第1326話・第七回武芸大会

Side:久遠一馬


 快晴の青空だ。


 武芸大会初日、親王殿下が一番驚かれたのは人の多さだった。会場を囲む領民の熱気と歓声に目を見開いていたほど。


 この時代だと戦とかで人混みは見るんだけどね。立場上初めてご覧になられたんだろう。途中で露店と屋台に興味を示しておられたが、残念ながら立ち寄るのは難しい。


 親王殿下を一目見たいという人も結構いて、清洲城から運動公園の沿道には人であふれていたこともある。もっとも騒動が起きないだけでも凄いんだけどね。


 刃傷沙汰の禁止。これ今回は特に徹底するよう、かわら版や紙芝居で周知徹底した。あとは応援方法も、ヤジや相手を誹謗中傷するようなものは止めるように命じてある。


 お行儀よくと言っても伝わらない可能性あるので、具体例で禁じているんだ。


「そういえば、そなたが初めからおるのは珍しいの」


 義統さんがオレを見て少し物珍しげな顔をした。


 今年はおれも初めからVIP観覧席にいるんだ。去年までは運営本陣と掛け持ちで双方に顔を出していたんだけどね。これも外交のひとつだ。今年は運営本陣を織田家の皆さんにお任せだ。ウチからは毎年運営に携わっているみんなも加わっているし問題はないだろう。


「今年は特別ですので」


 観覧席も楽しそうだね。なるべく楽にして見られるようにと、ござを敷いてのんびりと見るようにしている。いや、この時代だと床几しょうぎという背もたれのない椅子で座ることはあるけど、あれも疲れるしね。


「内匠助のさいか?」


 親王殿下に直接声を掛けられることに慣れたなぁ。


 同じ観覧席に女衆がいるけど、今年はエルとジュリアと千代女さんが来ているんだ。さすがに男衆と女衆で分かれて座ることにしてはいるが。


 初年度は別だったけど、いつの間にか男女が一緒に見物していたんだよね。花見とかも一緒だし、土田御前とかエルたちは評定衆だから一緒に宴に出ることもあって、尾張だと男女一緒の宴も珍しくなくなったんだ。


 ただ、招待客の皆さんは奥さん来てないからね。今年は外交的な配慮もあって隣同士だけど分けたんだ。


「エルとジュリアと千代女でございます」


「……大智と今巴か?」


「さようでございます」


 さすがにエルたちは答えられないので、オレが返事をする。ただ、エルたちを紹介すると親王殿下が驚かれ公家衆がざわついた。有名人だなぁ。ふたりとも。


「下魚を上魚とした大智と、東国一の女武者という今巴……」


「噂ではそこの塚原殿が負けたとか……」


 噂好きの公家衆がいろいろつぶやいている。容姿は髪の色はともかく見た目は女らしいからね。少し意外そうな顔をしている人もいる。


「それに相違ございませぬ」


 ああ、塚原さん。そんなにあっさり認めて煽らなくても。本当に強いのかと言いたげな人たちが驚いているじゃないか。


「これはいい。某も教えを請いたいものだ」


 義輝さん、そんなあからさまに言わないでも。幕臣の数人が困った顔をしているよ。ただ、これオレとジュリアのために言ったんだよね。


 ジュリアを愚弄するのは許さないと暗に示したんだ。義輝さんがこう言ったという話は人づてに広がるだろう。そうすることで守ろうとしたんだと思う。


「はて、今一人いまひとり、千代女とやらは聞かぬな」


「望月家から迎え入れた妻でございます」


「おお、あの滝川に次ぐと聞き及ぶ望月か!」


 公家衆のひとりが残された千代女さんに誰だと言いたげに呟いたところで紹介したら、望月家を知っているようで驚かれた。しかし滝川に次ぐ望月というのが噂なのか。


「尾張では大智ほどではないにしても智謀があると評判の女よ。小智と呼ぶ者もおるとか」


 小智とは千代女さんの通称だ。何故か小智の方とたまに呼ばれる。長いことエルに付いて侍女として学んでいたこともあって、文官仕事が得意なんだよね。あと人の使い方も地味に上手い。


 自分で仕事を抱えるのではなく、みんなをうまく使うんだ。


 それはいいけど、説明してくれたのが近衛さんであることに驚く。ほんと、よく尾張の情報を集めているよね。


 今回の行啓も近衛さんの策だ。ある意味、一番油断ならない人なんだよなぁ。




Side:武田信虎


 見渡す限りの民に身震いがする。肥沃な地も南蛮船もこの民を前にすると霞んで見えるのはわしだけであろうか?


 民が大人しく従う国ほど怖い国はない。


 今川が三河から逃げ出すわけか。寿桂尼殿が和睦に奔走するわけが分かるわ。今川殿はまことにかような国とまともに戦をする気か?


 これは進退をよう考えておかぬと、まことに武田家の行く末は危うくなるぞ。己らの私欲のためにわしを追い出したような輩を寄越すとは、倅はいずこまで気づいておるのやら。


「ほう、面白き趣向じゃの」


 まあ、よいか。案じたところでわしの言うことなど聞かぬであろう。和睦を望むならば手助けくらいはしてやってもよいが。今更、甲斐の山になど帰りとうない。


 目の前には重箱の料理もあるが、すぐ先の見えるところで魚や肉を焼いて振る舞うようだ。戦に出る者には珍しいことではないが、位の高い公家や親王様は珍しいようで見入っておるわ。


 冷えた飯を食うような身分の者らは大変よの。


「ほう、これは美味い」


 肉厚の椎茸を焼いたものを熱々のうちに頬張ると、汁でも入っておるかのように芳潤ほうじゅんじゃの。焼いた椎茸がかように美味いとは思わなんだ。


 ふと気になり、塩だけを舐めてみるが、そもそもこれの味が違うておるではないか。駿河も公家がおるくらいだ。甲斐と比べると豊かな国じゃが、こちらはさらに違うか。


 先日から食うたことのない料理が幾つもあった。尾張と駿河はちかしくはないが、共に海を持つというのに。


「ああ、この魚も美味いの」


 昆布で絞めた魚が白飯と一緒にある。白飯には酢で味をつけてあり、良い味をしておるわ。品書きには寿司と書いてあるが、わしの知る寿司ではないな。


 誰ぞ知らぬ民が走るのを見ながら食うというのも面白き趣向よ。かような場があれば才ある者が見つかることもあろう。よう考えておる祭りよ。


 しかし、孫の太郎はいささか世を知らぬの。作法を守り、己と武田家の面目を保つために毅然としておるだけだ。実のところ、己の矜持きょうじを見せるは戦場でよいのだ。尾張のような豊かな国の武士や公家相手に、武張ぶばったさまを見せたところで得るものなど多くないというのに。


 かく言うわしも駿河に出されてから知ったことじゃがの。甲斐の山国におれば見えぬことがあまりに多い。


 甲斐は敗れれば飢えるという恐れを抱く者が多い故に、戦場でも踏ん張る者が多い。されど采を振る武士があまりに愚かで今に至るのだ。


 世を見ねば、武田家に先などないと思うのだがな。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る