第394話・大湊と尾張

Side:丸屋善右衛門


「よかったな。大出世じゃないか!」


「何度か断ったんだがな」


「なにを言うんだ!? あの新しい湊はいずれは日ノ本の海をたばねるに相違そういない湊だぞ! あそこに店を出したくても出せない奴も大勢おるというのに……」


 この度、わしは久遠様に誘われて店を蟹江に移すことになった。その話を聞いた馴染みの商人が店に来て、わしを祝ってくれるが、素直に喜べんのが本音だ。


 久遠様と商いをして以降、ウチの商いは格段に大きくなった。されど急に大きくなったゆえに、上手くいかないことも増えたのが実状だ。


 特に新たに取り扱いを始めた久遠様の品物は引く手数多で、あちこちから欲しいと頼まれる。


 それだけならばいいが、それで済まぬのが世の慣い。力無きは悪なりを目の当たりにさせられたのだ。わしの子や店の者を拉致しようとしたり、牢人を連れてきて脅迫なんてのは日常茶飯事だ。


 特に酷かったのは堺の商人だ。偽の手形や偽金色酒なぞ造る堺になど売れんと言うと、わしばかりか、縁の有無も構いなく大湊の商人相手に嫌がらせをあれこれと始めたからな。


 まあ連中は堺の商人でも会合衆のような立場でもなくはしたの商人だ。そんな連中に限って威張り散らして態度が大きく、なにをするかわからん。


 大湊の会合衆には随分と世話になったな。護衛の手配から、後ろ盾に糸引きなどを調べたりとなにかと助けてくれた。あとは久遠様が寄越してくれた護衛にも何度も助けられた。


 もっとも会合衆とはよく話して久遠様との橋渡し役として働いたので、それなりに貢献したつもりだ。


 ただ思い返せば自身の甘さで失敗したこともそれなりにあったのだ。


「わしはそんな器ではないのだがな」


 久遠様にはこれ以上大きな商いを営むような器ではないと、文を出したのだが……。説得に久遠家に仕官した湊屋殿が名代で来られては断り切れなんだ。信頼の出来る商人がひとりでも多く欲しいと言われる理由は理解するし悪い気はせん。


 久遠様も堺の商人には悩まされておるようだからな。


 堺の商人とはいえ様々だ。商人のくせに世の趨勢すうせいをあまり理解しておらん者がそれなりおることにはわしも驚きだった。


 未だに織田様の力を知らぬたわけ者がよく来る。先ほどの堺の会合衆などではなく端の商人はそんなものかもしれぬが。


 己は堺の商人なんだと偉そうにしておるたわけ者に限って、大湊が織田様を操っておるなど荒唐無稽な妄想を信じておるから始末に負えん。


 確かに大湊は織田様と合力しておるが、どちらかと言えば織田様が差配しておるのだ。堺への不売は織田様の意向だ。わしらには如何ともならん。


「だが織田様の商いのやり方はお前が一番近いじゃないか」


「まあ、考えておられることはなんとなくわかるが……」


 わしの強味は織田様というか久遠様のお考えがある程度わかることか。


 信用を第一とし、一時の利よりも長い目でみて商いをする。理想と言えば理想だが、織田様や久遠様のように力がなければ出来ぬことだ。


 これが意外にも、ほかの者はあまり理解出来んらしい。会合衆ともなればそれなりに理解しておるらしいが。


 久遠様は堺との商いは今後もせんだろう。そのために蟹江に湊を作ったのだろうからな。


 銭の価値を安堵なさしめ、嘘偽りのない品物を売る商いをしたいのだ。信頼出来る商いが広がれば広がるほど、今よりは世の中が鎮定ちんてい致すはずだからな。


 とはいえ尾張に行くのは不安が多いのが本音だ。湊屋殿が助けてくれるというし、なんとかなると思うが……




Side:久遠一馬


 秋も半ばを過ぎると、尾張では武芸大会のために武芸に励む人があちこちで見られるようになった。


 特に清洲郊外の運動公園では各種施設があるため、大会と同じ場所で鍛錬に励む人が増えている。


 昨年優勝した人は石舟斎さんを筆頭に、戦で活躍したことで大会の意義を証明したり、信秀さんに取り立てられたり、引き立てられたりしているからね。みんな気合が入ってるんだ。


 しかも今年は武士ばかりではない。綱引きや短距離走や長距離走の練習をする人がちらほらと見られるほどだ。褒美が効いてるんだろう。


 織田としては順調だ。今川の動きは気になるが、戦の兆候はいまのところ見られない。


「しかし本願寺は凄いね」


「まったくでございますな」


 この日、オレは庭で焼き鳥を焼きながら、湊屋さんの報告を聞いている。周りでは家臣や忍び衆の子供たちに信長さんに信行君やお市ちゃんたち姉妹がいて、熱々の焼き鳥を美味しそうに食べてるところだ。


