第680話・剣豪将軍の宴

Side:久遠一馬


 義輝さんから誘いがあったのは、その日の夕方だった。オレたちが観音寺城に来たのはあくまでも上洛のためだ。長く滞在するつもりはない。とはいえ少しせっかちなのかもしれない。


 今回はまた人が減った。足利義輝さん、史実の細川幽斎となる藤孝さん、近衛稙家さん、六角定頼さん、塚原卜伝さん、それと義統さん、信秀さん、信長さん、オレ、エル、ジュリアの六人になる。


 人選がおかしい。他のみんなも感じたはずだ。どういうつもりなんだろう。


 宴自体は静かな始まりだった。料理のメインは鯉だね。この時代では高級魚なんだけど、尾張では海の幸があるのであまりお目にかからないものだ。ウチではたまに貰い物で食べることはあるが。


 酒は金色酒で会話がない。定頼さんと稙家さんの表情も硬いのはなぜだろう。


「旅の疲れもあろう時に呼び出してすまぬ。余は前置きを長々と口にすることは好まぬ。故に率直に教えを請いたい。何故、尾張は上手くいっておるのだ?」


 どれだけ時が過ぎただろうか。口を開いたのは義輝さんだった。それはいいんだけどさ。あまりに単刀直入過ぎる気が。若いから仕方ないのか?


「……上様、某は一介の守護でしかございませぬ。天下の政に口を挟むなどとおこがましいことは申せませぬ。もし仮に申したところで、上様や上様のお側の方々にご不快な思いをさせてしまえば、我らは明日も知れぬ身となりまする。それは何卒なにとぞご容赦を」


 義統さんはしばし考え込む表情をしてゆっくりと語りだした。一見拒否とも言える言葉だ。卜伝さんの表情が曇る。


「余が信じられぬか?」


「仮に上様がお認めになっても、それですまぬことをご理解されておられると思いまするが」


 かなり際どい会話だ。分別をわきまえているように言ってはいるが、深く聞くと義輝さん個人の問題ではないと諭している。そのことに気付くかな?


「武衛よ。大樹もわかっておる。この場に管領がおらぬことがそなたたちへの配慮だ。大樹は己の身を危うくしても、そなたたちに教えを請いたいとここまで来たのだ。如何にしても頼めぬか?」


 じっと義統さんを見つめていた義輝さんに代わり答えたのは稙家さんだ。やはり心配していたんだね。伯父であり、のちに娘が義輝さんの正室ということは義理の父ということだし当然か。この人の頼むという言葉は重い。現在は官職には就いていないが、五摂家の近衛家の当主なんだ。身分も違うし影響力も義輝さんより当然上だろう。


「正直なところ、某は三河守に委ねておるのみ。他国とのやり取りなどはしておりまするが、それとて三河守以下、皆と話して決めておりまする。口の悪い者は傀儡とも囁いておる者さえおる身でございまする」


 義統さんは稙家さんの言葉に、一歩踏み込んで話を始めた。義輝さんがどう受けとるかわからないが、言葉の重みが違う。ここは拒絶出来ないだろう。


 稙家さんと卜伝さんがホッとしたのが微かにわかる。拒絶したままだと義輝さんが困るのは明らかだ。このふたりは本当に義輝さんのことを思っている。


「では三河守よ。やはりそなたが治めておるのか?」


「確かに決断しておるのは某と守護様でございまするな。されど策は皆で考えておること。治める策もひとつではございませぬ故に」


 義輝さん。好奇心旺盛な学生のような目をしている。飾らず威張らず今度は信秀さんにも率直に訊ねていた。


 この場で一番余裕のあるのは信秀さんかもしれない。駄目なら決別して戦でいいと覚悟があるように見える。試しているのかもしれない。足利義輝という将軍を。


「見えてこぬ。それでは他と変わらぬのではないのか?」


「違うところはございまする。我らは明や南蛮の知恵も学び、新しきことを取り入れておるところでございましょうか」


 あれ、信秀さんの言葉に義輝さんたちがオレとエルとジュリアに視線を向けた。まさか信秀さん。オレたちに丸投げする気じゃないよね?


