第1356話・その頃……

Side:若狭武田家家臣


「管領殿はようやく落ち着かれたか」


 他者を信じず見下すものの、あまり声を荒らげる御方ではない。そんな管領殿が、先ごろの知らせには怒りを露わとしておられたと聞く。


 『公方様は健在なり。次の帝となる方仁親王の供として尾張への行啓の警護を務められた』という知らせには、さすがに驚き自ら旧知の公家に書状を出して真偽を確かめたというほど。


 管領殿は公方様が身罷られたら兵を挙げて上洛するつもりだったようだからな。観音寺城から動かぬことで、実は身罷られておられるのではとの噂まで聞かれた。我らもそう思うておったし、管領殿も噂を喜んでおられた。


 事実、行啓後には公方様は再び静養をするために観音寺城に戻られたようだが、こちらが思うたよりは病が深刻ではないのだろう。管領殿と共に若狭に来た公方様の側近衆の中には、そろそろ和睦をと囁く者もおるようで、管領殿も此度のことでそれを考えるのやもしれぬな。


「行啓と譲位か。院の仙洞御所でさえも三好が差配して普請が始まっておる。都では管領殿が若狭におるほうが戦がなくて良いとさえ噂されておるそうだ」


 譲位と行啓には莫大な銭がいる。出したのは尾張の斯波か。公方様と六角が上手く乗せたのか、それとも公家衆が上手く銭を吐き出させたのか。詳細は分からぬものの、管領殿を抜きにして世が動いてしまわれた。


「譲位があるのだ。慶事ということで和睦してしまわれたほうがよいのだが……」


「公方様の管領嫌いは昔から酷かったらしい。罷免されぬだけでも丸くなられたと側近衆が言うておったわ」


 六角は先代に続き管領代にでもなる気か? 斯波武衛を管領として東を押さえれば三好ならばいかようにでもなろう。


 我らにとっては少し厄介なことでもある。管領殿と一蓮托生と思われたのか、譲位ほどのことに事前に知らせが届かなかったのは驚きであった。


 行啓に際しても、越前の朝倉・近江の六角・伊勢の北畠、それと東の今川や武田や小笠原や北条と各地の者が集まったようだ。


 今までならば我らにも一声あって当然だが、此度は一切声が掛からなんだ。これも旧知の公家の話では公方様と近衛公や二条公らが一気に決めたようで、公家衆でさえも驚いておったとか。


「困ったものだ。公方様と管領殿の争い。都でやってくれればいいものを。何故、若狭を巻き込む」


 ため息が出る。腰抜け管領殿は戦にも出ずに各地に文を出すばかり。誰がかような管領殿に従うか。細川一族もそろそろ動かれてはと思うておろう。


 丹波すら管領殿は不利となりつつある。公方様が丹波守護に細川氏綱を任じたことが響いておるのだ。


 とはいえ我らが管領殿に余計な進言をしては面倒になる。厄介な御仁だ。




Side:久遠一馬


 今川と武田の最後の戦に向けて両軍が出陣をしたようだ。今川の方針は相変わらず甲斐と信濃の二正面作戦で、動員数も例年よりは多いもののそこまで多くなったわけではないようだ。今川にも余裕がないということと、戦後を見越したんだろうけど。


 この手の因縁ある争いに対してくだらないというのは簡単だけど、双方には譲れないものがあるんだよね。願わくは後始末もきちんと争った人でしてほしいと思う。


 家柄や血筋で臣従出来たからって、隠居したら終わりなんて逃げ得はさせない。義元は隠居し寺に入るつもりのようだけど、きっちりと働いてもらいたい。


 まあ、義統さんと信秀さん次第ではあるけどね。


「木曽殿も臣従か。時勢を読まれたんだろうね」


 それと木曽家が臣従をしたいと内々に使者が来た。小笠原さんが最低限の礼儀として木曽家に伝えたんだろう。木曽家は武田に降った小笠原分家と血縁があるものの、武田に与せずそれなりに小笠原さんとの関係も維持していたからなぁ。


 もともと木曽さんはいつ臣従をしてもいいような態度と様子でもあった。信濃の情勢次第では臣従をしてこちらに属するつもりだったんだろう。


「武田はもういつなにが起きてもおかしゅうありませぬ故に。赤備えの飯富兵部は隠居と言えば聞こえがよろしいが、思い通りに行かぬので投げて、逃げを打ったのでございましょう。穴山は晴信に不満を隠しもしなかったと評判でございます。さらに嫡男の太郎義信は武田の風評に怒り、親子で喧嘩をしたと噂もあり……」


 元信濃望月家当主である望月信雅さんが武田の最近の様子を報告してくれた。


 武田の評定がすぐに尾張に筒抜けか。信濃望月家には今も少なくない援助をしているので入る情報だけど、これ今川とか信濃国人にも同じく流れているだろう。


「武田殿はよくやっていると思うけどね」


「さようでございまするな。されど今川相手に後手に回るばかりで不満が多いのが事実なれば」


 このままでも数年もあれば当主交代をするなり謀叛でも起きそうだけど。今川がそこまで保たない。尾張との経済格差を漠然とだが理解している今川はやはり優秀だ。


 小笠原さんの動きの前に動いていなかったら、こちらもどうなっていたか分からない。


「ご苦労様。働いてくれた人には褒美を惜しんだら駄目だよ。足りなかったらきちんと報告するように」


「はっ、心得ております」


 この人も真面目に働いてくれている。価値観の違いとか戸惑うことも多いようだが、命じたことは守ってくれる。封建体制の楽なところかもしれない。


 信濃望月家は武田を裏切るのが難しい位置に領地がある。とはいえ武田と心中する気もないようで右往左往しているようだ。出ていった信雅さんたちを羨んで残ったことを後悔している人もいるんだとか。


 さすがに武田もウチと血縁がある望月家の人質に手を出すことはないだろうが、かといって戦の前に抜けたいとも言えない状況だ。


 そういや学校で教師をしている真田さんも苦労していると、アーシャの代理で最近まで学校を管理していたギーゼラが言っていたなぁ。あそこも領地の位置が今川に味方するのが難しい場所だ。領地を捨てられたら楽なんだろうが、それも尾張にいると簡単に決められることじゃないからな。


「エル、最後の戦どうなるかの見通しある?」


 信雅さんが下がると、資清さん望月さんとエルが残った。気になるのは戦の行方だ。


「今川が安易に退かぬとすると、被害が増えるでしょうが……。あとは小笠原殿の動きがどこまで広まるかにもよりますね。武田家、この戦が終わると瓦解することもあり得ます。戦が終わると攻める相手もいなくなりますので」


 小笠原さんは臣従することをすでに公にしている。今川も内密だが、臣従をするつもりだからなぁ。


 遠江・駿河・信濃が一気にこちらの勢力圏になる。うち遠江と駿河は反発があっても今川がある程度でもまとめるだろう。小笠原と木曽以外の信濃は放置することが決まっている。こちらは飛騨と同じ。どうぞご勝手にというところ。


 違いは守護に国をまとめる力があるかないかだけだ。


 それにしても、元の世界の歴史創作物では徳川家康に勝ったことから、戦国最強なんて呼ばれ方もした甲斐武田。ただ、悲しいかな。飢えて退けないという境遇と個々の実力だけでは、国力や経済格差には勝てなかったか。


 信義や体裁、これらを軽視したツケは彼らが思うより遥かに大きかった。オレたちの影響もあって、国同士の外交の場で信義がより重要視されることになるとは思わなかったんだろうね。


 さて、どうなることやら。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る