第898話・それぞれのひと時
Side:エル
「ぶらんか……」
隣の部屋を見つめ市姫様が祈っております。とうとうブランカが産気づいたのです。初めての子が産まれるのが遅かった分頑張っているわけではないでしょうが、前回の出産から間髪容れずの出産です。
今回は慣れたのでしょう。前回よりは幾分落ち着いている様子です。
ブランカの出産の妨げにならないようにと私たちと同じ部屋にいますが、遊びたい盛りですからね。部屋の中で遊んでおります。
ロボだけは隣の部屋でブランカの近くで伏せっています。一緒に育ち一緒に生きていますからね。気になるのでしょう。
「姫様、大丈夫でございますよ」
乳母である冬殿がそんな市姫様を気遣い、声をかけました。市姫様もいろいろ学んでいます。出産が命懸けだということ、すでに理解しているので真剣です。命の大切さを理解しているのは喜ばしいことですね。
「大丈夫、大丈夫。なにかあれば私が必ず助けるから」
「うん」
今日はマドカが一緒にいます。非番で休みなのですが、みんな心配していますからね。医療型のマドカがいれば安心です。市姫様もまた医師として活動するマドカを信頼しているようで表情が和らぎます。
「いかがですかな?」
「出産が始まっているわ。でも大丈夫!」
ちょうどお茶でも頼もうかと思っていると八郎殿が姿を見せました。花鳥風月の四匹が一斉に遊んでと駆けていきます。
「これ、やめぬか」
僅かに困った様子で四匹の相手をしていますね。動物が好きなのでしょう。ロボとブランカたちにも好かれている八郎殿らしいです。
「八郎はみんなに好かれるね」
「八郎殿でございますから」
八郎殿と四匹の姿に思わず市姫様が笑われると、乳母の冬殿もまた笑みを見せました。
忠義の八郎と呼ばれ、最近では織田家中の者からも羨まれるほど人望があります。すでに織田家中でも有数の影響力がありながら、配慮と陪臣という立場を忘れぬ姿に皆が感心しています。
浅井久政を捕らえた武功も生きていますね。敗軍の将にも情けを忘れない。浅井久政が思いのほか立派な態度で尾張にいたことで八郎殿の評価がまた上がりました。
「では某は役目に戻りまする」
フフフ、でも心配だったみたいですね。ブランカと生まれてくる子たちが。自身で寺社に足を運び、無事に生まれるようにと密かに祈祷を頼んでいたことを私は知っています。
私たちは運が良かった。八郎殿がいなければ、今の織田家も久遠家もないかもしれない。
「最初の子が生まれたみたいよ!」
「ほんとうだ!!」
そのまま出産を待っていると、障子の隙間を覗いていたマドカが最初の子が生まれたことを教えてくれました。
ようこそ。我が家へ。よく生まれてくれました。
もうすぐ生まれる私たちの子と一緒に元気に育ってほしいものです。あなたたちの明日は必ず私たちが守ってあげますから。
みんなでお散歩に行きましょうね。その日が楽しみで仕方ありません。
Side:雪乃
「それにしても、北条から伊豆諸島を貰ってくるなんてね。アンタらしいといえばそうだけど……」
小田原城を出た私はそのまま伊豆下田を経由して尾張に来ました。蟹江の屋敷でミレイに呆れたような感心されたようなことを言われていますが。
「想定外ですよ。正直本当に驚きました。駆け引きもなく向こうからでしたから。いろいろと策を考えていたことが無駄になりました」
結果は最上級のものでしょう。とはいえ私の想定とは違う流れです。おかげで一連の主導権は北条に取られてしまいました。流石は史実の偉人たちです。
「舐めてかかると駄目なワケ。アンタなら大丈夫でしょうけど」
決して舐めてなどいませんよ。エミール。
「私たちの影響が広がっています。確実に。学び変わるのは相手のほうが早いかもしれない」
想定外の原因は突き詰めると私たちでしょう。世の中を変える。いや、変えつつあることが結果として出ている。この時代で土地はなによりも大切なものです。制海権という概念だってある。
ですがそれを手放してもいいと思える価値が、織田と私たちにあったということ。試されているのですよ。私たちも。
「まあいいわ。商いはこっちでやっておくわ。後悔させないくらいにね」
「ええ、お願いします」
準同盟とでもいうべきでしょうか。血縁を用いた同盟ではないものの、これで織田と北条は準同盟に入ったとみるべきでしょう。北条との商いの強化はミレイたちに任せます。私は清洲の返事を持ってまた関東に行かねばならないので。
「それにしてもリーファはまた船の中なワケ? 蟹江に来た時くらい降りればいいのに」
「あとで温泉には入りにくるそうですよ。そのまま今夜は那古野に参ります」
快適だった宇宙船とはまったく違うこの時代の船。最低限の装備はあるけど不自由な船です。でもリーファと私はそんな不自由な船を楽しんでいる。
おなじアンドロイドでも楽しみや生きがいはそれぞれ違うことが面白い。
もちろん司令のことは好きですよ。ただ、今は今しか出来ない仕事を楽しんでいますけど。
Side:菊丸
「ありがとうございました!」
兄弟子たちと共に学校にて幼子たちに剣を教えた。疲れた顔をしながらも楽しかったと言いたげな子らを見ておると、それだけで嬉しくなる。世の中がこれほど広いとは思わなかったな。
旅の途中では苦難もあった。怒りに震えることもな。天下とは、将軍とは如何なるものであるべきかと幾度となく己に問うた。
未だに答えが見つからぬのは、己の不徳か。それとも……。
「……菊丸殿か」
「若武衛様、お久しぶりでございます」
秋の空を見つつ井戸で汗を流していると武衛の倅である岩竜丸に出くわした。あまり話したことはない。とはいえ好かれておらぬのはわかる。将軍として忠義なき者らを相手にしておったからな。
嫌うておるというよりは呆れておる様子か。将軍が政をせずに旅に出ておるのだからな。当然か。六角の家臣にもそのような者がおる。オレとて以前ならば働かぬ者を愚か者だと断じておったやもしれぬからな。無理もない。
さらに岩竜丸は傀儡とされておった武衛の下で育ったという。足利家や世に思うところもあるのであろう。気持ちはわからんではない。
「旅とはよいものか?」
互いに立場もある。敵に回すのは避けたいと控えておると、意外なことに声をかけて参ったのは岩竜丸からであった。
「そうでございますな。若武衛様のようなお立場からすると、思いもよらぬ日々でございましょう。尾張ほど暮らしやすい国はございませぬ」
「誰のための政で誰のための守護なのか。時々思うことがある」
ああ、岩竜丸もまたオレを理解しようとしておるのだな。この学校というところに来ておるとわかるのだ。一馬が如何なることを考えてここを作ったかがな。
「共にそれを考えてくれる者がいる若武衛様は、恵まれておるのだと某は思いまする」
「であろうな。公方様など大変であられよう。一馬など城から出られぬ身分など欲しゅうないと本気で言うからな」
同じ悩みを持っておると言えるのかもしれぬな。世が世ならば若武衛がオレの管領として仕えておったのかもしれん。そう思えばこそ思うところがあるのであろうな。
「若武衛様!」
「うむ、すぐいく。ではな」
「はっ」
話したのはしばしの時であった。とはいえ争わず、従えようともせず、わずかだが腹を割って話せたことは有意義だったと思う。
おなじ歳の頃の子らに呼ばれて去っていく岩竜丸を見て羨ましいとさえ思えた。オレには共に学び共に考えられるような者たちはおらなかったからな。
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