなと厳命されておるのだ。




Side:北畠具教


「すまぬの。黄門殿、助かる」


 少し暇が出来たので武衛殿の下を訪れると、開口一番で礼を言われた。


「なんの。お互い様であろう。こちらも領地のことで助けられておる」


 武衛殿は誰と会うても卒なくこなす御仁だ。されど、わしも武衛殿も都に疎い。


 わしは公卿でもあるので、鄙者故分からぬ、申し訳ないと開き直れるが、武衛殿の立場では公卿や公家相手に気を使うのは致し方ないことだ。


 足利由縁の名門とはいえ、武家と公卿ではいささか勝手が違う。それと引き換えこちらは尾張のおかげで身分ばかりか立場もよい。


 盾になるくらいしてみせねば父上にお叱りを受けるわ。


「都に来て、こうして譲位という節目に立ち会うことで分かる。尾張の歩みは止めてはならんとな。南伊勢で燻っておった北畠でも活躍する機会があって安堵しておるわ」


「左様か。そうじゃの。なんとか皆が上手くいく道を探さねばならぬ」


 都の者らも愚かではない。織田や久遠を軽んじることなどせぬし、困らせる気もない。されど、あまりに考えておることが違いすぎて互いに困っておるとはな。


 帝と親王殿下は尾張に心寄せておられる。此度も武衛殿が参じたことにお喜びのご様子。それがまた面白うない者も多い。御心みこころかいさぬ者は潰すほうが容易いのではないか。先日、上様と気晴らしにと手合わせした際に、そんなことをこぼしておられた。


 ただ、一馬らは公家や寺社もまた新たな世に連れていくつもりだ。かの者らの積み重ねた知恵や技も使うつもりなのだ。恐ろしきことを平然と考えるわ。


「危ういのは細川であろうな」


「そうであるが、かと言うて、ひとつにしてやると敵となろう。あれはそういう家だ」


 現状では公家や寺社よりも、細川京兆と上様の因縁が未だ続いておることに周りが驚き噂しておる。


 ここしばらく管領職を家職としており、我が世の春と言わんばかりの権勢があった細川だが、上様は晴元をお許しになられてはおらぬ。


 そのこともあって丹波守護である細川氏綱は上様への目通りと挨拶こそ許されたが、定められたお言葉のみで終わり、公卿や守護が集まる宴でも上様からお声が掛かることがまったくない。


 にもかかわらず、三好長慶は別だと言わんばかりに労をねぎらうお言葉をおかけになっており、晴元のみならず上様と細川の関わりがいかに良うないかと示してしもうた。


 三条公などが上様と細川の和睦をと探っておったが、あれでは無理だと困っておったとの噂だ。


 わしにまで和睦のためになんとかならんかと、内々に話があったくらいだからな。


「上様は細川を一介の守護以上にするつもりはないのであろうな。管領の代わりは管領代でよく、仮に和睦をしても細川は捨て置かれよう」


 武衛殿の言葉にいかにするべきか悩む。関わるべきでないことは重々承知だ。されど、上様と細川の噂で都は持ち切りなのだ。


 この先、いかがなるのやら。




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