第287話・冬のひと時

Side:塚原卜伝


「塚原先生、ありがとうございました!」


 稽古が終わり帰っていく子供たちを見送るのはいいものだな。日々成長がわかる。


 今巴の方と新介が子供たちに剣を教えておると聞き及んだので見に来たのだが、つい一緒になって教えてしまった。


 尾張に滞在していかほどになろうか。ここは学ぶ意思のある者は農民ですら学問や武芸を学べるのだ。それがなにより素晴らしい。


「先生、飲むかい?」


「うむ。頂こう」


 程よく体を動かし喉が渇いたと感じた時、今巴の方が温かい麦湯を持ってきてくれた。


 手合わせをしたことをきっかけにわしの剣を習いたいとやってきたのだが、正直あまり教えることはない。


 学びたいとの意思がある以上は教えてはおるが、今巴の方の武芸の腕前はわしを超えておるのだ。洗練された武芸の使い手に教えるのは不思議な気分だな。


 もっともわしの鹿島新當流かしましんとうりゅうが、今巴の方の武芸にいかに活きるのか楽しみで仕方ないというのが本音だ。


 無論、わしもただ教えておるわけではない。今巴の方の久遠流を学び、鹿島新當流に活かすべく研鑽を積んでおる。


「尾張は変わっておるの。ほかではわしがおもむくと身分の高い者ばかり集めてかこわんとするものを」


「先生はそういうの好まないでしょう? 清洲の大殿様はそんなのとっくに見抜いているよ」


 尾張で気に入ったのは特にあれこれと制約されぬこともある。下手な武家にいくと城に閉じ込められて身分の高い者のお守りをさせられるからな。


 斯波様も弾正忠殿も宴に誘ってはくれるが、ほかはこちらの好きにさせてくれる。


 今巴の方の言う通り、弾正忠殿はわしのそんな心情を理解しておるようだ。やはり噂になるだけのことはあるな。


「しかし、この竹刀と防具はいいのう」


「必要なら用意するよ」


 学校での稽古では竹刀と専用の防具がある。これはいい。子供たちでも怪我することなく本気で打ち込める。なんでも久遠家で使っておったものだとか。


 それだけではない。尾張にはほかにも珍しいものが溢れておる。


「世の中は広いな。尾張におるとそれを感じる。あと十年若ければわしも明や南蛮に行ってみたかったわ」


 旅は大変だ。しかし、このような出会いがあるから止められぬのだ。


 今巴の方や久遠殿を見ておると明や南蛮に行きたくなる。


「どうしても行きたいなら船を用意しようか? 交易に行く船に便乗するぐらいなら特に問題はないよ」


「噂の南蛮船か。気持ちだけもらっておこう。弟子たちを置いてゆけぬし、帰ってこられぬかもしれぬ旅に連れてもゆけぬ」


 明や南蛮に行きたいと言うと弟子たちが驚いておるな。


 わしが本当に行くと言えば付いてくるだろう。だが、いつ日ノ本に帰れるかわからぬ旅にはさすがに連れてゆけぬ。


 それに、わしももう若くはないからな。




Side:久遠一馬


 師走に入りウチも織田家も忙しくなっていた。


「なるほど。相手を絞るわけだ」


「はい。旅人や小商いの商人まで制限すると、『やれ、冷酷よ。やれ、強欲よ』と尾張の風聞ふうぶんが大きく傷付きすぎます」


 この日は悪銭・鐚銭との交換レートの件をエルが策定した基本案をもとにして、大湊と合議するために、使者として送った湊屋さんが戻ってきた。


 内容はほぼそのまま通ったが、交換レートを適用する相手を一定額以上の取り引きをする商人に限定することを大湊から打診されたみたい。


「いいんじゃないかな。確かに旅人とか小口の行商人まで適用すると大変だしね。実質、堺対策そのものになって伊勢で問題にならないか気になるけど。大湊や伊勢商人たちの内諾があるなら問題はないよ」


「畿内の者とすれば金色酒を始め希少な物産が欲しいのであって、堺に儲けさせたいわけではありませぬ。我ら尾張と大湊そして伊勢の商人たちで、問題が堺にあると畿内の者に知らしめることは必要なことかと」


