第398話・匂いに誘われて……

Side:久遠一馬


 香ばしい匂いがする。


 そろそろ寒くなってきたので火鉢を出したんだけど、ちょうど知り合いの商人に松茸を貰ったので焼いているところだ。


 元の世界では高級品の代名詞のような松茸だが、この時代では割とよく採れるきのこになる。


 外国人には靴下のにおいだとか言われて不評だなんて話もあるが、もともと日本人のオレは嫌いじゃない。


 炭火でチリチリと焼ける松茸の匂いはいいね。まずは塩を適量振ってそのままいただこうか。


「美味しそう」


 うん。でもその前に、松茸の匂いに誘われてやってきたケティにあげよう。火鉢の前でじっと焼けるのを見つめて待っているんだ。


「美味しい。でもカボスが欲しい」


「ああ、来年にでも植えてみようか。佐治殿のところなら育つだろうし」


「うん」


 ケティと一緒に縁側で焼きたての松茸を食べる。独特の歯ごたえも香りもいいなぁ。


 適度な塩が松茸そのものの味を引き立てて美味い。


 ケティはカボスがないのを残念がっているけど、確かにカボスがあれば完ぺきだったね。


「それにしても三河は困ったね」


「逆に好機とも言える」


 続けて匂いを嗅ぎつけてきたらしいロボとブランカが、尻尾を振って物欲しそうに眺めてくるので彼らにも松茸をあげよう。


 新しい松茸を焼きながらケティに三河の愚痴をこぼすが、ケティはこの一件をポジティブに捉えているのか。


 実は今川から密使が来た。対一向衆の共同戦線を提案した義元の密書を持ってきたんだ。


 雪斎がその件で動いたのは虫型偵察機で知っていたが、義元の決断は早かった。一向衆と組んで織田と敵対する選択肢もあっただろうに。雪斎の策に義元は乗った。


 織田との関係を改善する数少ない機会であることは確かだからね。ここで関係を改善しないと織田が遠江を奪還するまで、和睦すら難しいだろう。


「この状況を利用するとはね。さすがは今川家の宰相と言ったところか」


 本證寺はなにかと動きがある。三河の一向宗で有名な上宮寺じょうぐうじ勝鬘寺しょうまんじと連絡を取り合ってるし、本證寺の領民が織田側の田んぼでこっそりと刈り田に来たり、干してある稲を盗んだりと問題が出始めている。


 兵で警戒させて一部は捕らえたみたいだけど、盗まれたところは報復をすべしと怒ってるんだ。中には盗人を村人が殺しちゃったところもある。


 それは矢作川流域の水害があったあちこちで起きている。織田側は賦役に参加しているので余所を襲ったりしてないが、今川方の国人衆内部でも稲を盗んだり盗まれて報復したりと急速に事態が悪化している。


 西三河は矢作川から東は今川と織田の支配が曖昧な地域であることが仇となった。矢作川東岸は正確には今川方であるが、親織田と親今川がおり、統制がとれなくなりつつある。


 松平宗家は空気みたいになっちゃったし、小身しょうしんの国人衆はやりたい放題とまでは言わないが、織田に手を出さなければ問題ないと思ってるらしい。


 あとこの情勢に困惑してるのは織田や今川ばかりじゃない。願証寺も困惑して結構慌てている。


 織田と一向宗の関係が危うくなれば困るのは願証寺だからね。信秀さんのところとかウチにも願証寺から使者が来ていて、なんとか穏便に済ませようと動き出した。


 このまま織田と本證寺の対立が深まる前に仲介して収めたいみたい。願証寺からも支援を考えているみたいだけど、どうも本證寺が願証寺をよく思ってないらしく上手くいってないんだよね。


 願証寺が織田に媚びてるのが気に入らないとか、織田に臣従する気かと反発してるんだ。もともと願証寺と本證寺はそんなに親しいわけでもないらしく、ここ最近で金回りがよくなった願証寺が気に入らないんだろう。


 でも願証寺からすれば北伊勢は六角の勢力圏だし、尾張は織田が統一した。美濃も親織田で孤立無援と言ってもいい場所だ。とてもじゃないが意地を張って生きられる場所じゃない。


