第302話・平和な那古野

Side:久遠一馬


「那古野も賑やかになったね」


 この日はエルと一緒にロボとブランカを連れて牧場までお散歩だ。いつの間にか通り沿いにあった空地や田畑が減って家が建っている。


 那古野はオレたちが来て一年足らずで倍以上に人口が増えたんだよね。


「清洲と那古野と津島と熱田は、どんどん人が増えてますよ」


 城下町というのはこの時代では一般的ではない。武士は領地があれば領地に住んでいるのが当然で、商業はどちらかと言えば寺社の領地にある。わゆる門前町だね。清洲のような交通の要所なら町もあるけど。こっちは宿場町の意味合いが強いね。


 清洲と那古野は城下町のモデルケースにしたいんだよね。


 現に清洲と那古野では移住者は上から下まで全て届け出をさせてるから、人口の推移をエルは把握してるみたい。織田分国法で記した移動の自由が地味に影響してるんだろう。


 町割りは主にエルが提言したものがそのまま採用されていて、将来的に車の普及も見越した広い道路と、地震や火事の被害を減らすために密集させすぎない町にしている。


 人によっては道路や空き地が無駄に広いと言って、難色を示しているが、将来の拡張性が必要という考えを信秀さん信長さんは理解してくれた。


 本当に信秀さんと信長さんが攻められにくい城や町とか望まなくてよかったよ。


 史実だと日本各地の古都や城下町由来の市街地は迷路のような狭い道や密集した住居が問題になっていた。皮肉なことに第二次大戦の空襲で焼かれた町が一から復興出来たことで発展したんだ。整理してこれですかって町もあるけどね。


 この世界で第二次大戦があるかわからないし、なにより本土空襲なんてものはなくしたい。それを踏まえて将来を考えるなら今から災害に強く発展性のある街にしないと。


「あそこは公園か?」


「はい。火除地ひよけちになりますね。公衆厠と井戸と花も植える予定です。春は菜の花ですね」


 途中気になったのは、この時代にはない公園が作られていたところだ。そもそもこの時代に公園なんて概念があるはずがなく、よくて寺社の境内が公園代わりとなっている。


 まあ今は自然はどこにでもあるし、人が集まる憩いの場と言うか集会所代わりが寺社の境内なんだ。このことが寺社の権勢基盤に繋がるのだろう。エルは火除地名目で公園を設置してみるらしい。寺社以外にも人が集まる憩いの場は欲しいからね。


 この時代の畿内には特に多かったと言われる捨てられてる孤児も、尾張では孤児院に集めてるから滅多にいない。またスラムのようなところも今は出来ていない。


 無論細かな問題は山ほどある。とはいえ一歩ずつ進んでいることは確かだろう。


 通り過ぎる領民に頭を下げられたり拝まれるのは未だに慣れない。ただこうしてみると土岐頼芸が勘違いするのも仕方ない気もする。


「へえ。美味しそうだね。人数分ちょうだい」


「ありがとうございます!」


 途中面白い商売をしている人を見つけた。これって五平餅だよね? 道端で屋台というか露店というか、たき火をしてご飯を潰して焼いたものを売っていた。香ばしい匂いに誘われてエルと護衛のみんなと一緒に買い食いしてみた。


 表面には味噌が塗ってある。うん。モチっとしてるし表面が香ばしくて結構美味しい。少し塩味が強いが労働者にはこのくらいが好まれるんだろう。


 那古野はあちこちで町を拡張する賦役をしてるし、家屋敷を建ててる大工さんとかがいるんだよね。彼ら向けの屋台や露店が結構ある。


 ちなみに飲食物を含め路上販売は許可制だ。那古野は町を仕切るような大きな寺社がないので城で管理している。飲食物を扱う申請者には許可する条件に病院での衛生指導の受け入れを認めさせた。


