第1406話・上が動けば下も動く

Side:久遠一馬


 春だ。尾張では田畑で農作業をする領民の姿を見かける。


 うるち米に関しては、オレたちが持ち込んだ品種である南蛮米が主流になっている。味も収量もよく病害虫にも強い。F1種での栽培はすでに作付面積の関係から出来るはずもなく変えているものの、織田としては流出も大きな影響はないと言えるだろう。


 そもそも現状では領外への米の販売は、ここ数年は人口増加と貧しい地域の臣従が続いている関係で基本的に認めておらず、北畠や六角に多少売っている程度だ。あとは領内で米を回しているのであまり影響もない。


 無論、少数の不届きな商人や寺社は南蛮米が違うと気付き、横流しや密売をしても、厳罰に処されている。


 ただ、F1種時代に多少横流しされた米で失敗しているところもあって、正直あまり注目は集めていない。それに南蛮米は優秀だけど、適正栽培してこそだ。ウチが指導した栽培方法も一緒に導入しないと、未熟粒や病害粒だらけで泣きを見るだろう。米作りを舐めちゃいけない。


 芋類に関しては未だに領外への流出を阻止していて、主に知多半島の人たちの努力と徹底した管理に驚いているくらいだ。


「そうですか。今川も動きますか」


 今川から援軍要請があったとの知らせで清洲城に来ると、微妙な空気が流れている。はっきり言うと家中の認識は未だに敵として見ている人が多い。救いは遠江と駿河は海沿いなので信濃よりはマシということか。


 なんで今川なんぞの後詰めに行かなければならないんだという愚痴が、家中では囁かれている。


「従えられなかったところは、臣従した時の俸禄を減らせばいいと思いますよ。そもそも遠江を守護様に返還するなら、遠江の分の俸禄は辞退するべきでしょうし」


 少し考えてみるが、正直なところ絶対に二ヵ国の守護として遇する必要もあまり感じないんだよね。自分たちで駿河と遠江をまとめると言ったので任せただけで。


「辛辣だな。そなたにとって今川は、あまり馴染みがない者であるからか」


 信秀さんに少し苦笑いを浮かべられた。


 別に好きでも嫌いでもない。ただ、世話になってもいない人を、名門というだけで遇するほどでもない。駿河一国プラスアルファでいいと思うところはある。


 義輝さんからもなにも言われていないし。あとは義統さんと信秀さんで因縁の始末と家柄と地位の調整をすることになるしね。そこに口を挟む気はない。


 そもそも家禄以外の働きでも禄を得るのが織田なんだ。オレからすると、お金が欲しければ働いてくださいとしか思えない。


 氏真さんの人となりと様子を見ると、下手すると家禄よりも自分で働いたほうが実入りはいい可能性だってある。


 家禄、いわゆる家臣、国人、土豪という領地・所領で食っていた者と一族郎党を食わせていくための費用だしね。今川にしても二か国になると抱える人も増えるので、自由に使えるお金が増えるとかはない。


 まあ、あそこは公家衆も抱えているし、今の暮らしの水準をいきなり下げるのは良くないけど。収入面では現状維持が基本なんだよね。支出面は知らない。自己責任だ。


「正直、私は小笠原殿のほうがお世話になっているので。今川には貸しはあっても借りはありません」


 先日、小笠原長時さんが尾張に来た。わざわざウルザたちの文を持ってきてくれたことには驚いた。


 女性ということで随分と気を使わせてしまった一面もあるし、信濃望月家の件では諏訪を筆頭にした周囲への対応とかお世話にもなった。


 小笠原さん、礼法とか小笠原流の指南をすることになっているんだけど、慣れない尾張だと大変だろうからね。日程の調整とかはきちんと余裕をもってするように指示を出してある。