 ましてや目と鼻の先を、月に数回はウチの船が通るんだ。友好を深めていくしか選択肢がないんだ。


「美味いか?」


「わん!」


 おお、ロボとブランカは松茸も美味しそうに食べるね。元の世界と違いこの時代だと松茸は庶民の味だから。最近では美濃なんかの品物が尾張に入ってくるから、松茸とかも美濃産が結構あるみたい。


 美濃と言えば道三も念のため兵の準備を始めたらしい。織田と斎藤家があんまり親しいと周囲に知られると厄介なので、流石に現状だと斎藤家まで三河に呼ばないと思うが、念のため援軍の準備はしてもらっている。


 まあ織田が三河に行った隙に、美濃の反織田の国人衆が動く可能性もなくはないからね。


 織田もそこまで三河に兵を送る予定はないんだけど。




「かじゅまー、けてぃ!」


「松茸か。美味そうだな」


 ロボとブランカに松茸を食べさせていたら、今度は信秀さんと土田御前とお市ちゃんが匂いに誘われてウチにやってきた。


 正確にはお出かけのついでにウチにも寄っただけだろうけど。先触れくらい出したらいいのに。


 とりあえず焼きたての松茸を信秀さんたちに出して、オレは次の松茸を焼く。


「守護様はいかがでしたか?」


「特に反対はされなかった。遠江のことがあるので喜んではおられまいが、今川と一向衆が組むのがまずいのは理解されておる」


 信秀さんが来たので、今日のおやつを作っていたエルも呼んで三河の話になった。


 今川との共同戦線に信秀さんは乗り気だった。信秀さんも言っているが重要なのは今川と本證寺を組ませないことだ。


 ただ、今川と斯波家は宿敵と言ってもいいほどの因縁がある。守護の義統さんには事前に知らせて了解してもらう必要がある。


 義統さんも反対しなかったことで、対一向衆では今川と敵対するのは避けられそうかな。とはいえ三河の扱い次第では、解決後にそのまま今川との戦に突入することも十分にあり得る。


 それに石山本願寺次第では願証寺すらどう出るかわからない。現状での宗教との全面戦争は避けたいんだけどなぁ。


 史実とは形が違うが、現状での全面戦争になれば解決には畿内と争うこともあり得るので十年はかかるだろう。


 前途多難だなぁ。


「一揆は起きると思うか?」


「どうでしょうか。本證寺は領民の統制がとれておりません。松平も国人衆を統制できておりません。なにが起きても不思議ではありませんが……」


 しばし松茸を食べながらのんびりとしていたが、信秀さんはふと一揆の可能性を問いかけてきた。


 普通に考えると一揆まで起きるほどではない。台風も水害もよくあることなんだ。本證寺領の領民にとっても珍しいことではないだろう。


 ただ違うのは、やはり近隣の織田との格差が深刻なことだ。危ういバランスの上でなんとか平穏を保っていたのだ。今回の水害はそのバランスを崩しかねない一撃だ。


 一揆の問題は先の展開が読めないことだろう。暴動だからね。扇動者がいて、その扇動者をなんとかすれば落ち着く可能性もあるが、現状を踏まえると食糧が得られるまでは簡単に落ち着かない可能性がある。


「はい、ろぼ。あーん」


「わん!」


 少し重苦しい空気の中、話を理解出来ていないお市ちゃんはロボとブランカに松茸を食べさせながらもふもふしているよ。


 飢える辛さはお市ちゃんばかりか、オレも本心からは理解出来てないし、甘過ぎる想定はこの時代に生きる人々から、憎悪を買うものなのかもしれない。


「つぎはぶらんかだよ」


「わん! わん!」


 でも食べ物を分けて一緒に食べるお市ちゃんとロボとブランカの姿に、ほっとするのが本音だ。


 というか本證寺の坊主どもの統治が問題なんだよね。オレたちが悩むのは筋違いだ。


 これを機会に三河の一向衆を壊滅させるべきかね。領民はともかく坊主と僧兵は問題を起こしたら遠慮してやる必要はない。


 ただタイミングがなぁ。いつ誰が暴発してもいいようには考えているけど。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る