「噂はまことか。師が光明を見たように、そなたたちもまた光明を見たということか」


「そうとも言えるのやもしれませぬ」


 身分が違うから、オレたちには先ほどみたいに一言二言の問い掛け以外ないと思ったんだけど。うん。信秀さんに任せたと言わんばかりの視線を送られた。


「一馬と申したな。何故、尾張は戦もせずに所領が増えて栄えていくのだ? 余にはなにが足りぬ?」


「あらかじめ申しておきますが、私は日ノ本の生まれではありません。故におかしなことを言うかもしれません。そのうえでお聞きください。尾張ではひとりひとりの領民と向き合っております。飢えぬように、今日より明日はよくなるようにと。その積み重ねでしょう」


「民と向き合う?」


 信秀さんのことだから責任は取ってくれるんだろう。仮にオレが義輝さんを怒らせても最後まで守ってくれると確信できる。とはいえ丸投げは酷いんじゃない?


 義輝さんはオレが言ったことに少し固まったかもしれない。すぐに理解出来ないらしい。当然か。領民なんて話したことすらないんだろう。下手すると家畜とか作物なんかと同じ感覚で考えていても不思議じゃない。


「これは言ってはいけないのかもしれませんが、大多数の領民にとって守護が誰でも将軍が誰でもあまり興味はありません。ではなぜ領民は武士に従うか? 理由は細かく申せばいろいろあるでしょうが、多くは生きていくためと言っても過言ではないでしょう。今日食べられて明日も食べられると知れば、多くの者は奪わないで生きていけます。少なくとも尾張では皆が力を合わせているので上手くいっております」


 身分が当たり前でそれ以外知らない人たちには、信じられないことかもしれない。定頼さんの顔色が悪い。多分卜伝さんを除けば一番その価値を理解している。楽市を始めたりした人だ。わからないはずがない。


「事実であろうな。大樹よ。考えてもみよ。将軍が都を追われたとて誰も立ち上がらぬ。主上が難儀しておられても官位欲しさに集まる者以外は見向きもせぬ。都では主上が困っておられることをかなしみて、町衆が助けてくれておるのが現状なのだ」


 ちょっと言い過ぎたかなと思ったが、先に同意してくれたのは稙家さんだった。さすがに京の都を出て将軍と共に朽木まで来ていた人だね。現実を理解している。


「それでは将軍など不要ということか?」


「それはまた違います。上様がいることで天下が現状で済んでいるのでしょう。天下を治める者がいなくなれば更に世の中は荒れると思います」


 極端だな。義輝さん。不要とまでは言えないよ。騒動の種をばら撒くし乱世の責任はあるが、それでも将軍という権威体制が崩壊すると更なる戦が起こる。まあ、新しい天下が生まれるには古い体制を終わらせて、日ノ本をひとつにまとめないと駄目だから、延命するとそれだけ太平の世が遅れるともいうが。さすがにそこまでは言えない。


「わかったであろう? 大樹よ。それ故、現状で踏ん張るしかないのだ」


「されど殿下、このまま良くならぬ天下など終わらせて、新たな天下を求めたほうがよいのではありませぬか?」


「大樹、そなたはまだ若いな。かつて鎌倉にて北条が武士を治めておった世が終わった時、当時の後醍醐天皇は朝廷が自ら治める新たな世を目指したことがある。だが上手くいかなんだ。そなたの祖先の足利尊氏も苦労の末になんとか天下をまとめた。守護が大きな力を持ち争いが絶えなかったが、それでもそれまでよりは良うなったのだ。新たな世など軽々しく作れるものではない」


 義輝さんはやはり足利政権の限界に気付いていたか。とはいえそれは稙家さんも同じ。ただそれでも軽々しく動けないのは過去の失敗の教訓もあるのか。


 諭すような稙家さんがまるで父親か祖父のように見える。みんな悩み苦悩しながらも現状で足掻いているんだ。


 一部には自分の我欲で天下をおかしくしている人もいるけど。




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