第742話・第四回武芸大会・その四
Side:清洲のとある寺の僧侶
もうすぐ日が暮れる。風に乗って聞こえる賑やかな声を聴きながら、寺の皆で夕食の支度をする。
そろそろ武芸大会を見物した民が戻ってくる頃だ。今夜はご馳走だ。豆腐、おから、こんにゃくを料理したものを出してやれる。武芸大会を開催している期間は、商人が食材を安く用立ててくれるのだ。
泊まっておる民も喜んでくれるであろう。
「しかし、変わったなぁ」
「ああ、変わった」
幼い頃からこの寺で生きてきた者たちと共に、飯の炊けるのを待つ傍らで休息にする。
食えずに寺に子が預けられるのは今でもある。とはいえそれも随分と減った。すべては織田様のおかげだ。
座や市があって儲けておった寺はいい。だがここのように座とは無縁で、市を開いてもあまり賑わうことのないような小さな寺では食うので精いっぱいだった。
それが今では清洲を訪れる旅の者や、武芸大会や花火大会にて各地から集まる民を泊めることで、一年を通して銭が入るようになり、食うにも困らなくなった。
それとこの春から和尚様は、近所の子たちに文字の読み書きを教えるようになった。きっかけは那古野の学校だと聞いたな。織田学校と皆が呼んでいる場所だ。
和尚様は馴染みの者に頼まれて、清洲の昔話を教えに行ったんだ。坂井大膳が専横していた頃の話とかだ。そこで幼子たちが学ぶ姿に感銘を受けた和尚様が、織田学校に行くことの出来ないような近所の貧しい者たちに文字の読み書きを教えると言い出したんだ。
初めは子守りの代わりにと数人が来るだけだったが、今では数十人が来ていて読み書きや武芸なんかも少し教えておる。
清洲から那古野はそう遠くないが、幼い子らが毎日通えるほどでもない。和尚様は数日に一度は自ら子たちを学校に連れていくほど熱心なお方なんだ。
それを織田様の知る所になったのか、織田様からは褒美を頂けるようになったとか。世も変わるもんだと拙僧たちはしみじみと思う日々になった。
「いや~、凄かっただな!」
「凄かった! 明日が楽しみだ!」
西の空に日が傾いた頃、寺に泊まっておる民たちが戻ってきた。皆、笑顔だ。見物しておった者から参加した者まで様々だが、結果に問わず満足げな様子が見ていて誇らしい。
「ただいま戻りました」
「飯はもうすぐだ。手足を洗って待っておれ」
さあ、飯の盛り付けだ。今夜も賑やかになるのであろう。酒も入っておらぬのにまるで宴のように賑やかになるのだからな。
寺に笑い声が響く様子には、仏様もさぞお喜びになっておられよう。
Side:
昼は武芸大会を見物して夜は宴か。一見すると贅の限りを尽くしておるようにも思えるが、反発らしい反発が見られぬ。
それもそうだろう。武芸大会は民にも参加を許して見せておるのだからな。このようなことを誰がやろうと考えたのであろうな。
顔色が悪いのは今川と我ら朝倉家の者と、美濃や三河で織田に従っておらぬ者らか。特に朝倉家と今川は斯波家と因縁浅からぬだけに、この場の態度次第では戦になるやもしれんのだからな。
その斯波家が美濃守護職に就く。そんな噂が広まり、皆が祝いを述べる中、武衛様はいたって冷静だ。我が世の春を謳歌するでもなく、織田殿と争うでもない。もう少し喜んでもよいと思うのだがな。
されど、これは朝倉家にとっても他人事ではない。これで我らが美濃へ手を出すことが一段と難しゅうなった。
父上がわざわざ尾張まで参って斯波家に頭を下げたことが、これほど早く結果となって現れるとはな。
現在、織田とは商いで通じておる。殿が南蛮ゆかりの品を欲することもあり、商いの量は増えておる。
すべては殿と父上の英断であろう。越前には未だに斯波家と織田を軽んじる者がおるくらいだ。
今川の顔色をみると、まだ朝倉家のほうがよいと見えるな。どうも向こうは商いも上手くいっておらぬ様子。
「朝倉殿、一献いかがですか?」
「これは久遠殿、かたじけない」
無論我らも特に扱いが悪いわけではないが、北条や北畠といった誼がある者たちと我らでは居心地の良さが違う。
なるべく目立たぬように大人しゅうしておったが、そんなわしのところに参ったのは久遠殿だった。
「御父上から教わった、鷹の件。大変参考になっております。是非、返礼をと思いまして……」
一見するとさほど凄みがあるということもなく、そこらにいそうな男なのだがな。この男が動くと周囲の者が皆、注目する。
わざわざわしのところに参ったのは何事かと思うたが、父上が教えたという鷹の卵から孵す技の話か。
わしには直接耳に入らぬが、朝倉家でも何故そのようなことをするのだと噂されたと聞く。ただ久遠殿は明や南蛮から得た知恵を尾張で役立てておると聞くほどだ。父上のお考えと通じるものがあるのであろう。
返礼というわけではないのであろうが、久遠殿からは鶏の卵が体によいのだと教えてもらい、育て方や食べ方を聞いて父上が試しておる。
朝倉家中では神聖な鶏の卵を食べるなど蛮族のようだとの陰口もあるが、殿は乗り気で父上と共に食べておられるとか。
織田も久遠も決して侮るなと、父上はここに来る前にも厳命しておったな。
「こちらも鶏の卵のことお教えいただき、父上も殿も喜んでおりました」
「それは良かった。きちんと決まり事を守れば、長寿の薬とまでは言いませんが体にはよいものですから」
共に盃を交わして話をする。ちらりと見える今川の者らの顔色が更に悪くなったように見えるのは気のせいであろうか?
尾張において久遠殿は別格だともいう。この男が尾張に大きな富をもたらしたのだ、当然と言えば当然であるが。
そんな男が諸国から来ておる者がおる席でこうして参ってくれたことは、朝倉家にとっては軽くはない。
「尾張はますます栄えますな」
ふと、そんな一言が零れてしまった。この男こそ、朝倉家の敵ではないのか?
「皆で力を合わせているだけですよ。越前に負けぬように尾張も努力しております」
負けぬようにか。確かに負けておるとは思いたくはない。されど久遠殿の本領や海の向こうでの働きは、わしにはまったく知ることが出来ぬことだ。
商人を従え、寺社も従えておる織田に朝倉家は本当に勝っておるのか?
そのまま久遠殿は別のところに酒を注ぎに行った。そんな後ろ姿を見ておると、不安が込み上げてくる。
いかんな。悪いほうに考えすぎてもよいことなどありはしない。父上がなんとかこじ開けた斯波家との和睦の道をわしが閉ざすことなどしてはならん。
朝廷ですら斯波家と織田にはよい印象を持っておるのだ。敵対などしてもいいことなどない。
父上ももう歳だ。敵を加賀一向衆に絞ることは当然だ。これからの朝倉家のことはわしが考えねばならん。
織田は願証寺とは親しいが、一方で本證寺とは戦をした。むしろ北陸の一向衆相手ならば共闘も可能なのではないのか?
少なくともあの傍若無人な者らと組んで越前に攻めてくることはあるまい。他国から奪うということを織田は好まぬことは浅井との戦でも明らかだ。
懸念があるとすると、朝倉家内か。斯波家になど頭を下げたくないという者が多い。尾張のことも一時の勢いであろうと軽んじておる者が多いのだ。
はてさて、困ったな。
◆◆
朝倉景紀。朝倉宗滴の養子。
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