 加えてこの件は大湊のみならず、宇治と山田からも同様のレートを制定したいと打診があった。


 湊屋さんの話では他の伊勢の商人もすぐに同じレートになるだろうと言っている。それだけウチと織田家の力が伊勢に浸透してる証だろう。北伊勢の桑名は知らんが。


 返答はほぼエルの予測通りになる。今の織田の経済の力があれば当然ほかも乗ってくるよね。堺は嫌われてるみたいだし。


「そういえば三好様に金色酒を随分とお売りになったようですな」


「今川向けの分を値上げしたら余っちゃってね。その分だよ」


「大湊でも話題でございましたぞ」


 三好は船で使者が来ていたので、そのまま金色酒を売って帰した。


 湊屋さんの話では、ウチが三好に売るかどうかを大湊では注目していたらしい。世間的に今の三好は主君である細川家に謀反を起こした形になっているからね。


 大湊では深入りするのを恐れて多少売ってお茶を濁したらしい。


「ウチも硝石は売ってないから」


 売ったのは金色酒と陶磁器を少しだ。直に畿内を制するし、細川は逼塞ひっそくするだろうし。史実通りにならなくても三好の優位は変わらないだろう。


 六角が全面対決すればわからないが、どのみち細川はその歪んだ行動原理が変わらないと思うし。


 急に用立てるという名目で三好には金色酒を高い値で売ったが、全て買ってくれた。やっぱ畿内を押さえてると強いね。皆が畿内を制圧しようと躍起になる理由が分かるよ。


「ほう、これはまた美しい菓子でございますな」


 湊屋さんと話してるとおやつの時間になる。この日は大湊から先日届いたみかんを使ったみかんの寒天ゼリーだ。


 寒天はウチでは羊羹にずっと使っているし、原料のテングサは知多半島や市江島で採って、寒天自体は山の村でこの冬に作ってもらっている。


 寒天は製造工程で凍らせる必要があるから、この時代では冬場にしかできないしね。上手くいけば将来の収入源になるだろう。


 火鉢で暖まりながら甘くぷるるんとしたゼリーを食べるのも悪くない。


 湊屋さんも満面の笑みで喜んで食べている。さすがは食べ物につられてウチにきた人だね。




 湊屋さんが下がると少し暇になる。ロボとブランカもどこに行ったのか姿が見えないし。なにしようかなとぼんやりしてるとエルの姿が見える。


 和服もすっかり板に付いたなぁ。個人的にはぴっちりとした宇宙服も捨てがたいしスカートもたまには見たいんだが。


「エル。洋服を流行らそう」


「はい?」


 思い立ったが吉日だ。エルを呼んで洋服を流行らそうと言うものの、突然過ぎて理解できなかったのか不思議そうに小首を傾げられた。


「そろそろ和服以外の服装を普及させることも必要だと思うんだ」


「構いませんが流行るかどうかは微妙ですよ。そもそも庶民は服を買うことすら大変ですから。身分がある者は伝統や格式に拘りますし」


 うーん。真面目なエルに正論で答えられると返す言葉がない。水着みたいになんかのどさくさに紛れさせるべきか?


「うふふ。いいじゃないの。試しに私たちで着てみましょうか?」


 言葉に詰まり、打開案を探して困っているとメルティが意味深な笑みでやってきて、エルを説得してくれる。もしかして気付かれたか?


「でも服の量産は課題もまだ多く……」


 エルは真面目に考えているようで気付かないが、メルティがなにかを耳打ちするとこちらを見て少し顔を赤らめた。


「そうですね。ではまずはこの時代の洋服からで……」


 急に意見が変わったが、意外に反応は悪くない。なんでか知らないが、エルは機嫌よく洋服の件を承諾してくれた。なんでだ? メルティはなにを言ったんだ?


「メルティ。なんて言ったんだ?」


「女の秘密よ。ひ・み・つ」


 後学のためにメルティになんて言ったのか尋ねるも、意味深な笑みで腕を絡ませてキスをしてきて煙に巻かれた。


 ただ侍女として付いていたお清ちゃんが、顔を真っ赤にして固まっている。


 刺激が強すぎたんだろうなぁ。


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