第1417話・甲斐の陥落

Side:久遠一馬


 三月も終わり暦は四月に入った。都ではいよいよ譲位が始まる。無論、支援は惜しんでいない。こちらからすると必要なのかと疑問のあることも多々あるけど、それも含めて歴史の積み重ねの結果だ。


 なんのかんのと費用は膨らんでいる。織田家として費用をもっと精査してはという意見もあったし、尾張で手に入るものは尾張から送ってはどうかという意見もあったね。


 今回はそれだけ出費が大きくて、いいのかという意見があった。


 ただ、その辺りは評定の前にオレで止めた。譲位に口を挟むということ自体、良く思われない。ここでケチケチしてもデメリットのほうが大きい。


 すでに時代にそぐわないような古い資料を引っ張り出して、なんとか再現した譲位なんだ。不合理や不都合があるのは初めから分かっていたことだしね。


 そもそも公卿の皆さんに節約しろというのは無理がある。苦労をしている分だけ、銭の価値は理解していると思いたいが、彼らにとって一世一代の晴れ舞台でもある。


 尾張からは義統さんが公卿である具教さんと共に船で上洛している。本人はあまり気が乗らないようだったけど、室町初期にあった譲位で守護が譲位に参加していることもあり出ることにしたようだ。


「そう動きますか」


 そんな中、東がまた動いた。甲斐から武田晴信が臣従を申し出る文が信秀さんと義統さんに届いた。義統さんへの文は義信君が代理として確認していて、織田に臣従するのを許してほしいというものだ。


 義信君が上座に座り、信秀さんと信長さん、それとオレとエルがいる。義信君はどうするのかとオレや信秀さんを見ている感じだね。


 甲斐は卑怯者云々よりも、あの地が貧しいのをとっくに知っている。義信君は晴信の三男である西保三郎君と親しいこともあり、彼が国の支配者の嫡出子でありながら、その貧しさに驚いていたからなぁ。


「致し方ありませぬな。喜ぶしかないかと」


 信秀さんは義信君のそんな様子に配慮をしつつ口を開いた。ただ、言葉の割に喜んでもいないけど。ここまで来ると諦めて作業として受け入れるしかない。


 この状況で甲斐統一のために戦をする気なんてないところが、史実の偉人だと思わせる。ただ、こちらとしては身一つで来る可能性も考えていたけど。思った以上に従う人が離れていない。


 晴信、従う者たちを説得したみたいなんだよね。よく説得出来たなと思う。


「卑怯者と謗られても従う者らがおるか。かず、いかほどが降るのだ?」


「甲斐の三分の一を超えるくらいでしょうか。穴山と小山田は別でしょうから」


 信長さんはすでに臣従後を考えているようだ。困るのはあそこ、他所から奪わないと飢えることなんだよね。高い確率で。


「荷を送るのはひとまず北条領からがいいでしょう。懸念は風土病になります」


 織田家でもすでに甲斐への派兵と支援の計画は想定してある。元はウチで立てた計画だけど。最低限飢えさせない支援がいる。エルに確認すると、物資を送るルートは信濃が不安定だから関東ルートになるのか。


 ああ、そういえば諏訪家の分家の高遠家。ここも晴信が引き取ったらしい。織田にも助けを求めたけど、小笠原さんが相手にしなかったしね。結局、晴信を頼ったことにより、領地を明け渡す代わりに自分が召し抱えることにしたようだ。


 諏訪家としては武田も気に入らないんだろうけど。かといって甲斐に戦を仕掛ける力もない。諏訪神社は早々にこちらに降りたいと交渉がすでに始まっているし。


 諏訪領と代表領主不在になった高遠領が小競り合い程度の戦を開始したようで、とばっちりで旧武田領が不安定なんだよね。


「一馬、奥方らを甲斐に行かせることはならぬぞ。そなたの奥方が甲斐で病となると騒動になる」


「はい。そうですね」


 信秀さんは甲斐を領有する負担よりもウチの動きを気にしている。新領地、尾張にいる妻たちが見物を兼ねて視察に行くことが多いんだよね。ただ、それで病となると織田としても武田としても困るのは考えなくても分かる。


