第1091話・北近江の終わり

Side:北近江の国人の家臣


「何故じゃ……。何故、織田は来ぬのじゃ」


 明日で十日か。六角の猛攻により城内には負傷者で溢れておる。最早いつ城門を落とされて攻め入られてもおかしゅうないほど。


 当初こそ織田が来れば我らの勝ちだと皆を鼓舞していた殿も、日を追うごとに焦りと怒りを見せるようになり、ここ数日は怯えるようになってしまわれた。


 この城は美濃からも近い。織田の兵が来れば真っ先に助けが来ると安易に考えておられたのだろう。


「降伏をお勧めいたします。我が殿の城を含めて他はほぼ落ちております。織田は来ませぬ。また来ても間に合いませぬ」


 この日も朝から六角の猛攻が始まるかと待っておると、同じく挙兵した近隣の国人の家臣が使者として現れた。


「なにを言う! あと少しだ! 必ずや!!」


「来ませぬ。織田は六角と組む道を選んだようでございます」


 使者殿も寝ておらぬのであろう。目の下にクマが出来ておる。殿は謀など信じぬと取り乱すように叫ぶが、使者殿の様子から真実だとわかってしまう。


「条件は?」


「城内すべての者の命は助命するとのこと。されど城と領地は没収でございます」


 主立った者が皆で顔を見合わせた。


 頃合いであろうな。京極様が若狭より来られた時には期待したが、いずこにおるのか援軍すら寄越さぬ。殿ひとりに罪を背負わせて我らが助かるのは申し訳が立たぬが……。


「我が殿の助命もすると受け取ってよいか?」


「はっ、籠城中に謀叛を起こされて討たれた者はおりますが、六角家の御屋形様は命までは取らぬと」


 城と所領は没収か。代々守り生きてきた土地なのだがな。


 泣いておる者もおる。されどここで拒絶したところで所領を安堵されることはあるまい。織田に負け、六角にも負けた愚か者。それが我らなのだ。


「殿、降伏を致しましょう」


 先代から仕える家老がそう口にすると誰もが口を閉ざした。


「されど……」


「我ら家臣一同、いずこなりともお供いたします」


 殿は今にも消えそうな声で降伏すると申された。


 我らの戦は終わった。




Side:六角義賢


「織田に始まり織田に終わった戦だな」


 半月か。あっけなかった。織田に期待して挙兵したが、織田が来ぬと知るとあっけないほどあっさりと士気は落ち、逃げだす者や城主の首を以って降伏する者が次々と現れた。


 武功を求める家臣らの士気の高さも相まって、文句なしの勝ちだと言っても良かろう。


 せめて浅井の隠居が動けば違ったのであろうがな。望まぬなら来ずともよいと言うと、隠居は観音寺城下に残った。武功を狙うこともなく、此度も謀叛に加担する気配すらなかった。家の存続を第一にと考えてのことであろう。


 日和見しておる者らは、わしが北近江に入ると慌てて参陣してきたが、すべて認めなかった。織田が来れば、織田に味方する気だったのであろうと言うと顔を青くしておったな。


 謀叛人と同罪だと言うとさすがに弁明しておったが、納得がいかぬなら戻りて戦の支度をしろと言うと大人しくなった。


 織田に倣い、領地を召し上げて俸禄にしてやるわ。所領を当然だと思うておる者らに示さねばならん。六角でも所領を与えぬことがあるのだとな。


 謀叛人どもは一族郎党追放とすると命じた。いずこなりとも出てゆけばよい。せめてもの武士の情けだ。己の城にあるものは持ち出してもよいとしたがな。


「されど、随分と荒らしたものだな」


「戦とはそういうものでございます。今の我らが織田の真似をするは難しゅうございます」


 重臣以下、皆は完勝を喜んでおるが、わしは如何とも言えぬところがある。蒲生下野守はわしの言いたいことを分かっておったか。


 辺りを見回ると思うておった以上に田んぼが荒らされておる。もうすぐ収穫であったのだがな。無論、我が六角の兵たちも刈田をした。それを禁じることは出来なかった。


 そもそも蒲生家とて客将であって、厳密に言えば家臣ではない。下野守はそのような態度をせぬが配慮はいる。


 常道で言えば、この後北近江三郡の者らが飢えようがわしには関わりのないことだ。されどここは直轄地として治めねばならん。如何すればよいのやら。




Side:浅井久政


「なにも起きませんでしたな」


 北近江三郡の謀叛が鎮圧されたと知らせが届いて、観音寺城では戦勝の祝いだと騒いでおる。


 家臣のひとりが思わずもらした一言が、わしの置かれておる立場なのであろうな。六角の勝ちを素直に喜べぬことが家臣らの本音。


 一時は北近江三郡をまとめる立場にまでなったが、今は六角の情けで生かされておる愚かな隠居だからな。


「京極も終わりだな」


 公方様が仲裁をなさるかとも思うたが、まったく動かれぬとは。管領嫌いという噂は相当なものらしいな。管領に従うた京極を見捨てるとは。


 六角が軟禁しておるとの噂もあるが、城の様子ではそのようなことは一切なく、むしろ六角が病の公方様を気遣っておるくらいだ。


 年始の際には公方様もお体の調子が良かったのか姿を見せられたが、御屋形様と楽しげに話しておられたとの噂だ。


「公方様は斯波と織田がお好きだとか。事実上の同盟でありましょう。当然の結果ですな」


 また幸次郎が出所のわからぬ噂を口にしたな。確かに噂はあるのだ。公方様は斯波武衛様を管領として、織田の兵で都に戻りたいのだとな。


 美濃守護を与えたりと確かに公方様は尾張贔屓なのは間違いあるまい。すでに美濃守護家である土岐家は見捨てられたほど。


「出家でもするか」


 北近江が六角の手を離れることは当分の間はあるまい。浅井独立の夢も此度でまことに潰えた。


 北近江が如何になってゆくのか、死した者たちを供養しながら世俗を離れて見物するのも悪くはあるまい。


 世は変わりつつある。少なくとも東は変わったのだ。仕方ないことよ。




◆◆◆


 北近江三郡、京極の乱。


 天文二十二年七月、北近江三郡守護であった京極家と南近江の守護である六角家との間で起こった戦になる。


 鎌倉時代以来、北近江三郡を治めていた京極家にとっては北近江での最後の戦いである。


 この戦の背景には幕府内の権力争いがあり、将軍足利義藤と管領細川晴元の対立が原因とされる。


 大御所でもあった先代足利義晴の死後、義藤と晴元の関係は悪化の一途を辿っていたようで、義藤は三好家、六角家、斯波家、織田家と誼を深めていて、細川晴元ばかりか細川家そのものを無視するようになっていた。


 時を同じく三好の丹波攻めが行われていた時期であり、北近江三郡の争いも晴元による対三好の謀略であったとされる。


 晴元はこれに尾張美濃を領有していた斯波と織田を巻き込むことで、当時幕府を運営していた三好と六角政権を潰そうと画策したようだが、斯波と織田の両家は相手にせず六角に支援を申し出たと『織田統一記』にある。


 また、浅井久政の失脚によりすでに北近江三郡はまとめる者がおらず、京極高吉が晴元のめいを受けて北近江入りした際にも、僅かな者しか出仕しなかったと記録にはある。


 すでに北近江三郡は義藤により六角義賢が守護に任じられていたことも相まって、日和見をしていた者が多数だった。


 最終的にこの一件は六角家内部の謀叛として扱われ、謀叛を起こした家や日和見をした家が当時としては異例の厳しい処分を受け、六角家の北近江支配が強まる結果となった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る