 近くで控えていた資清さんは、湊屋さんの報告に対するオレの言葉に同意するように少し困った表情をした。


 実はついに石山本願寺からじかに品物を売ってほしい、という文が信秀さんに届いたんだ。


 金色酒や鮭や砂糖などの高価な嗜好品は当然として、絹織物や綿織物や陶磁器に加えて信秀さんが褒美なんかで一部の人にあげてるガラスの盃なんかも欲しいらしい。


 ここまでだとまだそこまで驚くことでもないんだけどね。


「言い値で構わないって、一度でいいから言ってみたいね」


 文にはすべて織田の言い値で買うとある。その文にさすがの信秀さんも本願寺は恐ろしいと言ってたね。オレもこの時代に来てお金には不自由してないけど、さすがはこの時代では一番勢いがある本願寺だ。


 ただ、オレが感じたくらいだから、尾張の皆さんも感じただろう。この依頼は今まで窓口を務めた願証寺の労を無視する行為だ。まあ、石山には現状では願証寺経由で多少配慮するくらいでいいかもしれない。


「されば、殿、米は大湊が任せてほしいと返事を寄越してございます」


 また、注文にはウチ以外でも扱っている品も含まれている。どうも本願寺領ではこの秋の米が不作になっているようで、可能な範囲でいいのである程度纏まった量の米が欲しいらしいんだ。


 そっちはエルと湊屋さんと話し合って大湊に手配を頼むことにした。


「かず、尾張の米では足りぬのか?」


「そうでもないですけどね。堺の件もあるんで、伊勢にも利益を分配したいんですよ。味方は増やしたいですから」


 去年の豊作と今年のやや豊作の影響で尾張は米がたくさんある。その気になれば織田領からも集められるんだけどね。


 信長さんはそんな状況でわざわざ大湊に頼んだことに疑問を口にしたけど、大湊には利益を定期的に分配しないとさ。堺を敵に回してる以上は伊勢を味方にしておかないといけないからね。


 織田家としては飢饉や不作に備えて米や雑穀は一定量の備蓄はしているし、織田領の米の流通量は多いので本願寺に多少の米を売っても影響は大きくないんだけどね。


 ウチばっかり儲けても駄目だからさ。


「これはもう焼けましたね。どうぞ」


 周りでは焼き鳥が焼けるのを子供たちがじっと待っているから、焼けたものを順番に配っていく。次は信行君の番だ。


「一馬殿。伊勢は敵方なのでしょうか? 味方なのでしょうか?」


 ちょうどよく塩が利いた焼き鳥をぱくりと食べた信行君は、オレと信長さんの話を聞いていたせいか伊勢に関しての疑問をふと口にした。


「敵方ではないですが、味方でもないですね。一口に伊勢と言って一括りには出来ません。ただ伊勢の大湊は織田に刃向かうことをやめた町ですよ。今は商いでお互いに協力して利益を得ていますので」


 いい質問だ。信行君も学校で勉強してるから広い視野でのものの見方ができるようになってきたらしい。将来が楽しみだ。


 実は現状はそんなに難しい状況じゃないのに、未だに尾張と伊勢の関係を理解してない人が武士には多いんだよね。


 敵か味方かでしか物事を見ない人もいるし、商いと政治への影響をまったく理解してない人もそれなりに多い。伊勢の商人たちは規模が大きいから、尾張とは比べものにならないほどの影響力を持っているんだ。普通の尾張武士に理解は出来ないかなぁ……。


 尾張と伊勢の目指す関係は一言でいえば共存共栄だ。無論主導権はこちらにあるが、従うのに見合うだけの利益は回している。


 正に、金の切れ目が縁の切れ目だ。織田以上の利を与えない限り、利に聡い商人ならばそう簡単に敵対したり裏切ることはしないだろう。


 本願寺からの注文も大湊に米以外もいくらか頼んでいる。大湊はその注文を近い場所にある宇治や山田の自治都市に更に頼んで味方を増やしている。


 完全に堺対尾張伊勢の対立になりつつあるからね。無論和解の提案がないわけではない。堺に有利な提案で悪銭造りも続けるという、こちらがめない条件だけど。


 交渉する気はない。織田手形の偽造に対するけじめもなく、偽金色酒へのけじめもないのに交渉は無理だ。


 堺はそれも交渉材料にしたいらしいが、こちらはそれをきちんとするのが交渉に入る前提条件なんだよね。


 堺はあんまり理解してないらしいけど。悪事を交渉材料にするのはテロリストと一緒なんだが……。


「くーん」


「お前らは塩のかかってない奴な」


 おっと、ロボとブランカも焼き鳥が欲しいと切なそうな瞳で見上げているね。焼き鳥をあげないと。


 彼らには塩分の取り過ぎはよくないので、塩をかけてない焼き鳥になる。もちろん串からは外してやるよ。


 尻尾を飛んでいきそうなほどに、フリフリとさせながら焼き鳥を食べる二匹を、子供たちも微笑まし気に見ている。


 こういう姿から命の大切さを少しでも学んでほしいね。



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