 武田が毒を盛ったなどと噂になると織田としても許せなくなる。真実でなくとも。


 あと風土病、ケティたちとも相談したんだけど、結局は調査名目に人を派遣して聞き取りや現地調査をすることと、患者の尾張への移送などが最初の対策となるだろう。


 患者は尾張で診察して原因を究明することを考えているんだ。


 原因、分かっているんだけどね。日本住血吸虫症。元の世界でそう言われていた病だ。これはすでにオーバーテクノロジーの調査で確認もしている。中間宿主となるミヤイリガイを介して人に伝わる。寄生虫だ。


 そもそもこの手の病気の根絶は歴史を見ても珍しいことで、史実では平成の時代に入り、ようやく終息宣言が出されたものだ。


 はっきり言えば、現時点でこれの根絶は不可能だ。オーバーテクノロジーを駆使すると可能ではある。ただ、それでは本当の意味での解決にならない。


 病気や寄生虫はいくらでもある。風土病だって。それらをすべてオーバーテクノロジーで密かに解決していくのかということになる。


 まあ、病が科学的な視点で考えられていない時代だし。突然風土病が消えても原因不明のままで終わるだろう。下手をすると『仏の弾正忠様のご領地になってご威光が届いた』なんて事を言い出す者も出るかも知れない。ただ、それでは医学が発達しないし、本当の意味で人々が自立して歩んでいけることにはならない。


 甲斐の風土病は史実の流れを参考に、人の力で解決に導くことにした。


 この時代だと為政者の命令で移住もさせることが出来る。風土病が酷い地域は移住を前提に考えて、史実で行なった作物転換や水路のコンクリート化などを気長にしていくしかない。


 罹患者の選別は心苦しいが、それさえ出来れば、幸いなことに移住は問題ない。開発の余地がある土地はまだまだ多い。尾張にしたって賦役での人手が増えるならやるべき工事はいくらでもあるんだ。


 どのみち甲斐の米の生産高なんてたかが知れている。はっきり言えば、作物転換をして果樹園でも作ったほうが実入りはいいだろう。


 史実との違いはすでに海外領があることだ。無理に国内の山奥まで開発するよりは人材を海外に出して領有化を進めたいとも思う。


 まあ、甲斐はその前に晴信たちを食わせることと、離反した穴山や小山田などの国人衆をどうするかが先だけど。


 時には家臣。時には同盟者。そういう立場の穴山と小山田。はっきりいえば、晴信も持て余したんだろう。結局こちらに降るとは思うけど、織田の直臣にする価値があるか微妙なんだよね。


 その辺りは信秀さんが考えることだし、オレがどうこう口を挟む必要もないけどさ。


 しかし、元の世界の戦国物だと織田の最大の敵として書かれることも多い、甲斐武田。こんな面目もない臣従であっさりと降るとはね。


 実際、甲斐の国力などを見ると創作物での扱いが過大だったのが分かる。晴信は確かに偉人と言える功績を残しているが、一方で信濃辺りでは元の世界のオレが生きた時代でも嫌われていた。


 申し訳ないけど、今の織田家だと経済規模が違いすぎて敵にすらなれないんだよね。武田は。


 世の中の空気も変わったと思う。勝てばいい。抜け駆けは戦場の常なんて言うのは織田では通用しない。


 奪うことなく国を豊かにして見せた影響は大きいと言えるだろう。


 武田晴信は織田の敵として生きるのではなく、従って生きる。それがこの世界の彼の決断だ。


 正直、史実よりはいいと思うけどね。彼の行動は結局甲斐武田家の滅亡に繋がった。この時代では家の存続をさせるのがなにより大切なんだ。


 そういう意味では、彼は史実を超えたのかもしれない。




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