第374話・曲直瀬さんの状況と海水浴
Side:曲直瀬道三
「おーい。とっつぁん。夕飯一緒にどうだ?」
「いいのか? ここの所、朝な夕なであろう」
「いいってことよ」
季節は春から夏に変わっておる。尾張に来てもうすぐ二か月になろうか。
清洲の外れにある長屋でわしは暮らしておる。周りは他国からの流れ者ばかりだが、皆気のいい者たちで親しくなった。
賦役にて糧を得て長屋に戻ると、隣の権助に飯を誘われた。
十日ほど前だったか。権助の下の子が病に罹った時に少し診てやって以来、よく
「おじちゃん! お帰り!!」
「ただいま 権太いい子にしておったか?」
「うん!」
ここではわしの過去を気にする者もおらぬし、皆が明るく前を向き助け合っておる。ほとんどが流れ者だからな、つらい過去を振り返りたくないものも多いのだろう。
権助の子である権太が今日もわしを笑顔で迎えてくれた。
「尾張はいいところだな……」
「どうした? とっつぁん」
権助一家と夕飯を共にするが、飯は悪くない。米の碗飯に汁物と魚と葉物が一品だ。それに晩酌の麦酒を出してくれる。
最初の数日は病の治癒の礼だと無償で飯を頂いておったが、このままではさすがに悪いからと飯代を払っておる。とはいえ代金は諸々の
尾張のことを学び、久遠様になんとか医術を学べぬものかと考えておるうちに、ここでの暮らしが居心地よくなってしまった。
もうこのままここで暮らすのもいいかもしれんと思いつつある。家内を尾張に呼ぶべきか悩んでおるほどだ。
「わしは京の都におったのだがな。あそこはこことは違って大変なところでな」
「へぇ。京の都か!? 凄いな」
「魑魅魍魎が
医の道への想いは変わらぬが、京の都へは戻りたいとはあまり思わぬ。
都の者は今も自身たちが日ノ本を
権助一家のように京の都に憧れや理想を抱く者はおるが、実の所、京の都を見れば幻滅するであろうな。
医者を諦めて手習いでも教えるか?
織田様は学問も推奨されておる。織田学校という学び舎まで造ったほどだ。
多くの者に読み書きを教えて、学校に行くような子を育てるのも悪くはない。
わしももう若くはない。尾張のような戦もなく人心も乱れておらぬところで余生を送りたいと思う。
うむ。それがいいかもしれんな。家内に文でも送ってみるか。
Side:久遠一馬
夏も半ばになっている。農閑期ということもあり、尾張の各地では賦役が盛んに行われている。
織田領の各地では村単位の夏祭りがあったりと平和で夏らしい光景がよく見られる。
最近の変化は尾張と美濃の交流が進んでることか。特に稲葉山城下である井ノ口の町には斎藤家主導の警備兵が創設された。
人材は現地で集めたらしいが、警備兵創設時の初期メンバーを井ノ口での指導のために派遣している。それほど難しいことはしていないが、基本的な価値観というか認識は違いがあるので経験者は必要だろう。
織田家での警備兵運用のノウハウがあれば、大きな失敗はないだろう。
商いは当然ながら活発になった。和睦と婚姻のおかげでリスクが減ったし、織田の好景気の恩恵を素直に受けてる。
それに伊勢大湊から美濃まで広がった商圏は経済をさらに活性化させている。東美濃も織田や斎藤に臣従はしないが商いという面では拒否も抵抗もしない。
美濃でオレたちが道三さんに約束した斎藤家の支援もしている。信秀さんは清洲城に斎藤家の料理人を修行のために受け入れたし、織田からも臨時で料理人を派遣した。
毒殺などがあるこの時代で大名本人の口に入る料理を作る料理人の交流は、両家の信頼の証だろうね。
ほかにも工業村の鉄や鉄製品にウチの商品とかは優先的に融通している。
「うみだー!」
今日は久遠家恒例の海水浴に来ている。
到着早々に一斉に海に駆けていく子供たちを見てると、微笑ましい気持ちになる。
「しかし人が増えたなぁ」
春のお花見の時も実感したが、ウチの関係者が増えたと新たに実感する。
