第343話・春の日常
Side:とある久遠家の家臣
「二度と村に帰れると思うなよ!」
鬼のような形相で睨むのはかつては逆らえなかった村の長老だ。
「ああ、わかっとるわい」
親父はそんな長老に負けぬほど睨み返している。
事の発端はオレの嫁取りだった。長老は己の孫を娶れと言ったが断ったんだ。
遠い親戚の本家で、村でのことは本家がほとんど決めていた。オレが久遠家に仕えたことで本家は久遠家との縁を欲して嫁の話を言い出したんだろう。
オレは困って滝川様に相談したら、面倒なことになるから断ったほうがいいと言われて、滝川様がわざわざ断りと詫びの書状まで書いてくれたが、長老が激怒して怒鳴り込んできたんだ。村を出て本家とも縁切りするんだ。もうオレたちにとって長老じゃねえ、余所の
この爺は以前には久遠家に息子を仕官させるから話を付けてこいと言い出したり、それが無理だと知るとオレが暇乞いをして代わりに息子をやると言って困らせていたからな。
爺の息子は駄目なんだ。近隣でも評判が悪い男だ。
爺は嘘か本当か本家はどこぞの由緒ある家柄だと、酒が入ると自慢していたような爺だ。ただ久遠家ではこの手の話はみんな断っているんだ。
確かに久遠家には仕えた家臣の親戚縁者が働いていたりするが、血縁を自慢するような奴は断っているし、仕えた後、
「さあ、荷物を纏めよう」
怒った爺を追い返すと、引っ越す準備をする。親父や兄弟たちは滝川様の紹介で太田様の領地に引っ越すことになったからな。
あの爺はウチが本家を名乗る己たちより身分が上がるのも、いい暮らしをするのも許せないらしい。
村の連中の中にはこれを機にウチを本家にしようかなんて話をしてるやつもいて、それも気に食わなかったんだろう。
正月には本家に金色酒や餅を分けてやったのに、それも生意気だと文句を言われる始末だ。それなのに、なんでオレは『若様の婚礼の振る舞い品に手を出すな』なんて言ったんだろう。言わずにいたら、その方が村の為になったのでは、と思ってしまった。
引っ越しは同じ久遠家の家臣になった友人たちも手伝ってくれたんですぐに終わる。滝川様が友人たちを寄越してくれたみたいだ。
怒って武器で襲ってくれば危ないと心配してくれたらしい。
やれやれだな。殿はあんな爺みたいな奴が一番嫌いなのに。なんでそれがわからないかね?
Side:久遠一馬
揖斐北方城との戦での不届き者の処罰が終わった。
納得してない者がいたらしく、こちらも逃亡者が出たり、ごく一部は挙兵したらしいが、オレの出る幕があるはずもなく鎮圧された。
逃亡者のほうは残った親族に責任と罰が追加された。さすがに死罪ではないけど、逃がした疑いがあるとして罰を追加するようだ。
尾張はいよいよ田植えシーズンに突入した。領内各地では早植えの田んぼから田植えをしている。オレたちは種籾を直播きするのも『田植え』と呼んでる、オレたちの農法の方がまだまだ少数派だから仕方ない。今後田植えがふえるだろうし、ちょうどいいだろう。
ウチの関連では太田さんの領地では苗代作りと田作りが始まっていて、牧場村では輪栽式農業の実験もあるので、去年とは違う場所に畑を作っている。今年も植えるのはこの時代にはない作物や一般的ではない作物ばかりだ。
そういえば、今年から織田家直轄領とか信光さんや信安さん、文官衆の人たちの領地の一部では種籾の塩水選別や正条植えのテストが始まったが、同時に魚肥の使用テストも今年から始めている。可能な限りの支援はするが流石に全ての責任は持てないので、一部試験栽培として自己責任でお願いしている。
一気に変えてもいいのかもしれないが、不測の事態や不作の際の原因にされかねない。現状では相手からやりたいと言ってくれた人と試験的に試す段階だ。
魚肥の代わりに使われなくなった糞尿は回収して、昨年からこちらもテストしている硝石丘法に回す予定だ。これは結果が出るまで数年はかかるから、それまでは新しい肥料の実験名目で続けていく。
この時代はいわゆる糞尿の直撒きが一般的らしく、寄生虫問題の原因のひとつになっているからね。肥料も変えていかないと。
普通なら疑われるところだが、ウチが関わることは多かれ少なかれテストや試験が行われているのであまり目立ってない。
正直、硝石の生産は二の次でもいいんだけどね。史実と違いウチでは大量生産出来るから。
