第967話・婚礼の夜

Side:望月信雅


 なんと楽しげな婚礼の儀であろう。見たこともないケイキという菓子で始まった宴は、この世のものとは思えぬ料理と酒に驚かされてばかりであった。


 同じものを信濃望月家で出せるか? 無理だな。手に入るどころか名前すら知らぬ料理と酒だ。


 久遠家の殿と奥方様らに織田の若殿までおられると思いきや、皆楽しげに笑い、喜びを分かち合っておる。


 羨ましいと思う。望月惣領といえど、所詮は武田の都合で武田により与えられた家督に過ぎぬのだ。武田が手を引いて一族の者が認めぬと言われると終わりだ。


 一族の者どころか家臣ですら、今川の調略が入っておるのやもしれぬのだ。いつ寝返るかわからぬ者らに怯える己が情けなくて嫌になる。


 仏の弾正忠か、誰もが願うだろう。東国一の卑怯者よりは仏と呼ばれる者に仕えたいと。


 先日には西保三郎様に挨拶に参って、武田に降伏する際に世話になった真田殿にも会うた。


 このままでは武田は信濃を捨てるやもしれぬ。真田殿の誘いで織田学校を案内してもらった際に密かにそう教えてくれた。それと織田の遠江攻めは、武田と今川の決着がつくまでないだろうともな。


 武田家では織田が今川を攻めるのを期待しておるのであろうが、織田が武田家に利することは、するまいとも言うておったな。味方をするは斯波家と縁がある信濃小笠原家がおる限り難しいのはわかる。


 出来るのならば今のうちに家を分けておいたほうがいい。そう助言もしてくれた。久遠様は情に厚く、頼めば面倒を見てくれるであろうともな。


 領地を捨てても織田家ならば生きてゆける。真田殿も家を分けることを真剣に考えておると言うておった。


「遠江守様、今後とも良しなにお願い致しまする」


「こちらこそよろしくお願い致す。惣領と言うても本来の惣領家ではない。それに信濃の鄙者。これほど見事な婚礼の儀など縁がないくらいじゃ」


 いろいろ考えを巡らせておると、太郎左衛門殿が酒を注ぎにきてくれた。ああ、良しなに頼みたいのはこちらのほうだ。


 今思えば尾張望月家が、望月一族の惣領を狙っておるのではと信濃で疑うておった頃に軽はずみなことをしなくて良かった。信濃の一族の者が裕福に見える使者の姿に随分と騒いでおったのだ。


 わしも疑うておったひとりであるがな。


「難しき世でございます。共に力を合わせてゆければと思いまする」


 太郎左衛門殿はほんの僅かな間だが、如何とも言えぬ顔をしたのちにそう言うてくれた。分家から尾張望月家の家督を継ぐ。夢のようであろうが、気遣いもいろいろとせねばならんのであろう。


 真剣に家を分けることを考えたほうが良いのやもしれん。少なくともこのまま武田に己の行く末を託すのが危ういということだけは確かなのだからな。




Side:滝川資清


 廊下に出ると冬の寒さに思わず身震いする。酒で酔うた身にはちょうどいい。賑やかな宴の席を離れて、しばし庭で酔いを醒ます。


 思えば遠くに来たものだ。甲賀はあっちであろうか。亡き父と母に彦右衛門の婚礼を報告して、今後も万事上手くいくようにと祈る。


 見上げると星が見える。御家の花火はこの闇夜を照らしてしまうのだ。あれは幾度見ても信じられぬほど見事なものだ。


 御家の学問ではわからぬことは皆で考えるという。あの夜空の星はいかになっておるのであろうな。今度皆に聞いてみようか。


「こんなところで如何されましたかな?」


 賑やかな場を離れ、しばし物思いに耽っておると慶次郎が姿を見せた。わしの着物の上張うわばりを持っておるところを見ると探しに参ったのであろうな。この男は昔からよく気が利く。


「少し酔いを醒ましておるだけだ」


 慶次郎はわしに上張をかけてくれると、なにを言うわけでもなく共に空を見上げた。


「そなた滝川の家督がほしいか?」


「要りませぬな。承知のことでしょう」


 この男はなにをやらせても一目置かれるが、ジュリア様はそれが慶次郎の欠点だとおっしゃっておられたな。ひとつの道を極めんとする者には敵わぬというのだ。慶次郎らしいと言えばそれまでだがな。


「そなた南蛮琵琶などいつ覚えたのだ?」


「はて、いつでしたかな?」


 今日とて先ほどまでこの男は、旧知の河原者を呼んで己が弾く南蛮琵琶と河原者らの笛や太鼓などで皆を楽しませておったのだ。


 慶次郎らの調しらべが見事なものであったからであろう。お方様がたも共に唄を歌い、南蛮琵琶に笛などを奏でて、それは見事なものを聞かせてもらった。


「退屈はせぬであろう。尾張は」


「それは……まあ、退屈は致しませぬな」


「この世にはそなたのように変わり者が幾人ほどおるのであろうな」


 ふと思う。この男は久遠家でなくば恐らく立身出世は叶うまい。無骨者や乱暴者のほうがまだ認められる世だ。遊んでおるようで、いつの間にやら役目をこなしておるような男は望まれまい。


 だが世は広い。慶次郎のような男らにも生きる道があるような世になればと思う。


「そろそろ戻りましょう。皆が案じておりますぞ」


「ふふふ、そうであるな」


 彦右衛門も慶次郎も皆、いい顔をするようになった。甲賀を出て良かったと心から思う。


 いつか、太平の世が訪れたら、殿のお供としてこの世の果てでも見てみたいものだ。慶次郎ほどではないが、面白きものが見られよう。




◆◆◆


 天文二十二年一月二十一日。滝川一益と望月出雲守の養女お里、望月太郎左衛門と滝川資清の養女およねの合同婚礼の儀が行われた。


 これに関して『久遠家記』には、滝川と望月が血縁を結ぶことにより久遠家はより安泰となったと書かれている。


 もっとも久遠一馬は血縁による統制を好まなかったこともあり、一連の縁組と婚礼の儀は滝川資清と望月出雲守のふたりの主導であることが、『資清日記』により明らかとなっている。


 資清と出雲守も一馬の意に反してというわけではなく、自分たちの次の世代も共に久遠家を盛り立てていくうえで必要だと一馬に進言して認められたというのが真相になる。


 ただ一馬はこの縁組に際して、事前に結婚する両者を何度か会わせて互いの印象を聞くなどこの時代ではまずあり得ない配慮をしている。


 婚礼の儀も本来はそれぞれの家でやるものであるが、久遠家は武士ではなく久遠諸島の島暮らしであったことから、皆で婚礼を祝う風習があったようで、その風習を取り入れて同時に皆で祝う婚礼の儀にしたのだとある。


 余談であるが、現在のように結婚式に両家が参加するようになったのは、久遠家の伝統を織田家が取り入れたからだという説があり、事実この頃から結婚式に見届け人としてではなく、花嫁の父などの親族が参加したという記録が見られるようになる。


 『純白のケイキは憧れでした』この一言は花嫁である、お里とおよねの言葉として現在も残っている言葉で、近年テレビCMで大ブレイクした一言である。


 なお、この時の花婿と花嫁の姿が滝川秀益の西洋絵画として残されていて、久遠一馬の結婚式にちなんで『結婚式の日』である一月二十一日には、毎年久遠メルティ記念美術館で特別展示されている。


 

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