第804話・東美濃の夜明け
Side:久遠一馬
季節は梅雨に入ろうとしている。東美濃の苗木遠山家の苗木城は落ちた。
抗戦を主張していた者たちの一部は最後まで抵抗したそうで、最近の戦の中では激しい戦いとなったらしい。
「ご苦労様だったね」
そんな東美濃から河尻さんたちが帰ってきた。ウチの家臣たちは全員怪我もなくてなによりだね。
「やはり大変だったかい?」
「はっ、舟は使えましたが、山ばかりの土地。そこは難儀致しましたな」
共に迎えたのはジュリアになる。彼らは場合によっては必要となるだろうと、苗木城の門を木砲で吹き飛ばせるように行ったんだ。そんなに危険があったわけじゃないけどね。
山道を軍が進むには大変だったようで、戦よりもそちらが大変だったみたいだ。
岩村遠山家、明智遠山家はこれで臣従することになり、同じく東美濃で苗木が援軍を求めた野原城の安江家も臣従するそうだ。
細々とした問題はまだあるだろうが、東美濃の抵抗はこれで事実上の終わりだろうね。懸念があるとすれば信濃との壁役が消えたことか。
ただし信濃の情勢も変化している。今川がかなり積極的に介入する気配を見せていて、守護家である小笠原家にも接触しているらしい。
さすがの今川も、甲斐に直接侵攻はリスクが高く難しいものがあるんだろう。その点、信濃は晴信の代になって得た領地だ。諏訪なんかは同盟相手だったのを攻め滅ぼしている。
嫌われているんだよね。武田は信濃で。尾張にいる真田の幸綱さんも実は信濃に領地がある。本人はそんなことを顔に出さないが。でもあそこも旗色が悪くなったら武田を見限るか、下手すると他の信濃衆から裏切り者として袋叩きだろう。
史実と違い、真田には武田に最後まで付いていく義理はない。幸綱さん自身は西保三郎君に従って尾張に残るかもしれないが。西保三郎君自体はいい子だ。それに織田との繋がりを残す側に回ると個人的には思う。
「面倒な役目をごめんね。殿にも話して褒美を出すから。温泉にでも浸かって休んでよ」
「はっ、ありがとうございまする」
河尻さんには難しい役目を頼んでしまった。戦の主役は遠山家であり、援軍は斎藤家が主体だ。ウチが派手に目立つべき戦じゃない。なるべくは目立たず、遠山家から頼まれたら動くようにとお願いしていたんだけどね。
結局、城門の破壊を頼まれたようで武功をあげてしまった。城攻めで、城内突入の突破口を開くのは、城主を討ち取るのに比肩する手柄で、今回の苗木城には城主・当主はいないので、第一功の手柄になる。
まあ評判はいいようで、その辺りを上手く配慮してくれた。彼は与力であり信秀さんの家臣だ。褒美は信秀さんからも出るが、こちらからも信秀さんに一言断りを入れてあげることになる。
「ぶらんか! いいこ、いいこ」
河尻さんとの話も終わり、仔犬たちの様子を見ようと、例によってすっかり愛犬たちの
あれ? さっきまで隣の部屋から静かに見守っていただけだったのに。
ブランカを抱きしめて、わしゃわしゃと撫でているお市ちゃんの周りでは、仔犬たちがお市ちゃん、エル、乳母の冬さんに、クンクンと匂いを嗅いだり着物を
「どうしたの?」
「仔犬たちがこちらに来たら、ブランカも来たんですよ」
そろそろ産まれて一か月だ。仔犬たちもヤンチャでよく動くようになっていたんだけどね。自分たちから部屋を出てきたのか。
「みんな元気だな。どれオレも……」
エルも仔犬を抱いて幸せそうな顔をしている。オレも抱かせてもらおう。
「ワン!!」
特にヤンチャな仔犬を一匹抱きあげると暴れそうな仔犬をなだめていく。だがそこにこの場にいなかったロボがどこからか戻ってくると、オレもオレもとでも言いたいのか、オレの膝の上に乗るような形で甘えてくる。
「わかっているって」
甘えてくるロボの相手をしつつ仔犬も相手をするが、ヤンチャな仔犬はすでに勝手に動きだしている。
「あっ、駄目です。そこは駄目です」
うん? ああ、部屋にお茶を持ってきた千代女さんの足元に、仔犬が集まって構ってほしいと言わんばかりに殺到していた。
着物の中にまで入り込む猛者もいて千代女さんが困っているじゃないか。
「ワン!」
助けようかと思ったら、意外なことにブランカが一喝するように吠えて仔犬たちを連れ戻している。
うーん。ブランカもお母さんになったんだねぇ。
ところでロボ。君はまだお父さんになってないんじゃないか?
Side:遠山景前
危うかった。家中も明智も皆が胸をなでおろした。戦にはなるまい。苗木の者らはそう甘く見ておったようだ。
我が遠山家は由緒ある家柄だ。かつては源頼朝公の側近であったとも伝え聞く。わしが知る限りでも、元守護家である土岐家と並び立つほどの家柄だったという驕りが遠山家にはあった。
尾張の織田など所詮は越前から来た余所者。成り上がり者だと陰口もないわけではない。
それが結果として、織田は兵を挙げて東美濃をあっさりと治めてしまったな。
「公家衆が来る前に終わって良かったのう」
わしは戦の後始末を家臣に任せて、援軍と共に稲葉山城まで挨拶に来た。蝮も仏に毒と牙を抜かれたと囁かれておったが、此度の件ではかつてと変わらぬ冴えと力を見せた。
守護家は変わったが、斎藤家が守護代家として美濃をまとめておることは変わらん。なんとか京の都から公家衆が来る前に一族をまとめたいと助けを求めると、清洲の守護様や織田の殿に根回しをして速やかに援軍を寄越してくれた。
「はっ、山城守様と新九郎様のおかげでございます」
上座に座る山城守様と、次席の新九郎様。不仲と聞いておったが、蓋を開けてみるとそうでもないらしい。さほど親しげにも見えんが、不仲というわけではないようだ。
「そなたはこのまま新九郎と共に清洲に参り、守護様に拝謁を願い出るがいい。それに公家衆が来る前に多少なりとも礼儀作法を学ぶ必要もあろう、わしも新九郎も多少なりとも学んでおる」
「かしこまりました」
藤原氏の末裔であるわしとて、氏長者に目通りする機会など滅多にあるわけではない。それが守護様のもとに向こうからやってくるというのだ。ここで馳せ参じずにおられるわけがない。
山城守様の命に従い、わしはこのまま清洲に行くことになるか。
「信濃はいかがじゃ?」
「はっ、今川が随分と動いておる様子。また武田を破った村上も健在でございます。武田は苦しいのではとの噂でございます」
最後に山城守様は信濃について問われた。あそこはまとまりのない国だ。外から攻められるとまとまる時もあったが、今ではまとまることすら出来ずにおる。
武田が村上に大敗して転機かと思うたが、国人がまとまることが出来ずに武田方の領地を攻められずにおるくらいだ。
そこに今川が謀を巡らしておる。信濃者も今川を信じておるわけではあるまい。ただ、武田憎しの者と、このままではいずれ武田に攻められると考えておった者は、武田よりはいいと考えておるようだ。
「ふむ、清洲でも言われると思うが、あまり関わるな。守護様も織田の殿も信濃に深入りする気はない」
信濃では今川よりは尾張の織田のほうがと期待する者がおるとも聞くが、やはりその気はないか。
この先、東美濃がいかがなるかわからんが、家臣と明智には文を出しておくか。
勝手なことをして苗木のようになるのは御免だ。
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