ただまあ、やって損はないだろう。あまりにも大量の硝石をウチが供給しては、どこで生産していたのかなどの辻褄が合わなくなってしまう。硝石を自前で作る技術が確立していれば、秘密の場所で作っていたことで誤魔化せるだろう。
「うしさんだ!」
さて今日は牧場に畑の手伝いに来たが、遊びに来た信長さんの妹たちも一緒だ。お市ちゃんたちは白黒のまだら模様のホルスタイン種にびっくりしている。
牧場も動物が増えた。日本在来の馬に、アラブ馬、ヤギ、ロバ、日本在来の牛、ホルスタイン種、ジャージー種、鶏に加えて最近では豚を船で運んで飼い始めた。
これだけ珍しい家畜が揃うところはこの時代の日本にはないだろう。お市ちゃんたちは興味津々な様子だ。
「だれ?」
「偉い子?」
「若様の妹の皆さんだよ。無礼のないようにね」
「はーい!!」
孤児院の子たちはお市ちゃんたちを興味深げに見ているが、さすがに見慣れぬ馬車で来て、高価そうな着物を着たお市ちゃんたちが、ただの子供ではないことには気付いてたようだ。
といってもここの子供たちにとって信長さんは、相撲を取ったり武芸を教えてくれる人だから過剰に恐れたりはしないけど。
お市ちゃんたちにも種を蒔く体験をさせてあげよう。それに友達でも出来たらいいと思うんだが。どうなるかな。
子供たちはすぐに仲良くなった。
乳母さんや護衛の人がハラハラした様子で見ているけど、大丈夫だって。ウチの子たちはリリーが教育しているから危ない遊びとかしないし、最低限の礼儀は教えてある。
オレとしては喧嘩くらいならしてもいいと思うんだけどね。
お市ちゃんはジャガイモの種イモの植え付けを手伝っている。これを植えたら美味しいものが出来ると教えると子供たちと一緒に楽しみにしながら植えている。
「いただきます!」
お昼は孤児院の子たちとみんなでチャーハンだ。着物が汚れないように前掛けを着て、和気あいあいと食卓に着くとお市ちゃんたちにとっては新鮮なようで笑みがこぼれている。
「おいちいね」
「本当においしゅうございますね。姫様」
木製のスプーンでぱくりとチャーハンを食べたお市ちゃんは、モグモグと咀嚼しながら笑顔を見せてくれた。
具材は猪肉のベーコンだろう。卵と玉ねぎも入ってる。あとはもやし入りの中華風スープもあるね。育ち盛りにはちょうどいいだろう。
乳母さんも護衛の人も当然一緒に食べている。オレやエルにリリーたちも食べてるから、ここではみんな一緒に食べるんだと教えると素直に従ってた。
多分、オレの身分が高くなったからだろうけど、信秀さんの猶子になったことでいろいろやりやすくなったね。
この時代ではあまり見られない光景だろう。ちなみに孤児院の子たちはいつもと変わらず自然体だ。信長さんとか信秀さんがよく来るから慣れちゃったんだよね。
牧場の領民の大人とかは未だに緊張するらしいが。
「午後はみんなでお勉強なんだけど。姫様たちも一緒にどうかしら?」
食後は低年齢の子たちはお昼寝の時間だ。お市ちゃんも一緒にお昼寝してもらう。
一時間ほど寝ると午後はリリーが孤児院の子たちに勉強を教えるらしいが、ほかの姫様たちはともかくお市ちゃんはまだ早いよね?
「大丈夫よ。年少組は紙芝居を読み聞かせるだけだから」
「じゃあ、一緒でいいか」
子供はリリーが一番慣れているんだよね。任せていいか。
信秀さんからは特になんにも言われてないし。土田御前と一緒に夜にはウチでの出来事を話すのが日課らしいけど、苦情は来たことがない。
「お前はなにをやっておるのだ?」
結局オレも子供たちと一緒に昼寝をして起きると、呆れた様子の信長さんがいた。
いや、特に急ぐ仕事もないしさ。男の子たちに交じって昼寝をしてたんだよ。ちなみにお市ちゃんは女の子たちと一緒だよ。
お世辞にも身分がある武士には見えなかったんだろう。
「食後の昼寝は気持ちがいいんですよ」
「わからんでもないが……」
子供たちは元気だ。昼寝から起きるとすぐに騒ぎ出す。リリーが孤児院で働いてる人たちと一緒に勉強を教え始めると、オレは信長さんと一緒に十歳以上の年長組の男の子を相手に武芸を教えることになる。
だれだ!? オレには無理だって言ったの? 睡眠学習で覚えたから基本くらいなら教えられるんだよ。
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