第1245話・京の都に別れを

Side:久遠一馬


 都での最後の夜だ。お世話になった人や親交がある人たちを招いて宴をしている。


 誼が深まった公家衆の皆さんたちとは、この短い期間でいろいろと話をした。荒れる都を憂いている人もいれば、いつまでも家中で争う細川への不満、病が回復しない義輝さんへの懸念なども話になった。


「ほう、日ノ本の外はかようになっておるのか」


 今日はそれなりに若い公家さんもいる。晴嗣さんもそうだし、山科言継さんの嫡男の言経ときつねさんなどもいる。言経さんは以前は父親である言継さんが持っていた従五位上内蔵頭の官位を継いでいる。


 まあ、年齢としてはまだ若いようだけどね。見た目でも義信君より若いのが分かる。まだ子供に見えるな。


 その言経さんに頼まれて少し海の向こうのことを話したら、若い公家さんたちが興味深そうに聞いていた。教育を受けているというのが分かる反応だ。あいにくと手元には地図がないので見せられないが、見せたら喜びそうではある。


 地球儀、朝廷に献上してあるんだけど、ひとつしか献上していないからな。若い公家さんたちは見たことがないようだ。


 他には尾張は戦もなく羨むような人もいるが、上手く躱していく。お世辞でも招くようなことを口にすると本当に来そうだからな。


 都の料理も少し変わった。鰻が名物となりつつあり、白焼きはそれなりに普及しているようだ。それとたまり醤油のようなものが割と見かけられるようになったみたい。中にはかば焼きのタレを真似て、たまり醤油でタレを作ろうとしている人もいるようだ。


 畿内にも尾張産の醤油が尾張醤油として少量だが流れている。その影響もあり、たまり醤油の製造が増えて流れているようなんだよね。当然のことだけど、いいモノは真似て模倣しようとする。


 仕方のないことだし、尾張産として売らないので文句は言えないけど。




「内匠助、先日は無理を言うて済まなんだの」


「いえ、私は構いませんよ。生涯の誉れと致します」


 翌朝、出発となるが、早朝に帰ったはずの稙家さんがわざわざ見送りに来てくれた。


「祈りだけでは世は治まらぬか。分かっておっても吾らでは言えぬことであった」


 祈りか。正直、オレは祈りで世が治まるとは思ってない。ただし、科学的に考えると分析調査しないと効果がないと断言も出来ないことかな。


 それに朝廷と帝の存在と権威は、争いを抑える一因にはなっていると思う。そういう意味では無駄とは言えないし、長い歴史を持つ皇室は日ノ本の最大の財産とも言えるだろう。


「もう少し尾張が近ければの」


「ええ、それは私も思います」


 都と尾張。間に近江があり、元の世界の感覚とは比べものにならないほど遠い。稙家さんはそれが歯がゆいのだろう。そんな顔をしている。


「出来ることならば、主上にご覧いただきたいものよの。そなたの国や尾張をな。あり得ぬことじゃが……」


 稙家さんの言葉に返す言葉がなかった。オレもあまり詳しくはないけど、この時代の帝は穢れとされるモノに触れられないんだよね。儀式や祈りに影響するから。


 御所から出られない理由のひとつだろう。この時代では外には穢れとされるものが多い。


 治安の懸念もあるしね。帝が尾張にくるのは無理だろう。かといって都を変えるのも今は無理だ。八方塞がりで手がない。


 稙家さんの旅の無事を祈るという言葉で、オレたちは都を後にした。




Side:斯波義信


 都を離れ、石山本願寺へと向かう。


 日ノ本の頂におる主上とその都。かの地がかように荒れておるとはの。一馬は大内裏と言うておったが、かつて政をした地が荒野となり、道端に亡骸かと思うたほど荒んだ姿の民がおった。


 あれでは争いが起こるのも致し方なきことであろう。


 『生まれ育った村を出れば、すべてが敵となる』。以前そう教えを受けたが、領国を出るといずこもそれが当然と言える地であったな。


 家柄や権威に力で世を治めたとて、かような世が変わらねばいずれ荒れるということか。


「若武衛様、いかがされましたか?」


 船に乗り川を下る。遠く都がある空を見ておると一馬が声をかけてきた。


「いや、少し尾張が恋しくなっての」


「そうですね。船に乗ればすぐですよ」


 まことに日ノ本の統一など出来るのであろうか? 父上や内匠頭殿や尾張介のように、誰もが変わる世を望み、新しい世を願うのであろうか?


 一馬ならばやれるかもしれぬ。されど一馬がおらなくなった後には元に戻るのではあるまいか?


 分からぬことばかりだ。


 『よき臣下をもったこと喜ばしく思う』。参内した時に主上にいただいたお言葉だ。多くを語られなかったものの、それが一馬のことを言うておられるのではと思えた。


 主上でさえも、一馬に望みを託そうとされるのであろうか?


 わしもまだまだ学び精進せねばならぬな。




Side:織田信長


「美味しいね」


「うふふ、そうでしょ?」


 仲睦まじげに握り飯を食うかずとメルティらを見て安堵する。主上に望まれるなどあり得ぬことがあったが、一馬らはやはりなにも変わらぬ。


 津島に来た頃も、なにをするでもなくのんびりと暮らして、仲睦まじげに飯を食っておったことを思い出す。


 此度の上洛で思い知らされた。オレはまだまだ未熟者でしかないと。姉小路や京極よりもオレは働けなかった。


 かずは別格なのだと誰もが口にするが、それではいかんのだ。


 刀や槍を持たずとも常に戦の心得がいる。そう思うておった。されど、かずは違う。勝敗ではないのだ。いかなる相手とも分かり合うべく考える。そこをなにより重んじるのだ。


 分からぬのは愚か者であると、身分が下の者は察しろというのが当然であるというのに。


 ケティにも幾度も言われたな。口に出さねば伝わらぬと。察しろというのは誤解を生むのだと。分かっておるが、公家を相手に一歩も退かず見事こなしたかずには勝てん。


 いかにすればよいのだ? 役目も仕事も、もっといえば用兵も勝てるとは思えぬ。


 人を治め、土地を治め、国を治める。かずはその先になにを見ておるのであろうな。


 今度聞いてみるか。




◆◆

 斯波義信一行は十日あまりの滞在を経て都を後にした。


 旅の様子は『若武衛様上洛記』として太田牛一により残されているが、この上洛では今までの旅と違い、久遠一馬が前面に出て公家衆と交流を深めていたことが分かっている。


 『久遠盟約』や『蟹江の会談』を経て、一馬自身が本格的に日ノ本の統一に向けて動き出したのだと語る歴史学者も多い。


 一方で京極高吉に献上品の輸送を任せるなど、一度失脚した者も積極的に重用していることもあり、斯波と織田は朝廷と公家対策に本腰を入れ始めた時期であるとも思われる。


 なお、足利義輝とふたりだけで接見して忠義を誓ったとされる三好長慶が、都を訪れて斯波義信と織田信長と久遠一馬と会っている。


 この頃長慶は義輝の命で内裏の修繕を差配していたが、内裏の修繕自体、もとは図書寮を復興させる前提で織田が資金の大半を出したものであり、三好と織田の関係も悪くなかったと思われる。


 詳しい会談の内容は残されていないが、織田、六角、北畠の三国同盟と三好との関係の確認をした模様で、斯波を含めたそれらの勢力が三好の敵にならないことを一馬が明言したと三好家の記録にはある。


 


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