第758話・百日祝いの席にて

Side:久遠一馬


 天文二十年もあと二日。餅つきは牧場で賑やかにやったし、大掃除もした。正月を迎える準備は万端だ。


 この日は吉法師君の百日祝いだ。この時代ではお食いめとも言うらしいが。


 生後百日くらいでちょうど歯が生え始める頃であり、子供が一生食べ物に困らないようにという願いや、丈夫な歯が生えるようにという願いから、古くは平安時代からある風習になる。


 吉法師君は百日祝いのために信長さんと帰蝶さんと共に、那古野城から清洲城まで馬車でお出掛けだ。城から出たのは初宮参り以来かな? 乳母さんが少し緊張した様子だ。


 那古野城でもいいんだけどね。今の織田家だと家臣も多く、祝いに集まる人たちも多い。那古野城だけだと手狭なんだよね。


「久遠殿はなにを持参されたので?」


 清洲城は早くも百日祝いに駆け付けた人たちで賑わっている。領外の勢力には声を掛けてないが、それでも美濃の岩村遠山家や三河の松平宗家からは使者が来ているみたい。


 オレはエル、メルティ、ケティ、ジュリア、セレス、すず、チェリー、シンディと共に来ている。今日は人数が多いね。


 城に入ってすぐ出くわしたのは、津島の大橋重長さんだった。みんな百日祝いのために祝いの品を持ってきているからね。オレがなにを持ってきたのか気にしているみたい。


「ああ、吉法師様の絵ですよ。一生の思い出になるでしょう」


「おおっ、なるほど。それはようございますなぁ」


 ウチからの祝いの品はメルティの絵だ。信長さん、帰蝶さん、吉法師君の三人を描いたもの。写真もない時代だからね。両親と共に描かれた絵は一生の思い出になる。


 この件ではエルたちみんなで散々相談したからなぁ。大橋さんも驚きつつ少し羨ましげにしている。この時代では絵を描かせるのも身分とかお金がないと出来ないからね。ましてやメルティの画風はこの時代ではほかに描ける人がいない。


「かずまー!」


 とりあえず城内のオレの部屋に入り、エルたちが公式の場に相応しい着物に着替えていると、お市ちゃんがやってきた。


「ああ、鶴ですか。よく出来ていますね」


 見せてくれたのは、百羽以上はあるだろう折り鶴だった。


 誰かが織田家に千羽鶴のことを教えたらしく、どうも祈る時には折り鶴を折ればいいと解釈したみたい。織田家では願い事や祈る時に折ることが地味に広がっているんだよね。


 多分すずとチェリーだと思うんだけど。


 オレたちが上洛している時も、無事を祈って兄弟や姉妹のみんなと折っていたらしい。


「おいわいにあげるの」


 褒めてあげると嬉しそうに笑ったお市ちゃんは、赤子がこれからも元気に育つようにと折り鶴をあげることにしたらしい。


 子供の生存率が低いこの時代では、子供の無事の成長はなによりの喜びだ。それはお市ちゃんも変わらない。




 百日祝いが始まった。こういう公式の場に出ると、オレも織田一族なんだなと実感する。オレは猶子となった時に、信秀さんから織田姓を名乗ることも許されている。正式な書状は場合によっては織田一馬として署名することもある。


 信秀さんや信長さんに限らず織田一族って結構多いんだよね。彼らと親戚付き合いはある。まあ細かいことは資清さんがやってくれるし教えてくれる。


 いつどこの法要があるとか、贈り物が必要だとか。そういう細かいことをしてくれて本当に助かっている。


「ほう、薬師殿は子を育てることもそれほど凄いとは……」


 年長者が赤ちゃんに料理を食べさせる真似をして百日祝いの儀式が終わると、そのまま集まった人たちと宴となった。


「ああ、帰蝶も吉法師もケティのおかげでこの通りだ」


 ケティが黙々と料理を食べている中、信長さんは吉法師君の様子を訊ねた家臣にこれまでの日々を話して聞かせていた。家臣の皆さんもなかなか上手いな。口下手であまりしゃべらない信長さんだが、好きなことや興味のあることは饒舌になる。


 信長さんとコミュニケーションを取ろうとみんな考えているのがわかる。


 ただ信長さんはこの時代の慣例や出産とまったく違うケティのやり方を褒めていて、ケティも注目されていたが。肝心のケティはお食事中です。


「そういえば、近頃、薬師殿の弟子などと名乗る者が伊勢にて高額な銭を取っておるとか」


 お食事中のケティの箸が止まったのは、大橋さんがふと漏らした一言だった。またか。


「たまにいるんですよね。領内なら捕まえるんですが」


 明らかに不快そうな顔をするケティの代わりに説明をする。有名になるとこれだから困る。官位や血筋すら私称する時代だ。ケティの弟子だなんて称することも罪悪感なんてないんだろう。


 実際、織田領でもあったことだ。自分はケティの教えを受けたのだと嘘をついて適当な薬で高額な銭を取ろうとしたこと。


 ただ尾張ではケティが自らお金を取ったことなんてないのは有名だ。武士や商人が常識の範囲内で払えば受け取るが。そのことを目安箱に投函されて偽弟子はすぐに捕まったが。


 もっとも悪知恵の働く人は織田領ではなく、近隣で弟子を私称して勝手なことをしているんだ。見つけ次第、捕らえるように頼んでいるんだけどね。まあ、きりがないというのが現状だ。


 ちなみに領内にもウチが関与しない医者や薬師が増えている。流民が多いからね。中には独自の薬を売っている人もいるし、とりあえず医者や薬師を名乗っているだけの人もいる。


 さすがに最近はケティの弟子を名乗る人はいないけど。見つけ次第処刑されるから。


「医師と薬師と助産師であったか。免状の件、そろそろいいかもしれぬな」


 ケティの不快そうな顔に信秀さんは、以前から検討をしていた医者の免許制度について言及した。


 この問題の難しいところは、自称医者には善意の人もいることだった。また地域のお坊さんの中には善意で薬を売ったりあげたりしている人も多い。


 段階を踏むべきだろうというのが評定の意見であり、とりあえず久遠家の医術は免許として、他人が勝手に名乗ることは禁止と明確にするのが最初だ。


 なかなか話が進まなかったのは、寺社との意見交換とか大変だったからでもある。この時代だと祈祷も病の治療であり、お灸なんかも医療行為だ。


 古い慣例をどこまで否定して、どう医術を管理していくか。ウチで一方的に決められるものではなく、織田家のみんなで慎重に考えていたからでもある。


「薬師殿、こんどわしの倅に子が生まれるのだが……」


「まかせて。一度往診にいく」


 少し場の空気が変わりかけたのを変えたのは、ひとりの重臣だった。信長さんの話を聞き、是非とも孫の出産をケティに頼みたいと考えたらしい。


 ケティの表情が一気に良くなった。自分を信じてくれたことが嬉しく、またひとり赤ちゃんを助けられるのも嬉しいのだろう。


「赤子が出来たらどうするか、当家の秘伝を記した書物がある。今なら一冊、一貫のところを百文でお譲りします」


「ケティよ、ここで売るのか?」


「ガハハハッ、稼がねば久遠殿とて船も造れず薬も買えんからな!」


 宴の席が一気に笑いに包まれた。なにを思ったのか、ケティが持参していた妊婦さん向けの本のセールスを始めてしまい、信秀さんが笑いながら突っ込んだからだろう。


 無論、冗談なのはみんな分かっている。


 織田一族と重臣は特に、最近はいかにしてお金を使い稼ぐかということを考えることが多いだけに、この手の冗談がウケるらしい。





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