第861話・秋の嵐
Side:久遠一馬
収穫の秋。領民は収穫を心待ちにしているが、やはりこの季節の天敵は野分こと台風になる。
明日の明け方から日中にかけて結構大きめの野分が来る。天気予報は観測データの積み上げが数年分と少ないのがマイナス要素だが、気象衛星と宇宙要塞の光量子コンピューターでの予測なので、それほど大外れはしないだろう。
今回は被害が出そうなので、領内には急遽、天気が荒れるかもしれないので注意するようにとのお触れを出した。予報はあくまでも、久遠家の知恵ということにしておいたが。
現在は九州から西国に掛けて台風が上陸して強い雨風の被害が出ているみたい。そのまま北には抜けないらしい。
「工業村も訓練と思って
「はっ」
町の中を川が流れる清洲と川辺にある工業村では叺と土嚢を作り台風に備える。
叺とは藁のむしろを二つ折りにして袋状にしたもので、土嚢は主に尾張で生産している麻を原材料として作らせたものだ。叺は古くからあり収穫した作物を入れたりもするらしい。
土嚢は頑丈で水害や戦にも陣地構築に使えるのでウチで作らせたものだ。この時代では越後の青苧が衣類として使われていて、織田領でも越後から大量に青苧を購入している。麻でも衣類を作れるが耕作地は限られているので、技術研究と無毒性の麻の継続した生産のために牧場や米の採れない知多半島で多少作っている程度だ。
麻の生産がまだ少ないので、土嚢の袋はそれほど大量にはないんだけどね。清洲や那古野の城に工業村やウチの屋敷などには置いてある。特に清洲は土地が低い場所にあるので注意が必要だ。
もっとも武芸大会でクジを始めて以降は、清洲とその上流などから治水対策はしている。川が氾濫するなら清洲よりも、川沿いの村や田畑が先になるだろうな。
織田領では災害対策として叺か土嚢を備蓄するようにしているんだ。こういうのも命じないとまったくやらない人が普通にいるからね。
「願証寺と北畠には知らせを出したけど、あとは無理か」
野分の注意喚起は願証寺と北畠にも出した。六角は位置的に間に合わないだろうし。台風の予測進路は太平洋側になる。北美濃と東美濃よりは尾張、三河、伊勢が危ない。
「北伊勢の神戸家と梅戸家なら間に合うわ。出すべきね」
「ああ、あそこがあったか」
神戸家は北畠と繋がりがあり、梅戸家は六角と繋がりがある。共にそこまで織田と関わりがあるわけではないが、注意喚起するくらいなら聞いてくれるか。
メルティの進言ですぐに両家にも使者を送ることにする。
海も今日出航予定のウチの船は出航を取りやめている。水軍にも注意喚起をしているし、ちょうど滞在している他国の商船にも注意喚起はした。まあこの時代だとウチ以外は夜通しで航行するなんてないのであまり影響はないだろうが。
むしろ蟹江の港のほうが高潮の危険があるので、船と港の対応で忙しいだろう。
「とりあえず人命優先ってしといたけど、守ってくれるかな?」
「守ってもらわないとダメよ。あとで検証をするべきだわ」
対策は早めにやって夜はしないようにと命じてある。こうして言っておかないと、野分が来てから人を集めて村や田畑を守ろうとする人たちが結構いる。この時代だと野分を予測できないので、必然的に雨風が強くなってから動くしかないのだが、そのせいで犠牲が増えるようなんだ。
田畑に被害が出ると収穫が駄目になるかもしれない。そうすると飢えるからね。人命を懸けても守らないといけないのはわかる。でも今はそこまでしなくてもなんとかするから、人命をなるべく守るように命じたんだ。
被害大きくならないといいな。
Side:願証寺の僧
「まことに野分が来るとは……」
夜も更け朝方になった頃から風が強くなり雨が降り出した。まさかと思うたが念のため領内に知らせを出して良かったと安堵する。
我らの寺領は輪中にある。野分がくると被害が出るのだ。
「陸の見えぬ海を走るということは、多くの知恵がなければ無理だということであろう」
昨日は夏に舞い戻ったかのように雲ひとつない空で暑かった。まさかと思うたが、織田がわざわざ知らせてきたこと。念のため領内に知らせて備えをさせたのだ。
「久遠殿からは、なるべく事前に備えをと書かれておったのは何故であろうな?」
「あの御仁は人の命を粗末に扱う者を嫌う。野分が来てから動いては亡くなる者も出るからの。まことにどちらが仏に仕えておるかわからぬな」
仏の弾正忠と、苦しむ仏の弾正忠に天が遣わした使者だと言われておる久遠殿。皮肉なことに仏に仕えておる者よりも人の命を重んじて民を思うておる。
厄介な時に野分が来たが、綿花はほぼ収穫を終えておる。仮に田んぼに被害が出ても雑穀を買うくらいは出来よう。さらに飢えぬためと頼めば織田が安値で売ってくれる。
これらは皆、元は久遠殿の差配によるもの。織田などに頭を下げるなどあり得ぬと言うておった者もおるが、本證寺の末路と眼前の伊勢の海を行き交う久遠殿の船の前に口を閉ざした。
「北伊勢に不穏な動きがあるが、この野分でおかしなことにならねばよいがな」
ひとりの僧がこの野分よりも厄介なことを懸念しておる。北伊勢は近年の織田の力をもっとも受ける土地なれど、六角と北畠や我が願証寺も合わさり面倒な土地なのだ。
民が尾張に出ていくことで残る者に不満が出ておる。また国人は織田から得る銭を失いたくないので黙っておるが、内心では人が出て行くことで織田に不満を持つ者も少なからずおる。
そこに公方様に疎まれた管領殿が謀をしておる様子。困ったものだ。
Side:大久保忠俊
まことに野分が来たか。信じられんというのが本音じゃの。
「大久保殿、人を集めまするか?」
「いや、まだよい。夜半に動くなと命じられておる」
雨風が強いの。矢作川が氾濫するかもしれぬと知らせが入った。村によっては田畑を守るために動くのであろうが、清洲からは出来うる限り夜は動くなと命じられておる。
死しても田畑を守れと命じるのではなく、民が死なぬように差配せよとは、これまた奇妙な命を受けるものだ。
田畑を失えば飢えるしかない。まして稲刈りは目前なのだ。なんとしても守りたいのが心情というものであろうに。
とはいえ死しても守れというのではないのだ。従うしかあるまい。
それにしても困ったものだな。家中には未だに織田の検地を快く思わず、誤魔化そうとする愚か者がおる。そのようなことをして許されるはずがないというのに。
そろそろ理解してほしいものだ。生きていくには織田の
織田は素直に従う者には寛大だ。飢えぬようにもする。今川のように命じてなにもせぬよりはいい。
あとは夜明けを待って、人を集めて出来うる限り田畑を守らねばならんな。
命は守らねばならんが、田畑を失うわけにもいかぬ。
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