第995話・武田家の不和

Side:真田幸綱


「織田が三河を制するのは止められぬな」


 信濃や甲斐では飢饉と戦続きで苦しいというのに、ここ尾張は飢えるということがない。


 武田家は今川と潰し合い、やっとのことで所領を守っておるが、織田家は戦をせずとも所領が広がる。まことに同じ日ノ本の国かと問いたくなるほどだ。


「御家にとっては好機ではないのか?」


「そうとも限らん。斯波も織田も今川と同じく武田家を信じておらぬ。双方が潰し合う現状が望ましかろう」


 最早、今川の脅威を尾張では感じることも出来ぬ。同じく甲斐から来ておる者は好機かと期待を持っておるようだが、それは甘いというもの。


 仮に織田が遠江まで攻め取っても、武田家が駿河を攻めることは許すまい。さらに斯波は信濃守護の小笠原家を援助しておる。今川が消えても、武田家が信濃を攻めることを許すかということもあるのだ。


 東国一の卑怯者と囁かれる御屋形様では、最早武田家は如何ともしようがない。


「しかし、何故我らが未だに貧しき暮らしをせねばならぬのだ? 学校で働いた禄は我らのもの。誰に憚ることもあるまいに」


 麦酒という安酒を飲んだひとりの男は、尾張に西保三郎様の側近として来ておるひとりの重臣への不満を口にした。


 尾張者のような贅沢をすることはまかりならんと言うておる御仁だ。甲斐本国が大変な時に、我らが尾張で贅沢をするなどあってはならんというもの。言い分はもっともなれど不満も溜まる。


 あの御仁は面目が立たぬと尾張で働いておらんからな。我らと違い銭がないのもあるが。


「仕方あるまい。あの御仁にも立場がある」


 今年に入って織田は、家中どころか一族からも領地を召し上げて俸禄とした。我らには聞こえてこぬ不満は当然あるのであろうが、面倒なことが減って実入りが増えたと喜んでおる声が多い。


 金色酒や澄み酒を飲み、菓子も食える。そんな武士が多いと聞く。


 甲斐は上国であり、武田家は甲斐源氏の嫡流だと威張る者らは理解しておらぬのであろう。尾張から見ると、甲斐など欲しいとも思わぬ山奥の鄙びた地であることをな。


 気付いておる者もおろうが、認められぬのだ。


 我らの中には麦飯や雑炊を食う日々に嫌気がさしておる者もいる。尾張の民と同じ飯ということに不満を感じるのは当然であろう。


 もっとも武田家としての体裁もある。尾張での付き合いに銭がかかり過ぎて、贅沢をする余裕などないのが実情だがな。宴や茶会などは当然として頂いた贈り物の返礼もある。当然頂いた品より価値のある品を返礼しなければならん。


 本国から送られてくる銭では足りずに我らが働いて得た禄から出しておる。


 おかしな話ではあるがな。武田家の体裁を家臣の我らが働いて補うというのは。まして信濃はすでに武田家が盤石とは言えぬ。わしなど本領すら守っていただけるかわからぬというのに。


 尾張にいては動きたくても動けん。望月源三郎殿など、さっさと領地と領地に拘る一族を捨てて尾張に来てしまいおった。領地を捨てるのは苦渋の決断であろうが、今の尾張を知ると悪い手とは思えぬ。


 しくじったな。真田の家を残すべくそろそろわしも動かねばならんのかもしれぬ。




Side:久遠一馬


「思うたより苦戦しそうだな」


 伊勢の地図を前に信長さんは少し考え込むように腕組みをした。話だけで聞くと北畠が優勢で勝てそうなんだけどね。実際に兵の数と城の位置などを地図で見ながら考えると、そう単純な話じゃない。


 織田だと火力で切り開けるし、籠城も大砲や投石機で崩せる。だけど北畠にはそれがない。


「野戦で一当てしたら籠城かしらね。援軍がいないとはいえ、北畠もそこまで兵に余裕があるわけじゃないわ。さらに田植えがあるもの」


 メルティも一緒に両軍の動きを予測しているが、長期的に北畠優位は揺るがないものの一度の戦で長野を降すのは難しいのではと口にした。


 北畠は経済的に余裕があるものの、人の数はそこまで増えたわけではない。さらに領地の大半は旧来のままの国人や土豪が治める領地だ。長々と対陣していると田植えに影響を及ぼす。


 ただ、長野水軍は考慮していない。そちらは織田水軍で抑えるからね。要請があったら海から兵を運ぶのも北畠との協定の範囲内だ。


 あと、援軍要請があってもいいように準備はしている。北伊勢で賦役をしている兵の一部と織田家家臣からの志願者で十分だろう。武功の機会だとやる気になっている人が多いし。


 ウチも一益さんと太郎左衛門さんが支度をしている。派兵の規模で言えば必要ないんだけどね。外交的にウチも援軍に加わる必要がある。


「戦がなくならないわけですね」


 織田はなるべく戦にかかる時間と手間を減らすように動いている。いくさって生産性がないし、消費が経済的には多少意味があると思うが、まともに国を開発したほうがいいのは考えるまでもないからね。


 北畠の戦を考えていると戦国時代の難しさを痛感する。


「それと、ここ。関家。領地の場所が離れているから単独で動くんでしょうけど、どこまで従うのかしら。さすがに裏切ることはないと思うけど……」


 メルティがもうひとつ懸念を示したのは、やはり関家だった。


 南伊勢の北畠と違って関家は北伊勢側にあるんだよね。劣勢の長野と組むことはないと思うが、長野領を荒らす目的はあっても、長野と戦う気があるのか怪しいところがある。


 この時代の価値観で考えると、それでもいいと考えるところだろうが、長野領もあまり荒らすと後が大変になる。


 具教さん自身は尾張によく来ているし、関ヶ原で浅井を撃退した時には織田の戦のやり方を見ているので理解していると思う。ただし旧態依然とした北畠家でどこまでどう実行するのか、それはオレにもわからないところではある。


 敵地での乱取り、略奪を完全に禁止するのは無理だろう。それが目当てで戦に出るのがこの時代の人たちだし。織田家では食事を用意して褒美として雑兵にも銭を出している。それを北畠家でやるのは無理だ。


 家を継いだ具教さんが武勇を示すことは欠かせないが、選択肢を間違うと数年は長野との小競り合いが続くことになる。


 北畠領内の改革をしたいと意気込んでいるが、それも頓挫する危険性がないわけではない。


 一方の長野。ここは存亡の機なんだよね。北畠が織田に援軍を要請するとほぼ詰む。家を残すにはいかに上手く負けるかが必要になる。


 関家。あそこは北畠に大人しく従うと問題はない。ただいろいろ言い訳をして従っていないんだよね。領地が離れているから、攻められる心配もあまりないと思っているのか。


 オレとしてはなるべく荒れないうちに終わってほしいが。


 どうなるかね。

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