 食べ物はよく火を通すことや、手洗いなどの基本的な指導だけどね。この辺は看護師として働いてる滝川一族の女性なんかが担当している。


 ロボとブランカには味噌が塗ってないものを半分ずつあげた。自分たちも食べたいと瞳をウルウルするけどさ。そのままだと塩分高そうだし。


 五平餅ってたしかこの時代にはなかったと思ったんだが。実際、屋台の人も焼き餅だって売ってた。どうも八屋のみたらし団子を参考に自分で考えたらしい。


 餅米は高いから普通の米を使って、腹持ちがいいように考えたんだってさ。


 地味にバタフライ効果で歴史が変わってるなぁ。でも、食文化が豊かになることは悪いことじゃない。


「ところでさ。みんなすっかり戦があると思ってるんだね」


 まあ五平餅はいい。問題は領民がみんな戦があると思っていることだ。顔見知りの人なんかは兵の募集にはすぐに駆け付けると言ってくれる人もいる。


「土岐家との戦は時間の問題だと思われていますので。世間では当家の無念を晴らすのだと盛り上がっています」


「無念? だれも死んでないけど?」


「リリーのことです。土岐家は謝罪もせず不満げに帰ったことで、アナタ様と私たちが無念に感じているからと」


 確かに土岐頼芸のことは嫌いだけどさ。領民がそれで盛り上がるなんて思わなかった。


「というか、いつの間に土岐家と織田が対立してることになってるの?」


「武士から領民に至るまで、誰も土岐家のために斎藤家と戦うなど思っていませんよ。美濃守様が乱心したと評判ですから」


 領民が好戦的過ぎるよ。噂を流さなくても勝手に流れてるし。


 出来れば道三になんとかしてほしいんだが。どうせ西美濃は経済的な繋がりで織田の勢力圏に組み込めるんだし。


「あっ、ロボとブランカだー!」


 少し複雑な心境のオレだが、牧場に到着すると子どもたちに囲まれた。今日はみんなで春に畑にするところに肥料を与えていたみたいだ。


 子供たちの笑顔がなによりだね。




Side:土岐家家臣


 土岐家は本当に終わりかもしれぬ。『守護様は乱心した』、巷ではそんな噂をされておる。


 側近が斎藤山城守と組んで織田の偽手形を造っておったと言うが、本当は守護様が造らせておったのだろう。


 織田と国人衆には守護様の名で斎藤山城守討伐の出陣を促したが、色よい返事は皆無。織田に至っては稲葉山城の斎藤家に確認をするという事実上の拒否だ。


 織田が動かねば国人衆は誰も動かん。仮に織田が動いたとして本当に守護様に従うのか? 僅か数ヵ月で和睦を潰したのだぞ?


「守護様! 長井隼人佐殿が戦の折には内応するとのこと!」


「よし! 織田と国人衆に出陣を急がせろ!」


 ああ、斎藤家にも困った者がおるわ。長井隼人佐。山城守憎しで山城守の倅の新九郎に謀叛をけしかけておった男だ。


 いつの間にか新九郎の名ではなく己の名で文を寄越しておるが、新九郎はいかがしたのだ?


 山城守憎しで戦をするなど愚かとしか思えんが、守護様はやる気だ。織田が援軍を出さぬ状況で勝てるか? 無理であろうな。


 一戦交えての和睦も怪しい。織田も斯波も二度目の和睦など取り持ってはくれまい。まだ見込みがあるのはお方様の繋がりで六角くらいだが。家臣が勝手に和睦の交渉をするなど激怒して許すまい。


 思えばこのお方は昔から思慮に欠けておった。よくある話と言えばそうだが、実の兄と家督を巡って争い、実の兄が亡くなると甥と争う。しかもそこに朝倉や六角や織田を巻き込むのだから始末が悪い。


 斎藤山城守は好かんが、土岐家が巻き込んだ他国から必死に美濃を守ろうとしておったとも見える。随分不利な条件で織田と和睦を結んだのも、これ以上戦をしても得るものがないと考えたとすれば同情するほどだ。


 今、土岐家家中はふたつに割れておる。最早後戻り出来ぬと戦を望む主戦派と、守護様を押し込めて隠居させ、お家の存続を図るべきだという和睦派だ。


 聞けば織田は久遠を猶子として迎えたらしい。尾張では『これで安泰だ』と武士から領民に至るまで喜んでおると聞く。強すぎる久遠を織田がいかにするのか、内心不安だったのだろう。


 織田と久遠の関係こそが尾張の胆だからな。仮に守護様ならば猜疑心にとらわれて久遠を罠に嵌めようとするか、支配下に置こうと無理難題を言うだろう。


 織田弾正忠は久遠を我が子のように扱っておると聞く。やはり器が違うのだろうな。


 さて、いかがする?


 押し込めて隠居させるなら後ろ盾が欲しい。少なくとも織田に認めてもらわねば、お家の存続は無理であろう。厄介なのは主戦派だ。


 守護様は連中を気に入り、我らのことは臆病者とでも考えておるご様子。


 せめて、土岐家を存続させてやりたいのだが……。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る