「そのことだがな。武田と小笠原と今川。この三家で婚姻を結ばせてはと守護様と話しておる」


 ああ、やっぱりそういう方向に行くか。あそこの因縁、無視出来ないレベルなんだよね。ウチでも話し合ったけど、ここで手を打たないとだらだらと子々孫々まで因縁が残る。


「よろしいのではないかと。あまり顔を合わせぬようにと気を使うのも大変ですし」


 同行しているエルとセレスと顔を見合わせて、苦笑いを浮かべてしまったかもしれない。


 武田さんたちと小笠原さん。ここの所、なるべく会わせないようにと織田家中で動いている。誰から言い出したのか知らないが、忙しいのに因縁で騒ぎなど起こされたくないのが本音だろう。


 オレにも相談されたけど、様子を見つつあまり会わせないほうがいいのではないかと言った。余計なことを考える暇がないくらい忙しく働いて、禄が増えるとまた違うだろうけど。双方ともに新天地で右も左も分からない状態で、因縁の相手と鉢合わせなんて精神的にも良くない。


 しかし義統さんと信秀さん、なんだかんだと優しいよね。因縁の相手の今川なんて冷遇したとしても誰も非難なんてしないのに。


 まあ、信秀さんは血縁外交があまり好きじゃないオレの反応を気にして、事前に教えてくれたんだろう。ウチはそういうのやらないけど、当人同士がそういう習慣で必要ならご自由にやってくださいというところだ。


「それにしても京極がおらねば、如何にと思うと空恐ろしいな。正直、あそこまで使える男だとは思わなんだわ」


「そうですね。京極殿は公方様の下で働いていたお方。今の京の都と畿内をよく知ることが強みですね」


 今川の話が終わると御幸の支度の話になる。中心的に動いているのは京極さんと姉小路さんなんだよねぇ。特に京極さんは苦しい立場だったとはいえ、足利将軍の下で働いた経験が本当に凄い。


 ただ、あまりに急激に俸禄が増えたことに驚き、頂いていいのかと困惑していたという話が家中で密かに囁やかれている。俸禄が増えすぎて疎まれないか心配したんだそうだ。


 まあ、役職と職務の俸禄は京極さんが引退すれば、それが京極家にそのまま残るとは限らないけど。京極家の家禄も当初より増えているんだよね。それだけ功績が大きいから。


 ちなみに京極さんは家臣とかあまりいないから俸禄が多いわりに支出が少ない。跡取り養子の出身家の三木家も元領地に合わせた俸禄があるし。京極家とは別財布だ。


「そういえば、管領殿の下にいる方々、いろいろ動いているようですね」


「和睦を考えておるらしいな。上様にその気はないようだが」


 京極さんで思い出したけど、細川晴元のところにいる幕臣、血縁や誼を頼って義輝さんと晴元の和睦の可能性を探り、あわよくば自分が義輝さんのところに戻りたいと動いている人が何人かいる。


 譲位のこのタイミングで和睦しないと、次いつになるか分からないからだろうね。


 京極さんのところにまで文が届いたと困っていたからなぁ。義輝さんの御意向はどうなのか内々に教えてほしいと頼まれたので、今のところあまりその気はないようだと教えておいたけど。


 ただ、晴元派の幕臣でも、こっちに来たら使ってもいいとは言ってある。これは義輝さんにも確認済みだ。


 すでに若狭から都に戻って三好の下で働いている幕臣もいるからね。こっちに来る可能性もある。京極さんを頼ってきたなら拒絶するほどでもない。


 細川と斯波の関係。いいとは言えないけど、表立って敵対もしていない。昔からこんな感じだったらしいしね。


 肝心の晴元はお手紙を書く以外は動きがない。


 御幸も血縁がある三条さんが教えたはずなんだけどな。わざわざこちらに根回しがあったくらいだ。『管領殿にも伝えたほうが良いと思うが、いかが思うか』とね。


 義統さんは自分が口を挟むべきことじゃないと返信をしたらしい。ただ、斯波家として晴元を招くことはないとも言ったようだけど。誰かが連れてくることまで拒否はしていない。ただ当確の貧乏くじを引く人が京の都にいるだろうか?


 実際、これを機会に義輝さんと晴元の和睦をさせて、争いを減らしたい人はそれなりにいるみたいなんだよね。でも、どこまでも『誰か、やってくれないかな?』なんだよね。


 そして、誰よりも当人たちにその気がないというのがまた何とも言えない問題だけど。



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