今日の海水浴はウチの家臣と忍び衆と学校や孤児院の女子供が中心だ。それでも護衛とかの大人を合わせると千人を超えたのはなんの冗談だろうか。
「海に入る前に〜、体を動かさないとダメよ~」
はしゃぐ子供たちにリリーは慣れた様子で注意をしている。
女性陣は昨年同様に水着を着ている。あまりバリエーションが豊富ではないが、二年目ということもあり水着を着用してる女性がかなり増えた。
ああ、人数が増えたのは信秀さんと信長さんを筆頭に、土田御前と帰蝶さんとか織田弾正忠家の皆さんが一緒に来たからでもある。
でも土田御前と帰蝶さんたちまで水着を着ているのはどうしてなんだろう? いいのか? さすがに上に浴衣みたいな着物を着ているけど。
ちなみに土田御前は三十代前半なんで結構若い。
ビーチパラソル代わりになる大きな日傘も特注で作らせていたんで、信秀さんたちはその日傘の下にいる。
実は先日の大茶会でも使った日傘なんだ。織田家の家紋入りだしね。
「若様はともかくみんな来るとはね」
オレはエルたちと昼食の支度をしてるが、エルの胸に周囲のみんなの視線が集まっている。着物だと多少は着やせするんだよね。
エルはそれが性的な目でないことと慣れているようで気にしてないが。ただケティが何故か責めるような意味ありげな目でオレを見ている。きっと気のせいだ。
「伝統は常に変わっていくものですから。おかしなことはありませんよ」
胸の話題は口にしないほうがいいので話題を変える。
信長さんもそうだけど、この時代の人は新しいものでも気に入れば積極的に取り入れる。
オレのイメージする戦国時代とは変わりつつあるが、この時代の人は古い伝統や慣例に必ずしも強い拘りがあるわけではない。
武士の伝統や慣例も信長さんと信秀さんはほとんど気にしない。
気にする人もいるが、信秀さんが変えると織田家ではそれが普通になる。特に個人が独自にやるような願掛けなどまでは制限していないので、普通に受け入れられている。単純に、伝統だから、慣例だから、と言って続けてきたことを新たな方法に改めているだけだからな。
オレやエルたちがやることが以前は南蛮人のおかしな行動だったのが、最近では先端の流行になりつつある。
無論すべてではないが。信秀さんが受け入れれば流行となり、受け入れないとおかしな行動になる。なんとも不思議な感覚だ。
うーん。水着が戦国時代から定着するのか? 未来では伝統的な衣装に水着が?
冗談のような本当の話になりそう。
でもあれだね。水着姿のエルたちと侍女さんたちに囲まれていると、異世界転生してハーレムって感じがする。
普段が着物姿ばっかりなんで結構刺激的な光景だ。
ああ、砂浜では子供たちとロボとブランカが遊んでいる。信行君とかお市ちゃんとかほかの子たちも身分を気にせず楽しそうだ。
最低限の身分に対する礼儀と公式と非公式の区別はもちろんウチでも教えているけどね。あんまりガチガチに身分で分けても誰のためにもならない気がするんだよね。
もちろん身分自体をなくすつもりはない。民主主義とかはオレがこの世界で久遠一馬として生きている年代期では無理だろう。
ただ教育レベルを上げて、たとえ身分が低くても優れた者を登用する仕組みくらいは必要だろうけどね。
「楽しそうなことをしておるではないか! 何故わしを誘わんのだ!!」
「いや、ウチの習慣なので……。孫三郎様も一緒にいかがですか?」
うわぁ。今度は信光さんが来た。海水浴するみんなの姿を見て誘わなかったことを怒られちゃったよ。
エルたちにクスクスと笑われつつ誘うと、信光さんはもちろんだと答えて嬉しそうに信秀さんのとこに行った。
もしかして今のオレの立場だと誘われないと不満が出るのか?
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